喜の章
2004年5月24日月曜日「キラー遺伝子」
 このたび最年少の江戸川乱歩賞受賞*とのこと、乱歩賞は新人ミステリ作家に贈られる最高の賞でミステリの芥川賞といった位置づけである。しかし芥川賞とは違ってエンタテイメント、ミステリの分野なので背景となる事実の検証がぜひとも必要だ。身の回りのちょっとしたことを書けばよしという純文学私小説的とは対極にある。従って社会人としての経験を積まないとなかなかむずかしいと言われてきただけに今回のことは快挙である。

昔からミステリは好きでよく読んでいた。昔は「推理小説」と呼んでいたが、推理なぞなくてもサスペンス・ハードボイルド・ホラーなどひっくるめての新しい統合ジャンルとしての呼称であるミステリ(ちなみに最後にのばす棒は最近みんな取っ払うのがイキとされている。たとえばドライバ、プリンタなどであるが、すべてではない。バルコニーとか変だし、医療器械のエコーはもっと変になる。余談だが)のほうがかっこいい。中でも、本格推理小説・・・こちらも最近はパズラーと呼んでいる・・・あれ棒がついている??が一番好きで、中学時代は犯罪者にでもなるつもりか、と疑われるくらい読み込んでいた。

 パズラーとは水戸黄門張りにおきまりのパターンで、
 犯罪発生、だいたいは殺人事件→不可解な手がかりが散乱→警察が捜査するが無能を露呈→名探偵登場→手がかりをつなげるが読者には名探偵のやっていることがさっぱりわからず意味不明な行動→名探偵悩む→最後の手がかりがひょんなことからあらわれるが読者にはあいかわらずなんのことやらわからない→関係者を集めて謎解き。
 と、まあこういうことになっている。特に最後のシーンは「名探偵みんなをあつめてさてといい」と川柳までなっておちょくられているくらいのワンパターンだが、ここが私どものようなパズラー中毒にはたまらない魅力となっているのだ。マンガ好きの諸兄なら「金田一少年」の決めぜりふ「謎は、すべて、解けた!」といったところか。

 パズラーにはさまざまなシチュエーションがあって、中でも「閉鎖空間事件」タイプは数多く書かれている。ある目的を持って集められた登場人物たちがなんらかの特殊状況下でそこから出られなくなる。そこで殺人事件がおこる、といったものだ。代表的なのが「無人島にある別荘」で船が来るまで孤立、といったようなものだ。悪天候に雪山山荘というものでも同じだ。警察の介入がなく、犯人は確実に閉鎖空間にいる、顔をつきあわせているなかに殺人犯がいるということになるのでいやが上にも恐怖感は盛り上がる。が、この際、どうしてって言いたくなるほどザコキャラで登場するのが「医師」なのである。作者としては警察も鑑識もないので死亡診断のできる者を配置したいのだろうが、これがまたそろいもそろって法医学に通じているのである。私はいざというとき何の器具も持たずでは、死亡くらいは宣告できるが「硬直がこれくらいだから死後何時間だの、ナニガシのにおいがするのでナントカ中毒のおそれがある」とか演説ぶることはできない。いいかげんで言うわけにはいかないし、皆目見当もつかない。医師ならそのくらい知ってるだろうに・・・と責めないでいただきたい。医学生の時にほんのわずか法医学として習ったことを思い出すのは並大抵のことではないのである。ましてや監察医などに就かなければ一生使うかどうかわからない知識である。ミステリをたくさん読んでいるマニアの方が実は詳しい。

 実は法医学も私が習った頃とは雲泥の差で、私の頃はせいぜい「犯人の髪の毛」からは血液型くらいしかわからなかった。今はその髪の毛から遺伝子であるDNAを増幅させて、容疑者から採取したDNAと一致すれば、個人が特定できるし、親子鑑定などもこれで行うことがもはや常識となっている。DNAといえば、その中のどのような場所になんの遺伝子があるか、すべて解き明かす「ヒトゲノム計画」が2000年に達成された。現在補完が進んでおり現時点では99.99%の配列は解明したと言われている。もしもであるが、キーとなるポイントをいくつか、または数十個生まれたばかりの赤ちゃんから老人までDNAを記録しておくとすると、犯罪を犯した時点で遺留品を残した瞬間、本人が特定できることになる。パズラーファンにとってはあまりおもしろくない時代とも言えよう。また殺人者のDNAで共通の個所が高率に見つかれば恐ろしい「殺人遺伝子」が見つかるかも知れない。そしてそれを矯正する方法が見つかれば・・・と空想はつきないが、どうだろうか。 調べても調べても共通の遺伝子は見つからず、結局、「霊長類ヒト科」を決定する遺伝子が殺人遺伝子だったりして・・・満腹でも同族を殺すのは人間だけ・・・ですから・・・そしてその小説を楽しむのも人間だけのようだ(笑)今日も新しいパズラーを探して本屋にしょうこりもなく向かっている


 *最年少江戸川乱歩受賞:2004年 50回受賞作『カタコンベ』の著者神山裕右(当時24歳3ヶ月)は2016年現在でも最年少受賞者です。

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2004年8月1日日曜日「挑戦者たち」
 志木南口クリニックが移転*した。これからも末永くよろしくお願い申し上げます。
 リニューアルという言葉がはやりだが、私どものこの場合は使いたくないなと思う。
 元々この言葉には古いもの、弱ったものを新しい状態にするという意味があり、取り換えるといったニュアンスが強い。私どもの移転はホップステップといった感じなので、なにも追いつめられたあげくの苦肉の策ではないので、抵抗があるというわけだ。
 だが、最近はこの言葉のマイナスのイメージが薄くなっているのでそんなことで目くじらを立てず、おおらかな気持ちで診療を続けたい。改めてお願い申し上げる次第である。

 さて、そんなあわただしいくせにちょっと非番を利用して、東京ドームの横で開催している「プロジェクトX〜挑戦者たち*」展示会を見に行った。
 無名の日本人技術者が世界を相手に不撓不屈の精神で打って出て、見事な成功を収める。この基本ベースは知っていたが、実際の放映はあまり見たことがなかった。電車の中吊り広告で見てこの展示会を知ったので開催中にぜひ見たかったのだ。
 後楽園駅に着くと夏休みもあって会場は親子連れが多かったが、この番組を支えているとされる中高年もかなり多く、なかなかの盛況だった。おなじみの中島みゆきの「地上の星」がバックに流れ、今までの放送タイトルシーンをベースにした大パネル展示会であった。プロジェクトXの放映日は診療にあたっているため見たことはなかったからか、その内容の濃さに私はたいそう感動した。

 不覚にも涙がこぼれそうになった展示ものもある。
 
 たとえば、自動炊飯器を作った小さな電気会社の社長、今はICだのなんだので熱の加え方はプログラムでできるが、当時は、あの「はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、赤子泣いてもふたとるな」という炊飯の複雑な火加減調整をコンピュータなしでどうやって制御するかというのが電気釜を作る上で大きな壁となって立ちふさがっていた。
 町工場のこの社長は妻と二人三脚で数え切れないほどの試作をくり返し、データをとって、温度調整の壁に挑む。
 しかし、過労か病気かで妻が倒れて、零細企業の悲しさでプロジェクト挫折の危機にさらされたとき、まだ幼い6人の子供たちが立ち上がった。
 母親に成り代わり父を助け詳細なデータ作りを手伝った。その努力の重ねでついに試作品を仕上げる。しかし、厳冬の朝には釜の中の温度が下がってうまい米が炊けないのだ。社長は氷室にこもってさらに試作を繰り返す。ついに三層構造の釜を作り出し、商品化に成功した。後に、「主婦の睡眠時間を1時間増やした」、と賞賛される電気釜が尊い犠牲をへて完成したのだ。
 私はこの番組の放映されたときは見ていなかったが、展示のパネルの一番最後に書いてあったこの言葉が放映でも結びになったのだろうと思った。それほど、このセリフは感動的だった。それはおそらく子供たちをみんな集めて台所で行った言葉であろうか。

 「完成したぞ!今から俺が飯をたく!おまえたちみんなで作った電気釜だぞ」
 決してくじけない心、そして、家族の絆が凝縮した名言だと思う。

 日本人とはこれほど、けなげな民族であったかと思うと、21世紀も続けて誇りを持って生きていけると、大げさだが感じた次第である。他にも数多くの感動の展示が目白押しであった。宣伝するわけではないが(十分しているが)8/25までの開催だそうである。ぜひお時間があればお子さんを連れて行かれるといいと思う。(内容から中学生以上がよいだろうか)

 医療の展示もあった。脳神経外科医のレーザーメス開発の執念の物語である。展示はこれ一点であったが、買ってきたパンフレットを見ると、今まで放映された140話のプロジェクトXの中の医療部門は胃カメラ・肝移植・重症熱傷・心臓手術・僻地医療(2回)・集団検診・骨髄バンク・天然痘・ER・放射線障害・救命救急士・義足物語とほぼ10回に1回のペースで登場している。
 医療界も十分挑戦者たちが満載なのだが、もともと一発逆転をねらってはいけない部門なので、事績自体は地味なものが多く展示では割愛されたのであろう。

 このパンフレットの表紙の
「はじまりはいつもゼロだった」
というコピーもなかなか心をくすぐる言葉ではある。

 志木南口クリニックも開院当時は、すでに和光駅前クリニックという一日300人前後患者さんが訪れるモンスターのような診療所の弟分として始まったためか純粋には「はじまりはゼロ」でなかった。しかしどうして患者さんが来ないのか、と思うほど、長い間(少なくとも私達はそう思うほど長い間)なかなか皆さんの支持を得られることができなかった。なにがいけないのか、どこが和光と違うのか・・・
 
 しかし、いつしかそういうことは考えないことにした。志木南口クリニックは兄貴を模倣しても兄を越えることはできない。志木は志木の味を出していけばよいのではないかと。そう思うと気が楽になって、医療を正面から見直し、自分の背丈にあったものを提供していけばよいのではと考えるようになった。移転後の志木南口クリニックではやっていきたい企画は山ほどある。ホームページもその一環だ。思いつくたびにこのHPでみなさまの批判覚悟でよりよいと思う医療を提示していきたいと思っている。その際は叱咤激励をぜひお願いいたします。最後にこのプロジェクトX展示会で一番気に入った言葉をご紹介して移転決意表明にかえさせて頂きます。

 「とにかく、やってみなはれ。やるまえからあきらめるやつはいちばんつまらん人間だ」西尾栄三郎:南極越冬隊長


 *志木南口クリニック移転:2004年8月に現在の川島屋ビル2Fに移転しました。
 *挑戦者たち〜プロジェクトx:NHK総合TVドキュメンタリー、2005年まで放映。主題歌の「地上の星」もヒット


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2004年8月19日木曜日「稀有な能力」
 アテネオリンピックで日本の快進撃が報道されている。非常に喜ばしいことで、私もTVで放送されると届かないと思いながらも声援を送っている。各選手すべての力を出し切っての競技は実にすがすがしい。勝利したときの喜び、負けたときのくやしさがストレートに伝わってくる。勝っても負けても、オリンピックは参加することに意義があるなどとかつて言われていたが最近はそんなきれい事はどうも通用しないようだ。
 アジア人は体格体力共に西欧人に劣るとコンプレックスが強かったときは、そのうそぶきは市民権を得ていたのだが、このごろは「出るからには勝つ」の精神が国民ももちろん各メディアの論調でも読み取れる。
 その精神大いに結構。
 負けてよい試合など一つもない、だいいち、そう思うことがすでに勝負に負けているのではないだろうか。期待というプレッシャーに押しつぶされて実力を発揮できなかったという選手も陰をひそめた。勝ってプレッシャーから解放されて大泣きする選手が減り、高らかに腕を突き上げガッツポーズをする現代っ子たちが大活躍する当今のオリンピックは応援する一般人として、私的にも気が楽で好ましい。

 ところで、競技のことだが、相手のいる格闘技・チーム競技などは、技術改良などで不都合が出次第ルール改正などが行われていき(結構米欧にあったルール改正が多いのがいただけないが)、その時点での世界チャンピオンを決めればそれでよい。しかしタイムレース・計測レースは今後どうなるのだろう。水泳・陸上のほとんどは人類の筋肉の限界が上限になるのではないだろうか。わかりやすく言えば、100m走9秒8を切ることができるかどうかはともかくとして9秒00はとても切ることはできないと思う。
 
 そのうち、突然変異でもしたり、人工的に改造しなければ新記録更新はあり得なくなるだろう。私としてはオリンピックはその時点での世界チャンピオンを決めればいいのだから、タイムなどはすべて廃してしまって、純粋にレースのみ楽しめばよいような気がする(予選は確かにタイムがないと困るが)が、人間というものはランキングをつけたくなる生物なのだろうか。100分の1秒の差を求めて、一喜一憂する。
 一瞬の間とは文字通り「まばたき(瞬き)する間」という意味だが、この人間がもっとも早く動かせる筋肉でおこなう瞬きすら100分の10秒前後である。「一瞬」より短い間隔の差を極めた後はどうなってしまうのだろうか?
 水泳ではすでに考慮されているが、空気抵抗だの、走る姿勢だの、身につけるものだのでタイムが向上する可能性もある。挙げ句の果てには四つ足で走るのが一番空気抵抗がないなどといいだす始末ではないだろうか?(それはないな)

 フライングすれば大きくタイムを短縮できるが、最近の技術革新では号砲の前にスタート台を離れると自動的にフライングがわかるそうだ。そのためごまかしはきかず、(というといままでごまかしていたようだが、やはり人目にはぎりぎり反則のようなスターティングしていた競技者はいただろう。いっそ、競馬のように一斉にゲートが開くというのがすっきりするのか)いかに音を聞いてから素早く体が反応するかで勝負が決まる。紛れもない反射神経の差が大きなポイントになるのではないだろうか。

 ロケットスタートで有名なスケートの清水選手などはこの能力に優れるそうだ。人間の反射神経はある程度まで訓練で向上するが、どうも持って生まれた才能があるとしか思えない。
 動いているものを捉える能力の「動体視力」や、いままで話してきたようなある刺激を受けた後、すばやく反応する能力の「反射神経」などがそれにあたる。
 これらは解剖学的にはどこにも存在しない概念上の産物である。
 筋力は努力でアップできるしろものだが、この二つは無理なのではないかと思うのが私の勝手な推測である。(もちろんあくまでも、ある程度は上昇するが、といういいわけつきだが)動体視力と反射神経はおそらく今までも天才的な剣豪とか超一流の格闘家が最初から持っていた極めつけのアビリティであろう。

 余談だが、私が高校のある怠惰な時代を送っていたときの話である。ある土曜日、友人たちと徹夜麻雀(掛け率は低く、もう時効と思う)をした後、「そう言えば今日W大学の文化祭じゃん。見物に行こうぜ」と朝になってまっ赤な目をしてぞろぞろと電車を乗り継いでキャンパスに行った。
 
 そこではアトラクション(?)として体力精神力テストという代物があって、徹夜明けのコンディションはきわめて不良だが皆で挑戦してみた。
 私はごく標準的な数値に終わったが、剣豪でも、一流のスポーツマンでもなんでもない(サッカーはやっていたが)ある友人が主催側の大学生を驚嘆させ、恐慌におとしいれていた。
 
 と、そこまでは大げさだが、彼が何をしたかというと、「動体視力」計測マシーンというのがあって、その人間が出せるであろう最高値を更新したそうである。

 つまり稀有な動体視力の持ち主ということになる。彼がクリアした設定で、私ら凡人はみな挑戦してみたが、全速力で疾走するのぞみ号から通過する駅名を読むようなもので、とても不可能で人間のなせる技ではなかった。ひょうひょうとした「神眼」の彼はそのようなものを練習したこともないし、何よりも彼が一番びっくりしていた。
 彼に言わせれば「みんなあれくらい見えてたと思ってた」である。(笑)
 
 なるほどある種の天才というものはそう言うものかとみな納得した。彼は今は高校教師をしているが、そのとき現在のような目押しできるスロットマシーンが彼の前にあったら、当然進むべき道は違ったであろう。来店拒否されるだろうが(笑)
 
 彼は過去も現在もこの眠った能力を生かした仕事をしていたかどうかは知らない。だが、このような練習もしないで会得できている能力に人間とはどれだけ気づかないことだろうか。逆にどんなに練習しても体得できないとわかればそんなことをチャレンジする時間の無駄も省けるだろう。以前から私の持論である「人間には練習してもとても届かないものが多々ある」ということはこの経験も下敷きにあったからかもしれない。

 アスリートの方々には面白くない意見であろうが、もちろん努力を全否定するものではない。私は稀有な能力(上のような反射神経だの動体視力だの)を持っていると子供時代に早くにわかる方法でもあったら、それをネタにして後は筋力を徹底的にアップさせどんどん世界にチャレンジさせてあげたいとも思っているくらいだ。格闘家でもトップアスリートでもいい、その子が持っている能力を全開させるいわゆる能力教育が日本にはないのが残念だと思うのだ。

 最後にとても気になることが一つあるのだが、陸上のトラック競技でスタート時、あのピストルはレフェリーが第一コースの内側に立って撃っているような覚えがあるのだが違うだろうか?(今日の時点でまだオリンピックの陸上競技が始まっていないのでよくわからないが)もし、第一コースと第八コースが仮に10m離れていれば、音速から計算して約0.03秒一番外側の第八コースの選手はスタートの音が遅れて聞こえることになる。これだけ精密に100分の1までフライングとゴールを計測しているのなら、スタート時の音速による到達の差は当然加味していい範囲だと私などは勝手に考えているがどうなのであろう。これも余談で大きなお世話かもしれないが。

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2004年12月13月曜日「酒は百毒?」
 酒は百薬の長である、と信じてきて数十年。その証明を「隗より始めよ」とばかりに自分に人体実験してきたが、どうも自分は特異体質なのか、効果のほどがあがらないようだ(笑)
 なに?おまえは今まで医者面してきてあらゆる俗説は医学的に証明されなければなんぼのもんじゃ、と豪語してきたではないか、とお怒りになることだろう。おっしゃる通りである。それならば科学者の端くれである私はこれから酒の効能を証明しなくてはならない。
 今まで少量の飲酒は体によいことだと言われてきた。精神状態を安定させ、ストレスを解放するばかりか、医学的には末梢血管を拡張させ、血圧を下げる効果も認められる。そして、赤ワインに含まれるポリフェノールは血液をさらさらにする、など、いいことずくめである。こんなすばらしい健康飲料はさらに調べて医学的に裏付けをとらなくてはいけない。と思ったのだが・・・

 調べれば調べるほど酒の効用はかなりあやしくなる。まず一番新しいところからだが、2004年秋の癌学会総会で発表されたもので、女性3万人強をコホート研究(前向き=未来に向けての追跡調査で作為が入りにくく、もっとも大規模研究の信用性が高い)したものがある。飲酒の習慣があるかないかで分けて7年間以上みっちり調べたところ、飲酒者は非飲酒者より1.27倍乳ガンになる可能性が高かったそうだ。さらにアルコール1日15g以上飲む習慣性飲酒者は飲まない人より2.93倍に跳ね上がった。え?アルコール15gってどのくらい?ビールならミドル缶1本、ワインならグラス1杯(100ml)に相当する。たった、それっぽっちかい!もちろん、さまざまな因子を調整、排したものであるということは言うまでもない。(たばこを吸っているとか、肥満であるとか、家族に乳ガンがいるとか、これらはすべて強力な乳ガンの発癌因子である)
 実は同じような研究はすでに2001年アメリカで行われており、こちらはメタアナリシスという統計処理を行ったものだが(詳しくは専門的になるので省くが、上の大追跡研究に次いで信頼性が高いとされる研究方法である)、日本の今回の発表と同じく飲酒量と比例して乳ガンの発生率が高かった。今回の癌学会での発表はアメリカの結果に裏打ちをした格好である。
 そしてさらに調べてみると、アルコール摂取量とさまざまなガンの発生率はほぼ正比例しているのだ。有名なところでは食道ガンに肝臓ガン、そして頻度は少ないが口の中のガン(口腔ガン)はアルコール多飲者に見られ、研究結果もWHOでも「確実に発癌と関係している」と言い切っている。今回、乳ガンもめでたく(?)こちらに加わってしまった。そして、喉頭癌、大腸癌も「ほぼ確実に発癌と関係がある」とされており、上のようなコホート研究が進めば「確実陣営」にランクアップして行くことだろう。すなわち、癌に関して言えば、「アルコールは猛烈な発癌因子である」と言い切ってもいいようだ。

 おいおい、心筋梗塞や脳梗塞はどうなんだ?たしか酒を少し飲むとならないって聞いたことがあるぞ!ワインのポリフェノールはどうした!と飲酒陣営の悲鳴が聞こえる。ご安心召されい。そちらも調べてみた。
 2003年イギリスで大規模な研究があった。結論は「週5〜7日アルコールを飲む習慣のある人たちが一番心筋梗塞が少なかった」であった。酒の効能クリーンヒットである!酒の種類はどれも同じでワインでもビールでも蒸留酒でも変わらず、飲酒量でも差がなかったことを見ると、ポリフェノールの力よりも、アルコールそのものの血管拡張作用が功を奏したであろうことが考えられる。こと心筋梗塞に関しては飲酒陣営の完全勝利であろう。だが、その効果はほんのわずかだったが・・・そして、脳卒中に関しては飲まない人よりもわずかに飲む人の方が確かに発生率は少なかった。ただし、心筋梗塞と違って飲酒量が増えると逆に飲まない人よりも率は跳ね上がる。少し飲む人の卒中防止効果はごくごくわずかで、どうやら、これは飲まないに越したことはないようである。

 かなり旗色が悪いようなので、アルコール摂取と死亡率の関係はどうだろう?癌になろうが脳卒中になろうが、全体で通してみて長寿になるなら問題ないだろう。たしか享年120歳でギネスブックにのっている泉重千代老は長寿の秘訣は「黒糖焼酎を薄めて飲むんじゃ」と言っていたはずだ。
 そこで調べてみると2000年のアメリカの研究があったが、残念なことに飲まない人と少量飲む人の死亡率はほぼ同じであった。しかし、1日30g以上摂取する人(約日本酒では2合)からは死亡率は跳ね上がって飲酒量と正比例していた。すなわち酒は毒であると決めつけられ、ここでも泉老は例外として酒の長寿作用は証明されなかった。結論はちまたでアルコールのよいと言われる作用は心筋梗塞をのぞいて証明できなかったと言っても過言ではない。

 だが、どうやら、少し飲む分には重大なマイナスはないようだから、私もちびちびやろうとは思っているのだが、酒の最大の欠点に「飲み始めると限界が来るまで止められない」ことがあげられる。私も含めてだが酒をたしなむ人たちには論文をいちいちあげて論破してもこんなことに忖度しない。好きな江戸前風に言うと「それがどうした、てやんでい、べらぼうめ」である。なんだかんだ言われたら、酒がまずくてしょうがない。ええい、場所をかえようぜ(笑)である。
 この辺の理屈になると愛煙家のいいわけと同じレベルになるのではないか?たばこをやめたらとすすめても「どんなに吸っても肺ガンにならない人の方が多い」と言って絶対にやめない方たちである。たばこのほうは排気煙が体に悪いので周囲の人にも迷惑を及ぼし、健康増進法などできて吸える場所も少なくなり、わずかに酒に軍配があがるがどっちもいばれたものではない。

 酒をこよなく愛した戦国武将の上杉謙信は上の研究結果の代表例で、大酒をかっくらったあげく脳卒中で命を落とした。49歳であった。辞世の詩に「一期の栄 一盃の酒、四十九年 一酔の間、生を知らず また死を知らず、歳月ただこれ 夢中のごとし」とある。酔っぱらっての中、夢中で生を急いだ彼の心境がよく出ているが、彼もきっと酒をやめられなかったのではないか。そして、命を落としてまで飲んではやはりいけない。反面教師にしなくてはと思う。
 酒の逸話が出てくるおそらく最古の文献だと思うが、お隣の中国の「十八史略」に酒の誕生の話がある。夏王朝の初代禹王(うおう)というから推定6000年前である。
 臣下のあるものが米を水に浸してしまったら、しばらくして甘い香りがしたのでおそるおそるなめてみると、とても美味であった。さらにもう少し飲むととてもいい気持ちになる。酒の誕生である。これは禹王に献上しなくては、となり、飲んだ禹王はその美味に驚き「まいう〜!」、ついつい杯を重ねてしまって寝てしまった。はっと目が覚めた禹王はこういった。「これはうまいものだ。だがうますぎる、ために後世身を滅ぼすものが出るだろう。二度と献上してくれるな」と、以来、酒を終生飲まなかったとされる。
 日本の養老乃瀧伝説と違って、酒の危険さの医学的検証もにおわせ理知的なオチがついているところなんざ、さすが中華帝国ですな。そして、禹王さんは上杉謙信さんのような破滅型の人の予言をされていたのですね。はは〜、恐れ入りました。忘年会シーズンです。みなさまもぜひお気をつけて。


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2005年3月7日月曜日「産科医賛歌」
 高いこころざしと強い責任感、そして必ず命を救うのだという使命感、医師はこれらがそろっていないといけない、とみなが言う。
 もちろん私もそうあって欲しいと願う一人ではある。しかし、モラルだけで医師をしばるのはもはや難しいと思う。
 
 産婦人科医が減少して各地方の中核病院でも常勤の医師がいなくなる、という記事を読んだ。その原因は過酷な勤務と訴訟の多さであるらしい。これはわが外科もおなじことだが、その勤務のきつさはその比ではないようだ。
 若手の産婦人科医は月の半分は当直および拘束(当直ではないが緊急時にすぐに対応できるように病院のそばで待機)されもちろん休日祭日などの区別もない。私がまだ駆け出しだった地方の中規模病院勤務時代、ある時自分の都合で外科系当直を交換してもらおうと思い(外科系といえば整形外科と産婦人科が常勤であった)、当時仲のよかった同年代の産科医に話を持ちかけたところ、彼は困った顔をして言った
 「僕らは当直ないんですよ」私は愚かにもそのとき「え!?いいなぁ」と思わずつぶやいたが、彼は苦笑した
 「僕らは毎日が拘束でね」
 あとで聞いてみると、彼らは確かにあの当時は月の半分近くは夜中から明け方まで緊急でお産や帝王切開をしていたようだった。もちろん翌日に非番などない。昼夜ぶっ通しでの勤務である。私ら外科はたまに深夜緊急手術をするがそんなのは月に2〜3回あるかないかで、いざそのときには舞い上がってしまって他科を顧みる暇もなく、彼らと同時に深夜執刀していても「産科も緊急だって」って伝え聞くくらいだったのだろう。彼らの働きを全く失念してしまっていて大変申し訳なく思った記憶がある。
 
 当時、夜は陣痛を抑える薬を点滴して、昼に産めるようになんてことはせず、自然のままに任せる(最近は事故がおこるのでこれが主流のようだが)スタイルだった。
 もちろん妊婦の方は一世一代の大仕事だから、万全を期してもらいたいのは当然である。だが、来る日も来る日もこの緊張を強いられる産科医はまじめであればあるほどプレッシャーとの戦いになるのではないだろうか。

 手術は予定手術であれば患者さん側は準備万全にセッティングでき、医師側は体調を整えることだって可能だ。当然アクシデントも減る。だが、産科手術というのは胎児異常が妊娠中にわかったなどの予定で帝王切開などの例外をのぞき、ほとんどが秒分を争う緊急帝王切開だ。私がその頃産科医から聞いた話は今でも忘れられない。
 
 ある忘年会だか病院の医師の集まりで私は産科医長の隣で飲んでいた。私が彼に酒をすすめると
 「いや、拘束なんでね」と断られた。代わりにお茶をすすりながらある話を聞かせてもらった。
 
 ・・・産科手術の場合はね、僕らは病気の体を手術するんではないんだよ。それに加えて患者と言っていいのかな、母子の二人分だしね。その緊張感はいつも俺らにどっしりのしかかってくるね。でも躊躇してたら取り返しのつかないことはいくらでもある。ある日、通常分娩でと安心して待機していたら突然緊急事態になってね、(早期胎盤剥離だったのか、臍帯巻絡=さいたいけんらく、だったか聞き手の私は失念)母子共にあぶなくなってさ、
 それでオペしたんですか?、
 当たり前さ。しなきゃ二人とも死んじまうんだよ、ラインはあったから(点滴のことをこういう)、ナースにそっから麻酔をすぐ入れろ!って怒鳴ってね、それからは修羅場さ。消毒液を腹にぶちまけて、いきなり妊婦のお腹にメスで帝王切開だ。
 えー、麻酔効くまで待たないんですか?
 バカだな、お前ら(外科)みたいにそんな暇ないさ(笑)
 赤ん坊の顔を見るまでいかに早く子宮に到達するか、で決まるんだ。母子とも死ぬか、二人とも生きるかだぜ。赤ん坊が外に出て泣き声を上げたとき、俺らは一気に脱力するんだ。ああ、よかったな、と。

 私は若かったこともあり産科医の衝撃的なその話を20年近くずっと忘れないでいる。
 それ以来、ほとんどの産科医が元気な赤ちゃんの泣き声を活力の元にしているので、過酷な勤務に対し異を唱えないのだろう、と畏敬の念を払っていた。
 ところが最近は、彼らが全力を尽くしても芳しくない結果に終わった場合、医療訴訟が待っているのだ。

 ウンザリするくらいの医療訴訟の報道だが、全体の8分の1ほどが産科関係の訴訟だそうだ。ご両親としても出産時に事故が起こり、大切な赤ちゃんになにかがあれば怒りをおさめられないのはわかる。少子化が進み一人一人の赤ちゃんの価値が上がった、といううがった見方もある。しかし訴訟数は全科および産科医構成人数を考えても明らかに高率である。その事実を知ってかどうか、卒業する医学生は産科になることを敬遠する。ますます、現有戦力の産科医の負担が増え、事故の確率が上がる、全くの悪循環ではないか?
 
 産科ほどではないが外科も同じような思考で、志望者が減っているそうだ。いわゆる医療界の3Kだろう。(きつい、きたない、きけん) 医学生たちの卒業後は需要と供給のバランスには無頓着に訴訟にいたらない科を選択する傾向に拍車がかかっている。これで医療が大崩壊しないのが不思議だ。人気や自由意志だけで各科を選択できる今のシステムを変えないと今に手痛いしっぺ返しをくらわされないかと心配している。職業選択の自由は憲法で保証されているので、強制はできないが、患者数や地域性なども考慮して医学生をある程度需要配分する、(卒後の進路を誘導すると言い換えてもいい)ようにしなくてはとも想像するのだが、一筋縄では当然いかない。

 私は先の産科医長のような方だったらたとえ肉親に事故が起こっても納得するだろう。それは彼の働きぶりをいつも見ていたからかも知れない。一生懸命任務を遂行してもそれでも力及ばないことだってあるし、ミスをするのが人間だ。「彼はあれだけやってくれたのだから・・・」とあきらめと同時に感謝の念を送るだろう。
 だが外来からくる患者と医師の心のつながりは、はかないくらいにか細い。

 外来で説明する時間がもっとあったら、病棟でもっと話し合うだけの時間があったら、これほど訴訟など起こるはずがない。別にさぼっているわけでなく十分な時間が割けないほどそれほど患者さんの数が多いのだ。

 どんな世界にも糾弾されるべき異端児はいる。
 職務怠慢、能力が足りない、適応障害などだ。
 報道も「こんな許せない奴らがいましたぜ」という御注進のような記事でなく、構造的に問題があるなら是正するような見解をのせるとかプラスに働くような書き方をして欲しいものだ。

 医師と同じようにモラルを中核に据えた職業(警察官・自衛官・消防士、教師もこれにはいるだろう)はきびしい21世紀が待っているのかも知れない。最上の結果が出て当たり前、少しでもミスをすれば水に落とされよってたかって石を投げられる。それを支えるのはモラルだけとなると、小中学校の自由教育では、果たして次代の素晴らしい子供たちは育つのだろうか?

 一番モラルを要求される政治家(このくだりまで「モラルの必要な職業」の中に思いつかなかった・・・笑)の皆さんにどう考えていらっしゃるか、ぜひ聞きたいところだ。


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2005年6月8日水曜日「クロースアップ・マジック」
 クロースアップマジックが人気だそうだ。身近なものを使って最近TVでよく出るあれである。テーブルの前でコインやカードやらを使って、ありえない現象をプレイする。縄抜けだの人体消失だのイリュージョン系ではなく、観客の目と鼻の先で行うのに、じっと見ていてもだまされる。「だます」という言い方はマジシャンに失礼だ。見事に演じ、やってのけると言うべきだろう。
 さらに、カメラワークでマジシャンの後ろからも映像を流すことがあるが、それでも私達はタネを指摘することができない。素人のわれわれの目からは見破るのは至難であるようだ。
 
 プロのマジシャンとはそういう異能の持ち主なのだろう。そのテクニックはいろいろ秘事あるのだろうし、私などがあれこれ想像してもらちがあかない。今回はその種明かしを取り上げたいのではない。以前、あるマジシャンが書いていた随筆を読んでなるほどなと思ったものがあった。
 
 マジシャンがインタビューを受けると決まって俗な質問が浴びせられるらしい。それは
 「そんなに手先が器用ならスリにもなれますね」
 というものだ。マジシャンにとっては当然面白くはなかろう。そこで、こう切り返すことにしているという。
 「あなたは短距離走の金メダリストに『そんなに足が速ければ泥棒になれますね』と聞くのですか」
 なるほど、この切り返しはスマートである。
 
 そもそも、犯罪者になるかどうかはその人間の性根と資質の問題であり、取得した技能はどんなことであってもなんの関係もない。あれだけ作品中で人を死なしてしまう推理小説作家に一人も殺人者がいないのも同じである。(実はバレてないだけ?・・・笑)
 もちろん、犯罪に利用するために技能を磨く「やから」はいるだろうが、それも各人の心性の持ちようで、マジシャン全般に多いわけではない。警察、医療界に悪徳刑事、悪徳医師がいたとしても大多数ではなく少数であるというのと同じだろう。だが、マジシャンが嘆くのは「もともと人をあざむく」側面があるゆえ、人様から誤解を受けやすいところだという。
 つまり、特化した技術は人間の限界を求める(アスリート)ことや人生の重みを解明してくれる思想家(哲学者・文学者・宗教家)ならば皆は信じるが、トリックをしかけるもの(奇術家・ミステリ作家)はその性根まで信用されないということであろう。
 じっと見ていてもだまされる・・・だから、こいつは怪しいヤツだ・・・このうろんな行為がプレーヤーの心性にまで波及するというのは残念ながらいたしかたないのだろうか。とかく人間はレッテル・ラベルを貼って人物を見ないと安心しない生物のようだ。
 
 しかし、これから、だましますよ、と言ってくれるマジシャンを信用しないで、「私を信じなさい」という態度のあやしい新興宗教教祖にひとたまりもないというのはどういうことだろう?どんな人の悩みだの運命だの、予知ができますだの、一目見ただけでその人の家庭だの洞察するというふれ込みの教祖。私は超常現象を信じない質だから、おおよそそのトリックの見当がつく。恐ろしいことに新興宗教はそうはいかない。下手をすると身ぐるみはがされるのだ。私が一つあなたをだまして見せよう。

 初めまして。こちらはインチキな新興宗教ではありませんよ。自己啓発セミナーなのです。呼吸法と瞑想を極めれば宇宙の真理と一体になれますよ。いいですか?
 ・・・そんなわけないでしょうって。・・・いやいや、それでは私と呼吸を合わせてみましょう。・・・おやおや、そのお洋服では呼吸はうまくあいませんな。・・・そうだ、今日はあなただけ特別に体験講座としましょう。もちろん無料のコースです。ささ、こちらへ。さあ、このロッカーをお使いください。カギはこちらです。このトレーナーに着替えて。もちろん無料でお貸しします。・・・用意はできましたか?はい・・・、こちらの特別室で、少々お待ちください。

 ・・・お待たせしました。さあ始めましょう。
 おお、初めての方でこれほど飲み込みの早い方はめずらしい。前世はさぞかしステージの高い方だったのでしょう。現世でも修行すればすぐにランクが上がりますよ。
 ・・・ああ、人を導くお仕事をされているのですね、教職はご立派です
 ・・・なぜわかったって?ハハハ、呼吸が合った証拠ですよ。
 ・・・しかし残念ながら今のあなたは業病に悩まれている・・・そして、今飲まれているお茶ではなかなか治らないようです。もちろん病院の薬でもね。私どもと修行をしてここの「気」を注入した食品をお求めになればすぐによくなりますよ・・・え、病気やお茶のことまでなぜわかるって?・・・簡単です。これが私どもが研究している宇宙の真理ですよ。

 これくらいは、度胆を抜かなくては教祖にはなれない。これでこの方は入信なさるだろう。が、タネは簡単である。いつぞやの手口「スキミング(コラム「スキミング犯罪」参照)」である。ロッカーにしまった持ち物をマスターキーで部下に開けさせ、財布、名刺入れ、身分証明書、運転免許をすべてコピーし、キャッシュカードやクレジットカードもスキミングして複製し痕跡を残さずもとに戻す。最近は病院でもらった検査データも財布に入れてある方が多いから、これで一発で病気もバレる。キャッシュカードの暗証番号は(最近は減ったが)運転免許に記してある生年月日を組み合わせばまず当たる。残高をしらべ経済状態を盗み見する。この方が裕福でカモと知れれば、あの手この手で預金を巻き上げるわけだ。大事なことはお金を勝手に引き出したりは絶対にしない。そんなことをすれば一発で足がついてしまう。情報のみ盗めば十分である。カモから自らお金をさし出すようにしむければよいのだ。この方はたまたま健康茶の領収書まで財布に入れてあった。名刺でこの方の交友関係も手に入る。体験講座をうけたばっかりに個人情報が丸裸にされてしまうのだ。

 これは極端な例かも知れないが、すべての不可思議な現象にはトリックがある、といっていい。百聞は一見にしかずというが、人間の目ほど当てにならないものはない。え、そんなことはない?徳の高い方で必ず人智を越えた力を持つ人がいるとおっしゃる?この目で見た、って?

 ・・・あなたはクロースアップマジックのタネが全部おわかりになりますか?「だましますよ」と言ってマジックする人のタネがわからないのに、そんな節穴だらけの目で「信じなさい」という人のトリックを見破ることはできないのではないですか(笑)人の「心性」を見抜くのはもっとむずかしいが。
 
 私は民間療法のみならず、今回は新興宗教まで敵に回してしまったようですね・・・くわばら、くわばら


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2005年10月23日日曜日「ちょっとした助けがあれば」
 「今よりずっと若かった頃、誰の助けも必要じゃなかった」 Beatles 「Help!」より

 医者になってからのことだと記憶しているが、ある夜突然歯が痛んだ。猛烈な痛みでとても寝られたものでない。うずくとか拍動痛というのはこんなものだろうとおぼろげに思考していたが、なによりともかく痛みを止めてほしい、医者はどこだ!と叫びたいほどだった(笑)
 かろうじて救急車を呼ぶことはこらえて、家にある鎮痛剤を物色したら、そこそこの効き目のブツが薬箱にあった。速く効かせようと3倍量くらい飲みたかったが、一応、医者の端くれなのでそれも我慢して取るものもとりあえず薬をあおった。その後布団をひっかぶってひたすら効いてくるのを待つ。神経を歯に集中させないようにして羊の数でも数えていると、次第に鐘を突くような痛みが遠のいていった。痛みに極端に弱い私としては、なるほど、鎮痛剤は実にありがたいものだと感動した。このように、痛みを取る、興奮しているのを落ち着かせるなどの急性の症状を抑える薬はハタ目にも自分が使ってもその効果は目に見えるので強い説得力を持つ。

 Please ! please Help Me!・・・「Help !」より

 ところが、慢性疾患には薬が効くという実感があまりない、と感じる人が大部分だろう。もともと、まるで症状のないものがほとんどだ。慢性疾患とは健康診断で「あなたは糖尿病、高コレステロール血症、高血圧のおそれがあります」と言われ仰天してしまうやつらである。この三つが現代の業病とも言えるのだが、全く症状がないので、宣告された方はほとんど半信半疑となる。しかし、健康診断で精密検査を受けろ、と書いてあるのでしぶしぶクリニックで精密検査を受けると
 「そのとおりですね、はい、血糖を下げる薬、コレステロールを下げる薬、血圧を下げる薬ですよ」とどっさり薬を渡される。何がなんだかわからないうちにベルトコンベアに乗せられたよう。
 
 冗談じゃない、俺は何の症状もないぞ、昨日も腹一杯食べて、酒飲んだ。ご飯はおいしいし、酒はうまい、こんなオレが病気であるもんか、薬なんか飲んだってしょうがねーや。さらに医者からも薬局からも「このような副作用のきざしがあったらすぐに受診してください」と追い打ちをかけるようにおっかないことを言う。ここでさらに頭に来る。なんの症状もない上に、薬飲んだばっかりにきつい副作用が出た日にゃ踏んだり蹴ったりじゃぁねぇか、薬なんか飲むのはやめだやめだ!

 「くよくよすんなよ、悲しい唄でも歌ってりゃ、そのうちよくなるよ」・・・Hey Judeより
 
 その通りである。人間痛かったり苦しかったりしなければ、医者の脅しなんぞに絶対に屈しないものだし、足が遠のくばかりだ。実際、患者さんも堂々と「病院ってあんまり来たくないところですからね」とおっしゃる方もなかなか多い。それでもかろうじて来院されているということは大変ありがたいのだが。

 自覚症状のない患者さんを説得するこの辺の呼吸は非常に難しい。恫喝しても、下手に出てもよろしくないことは一目瞭然である。昔は
 「ふむふむ、ああ、これはかくかくしかじかの病気じゃな。うむうむ、それではこの薬を飲まないと治らないのじゃ。よいですか、しっかり飲ませるですぞ」
 と言われれば、お寺の鐘が鳴るたびに薬を煎じて飲ませなくてはならなかった。それだけ患者の行動をしばるカリスマは昔の医師にはあっただろう。しかし、逆にあれこれ余計なことを言わないことがそのカリスマを高めていたのではないだろうか?

 ご存じの通り神医でない限り医療に絶対はない。過去にはよかれと思って最前の治療をしても、それが医療ミスでなくても、芳しくない結果になったことは一定の確率で起こったことだろうし、生命に対する医学の守備範囲もそれほど確実ではなかった時代なら仕方がないとあきらめるむきもあろう。(その確率が低いほど名医ということになるが)過去には「すべて先生にお任せします」という患者側からの白紙委任状の状態が長く続いた。患者医師の蜜月時代ということならそれも一つの表現だろうが、ぬるま湯につかっていたと言われても一言の反論もでない。医療はかなり最近になるまで独立独歩、我流やしきたりで行われてきた感が強い。
 
 これこれこういうときにこの薬を縦横無尽に使うというコーディネーターの役割はもはや医師でなくてもいい時代になってしまった。TVを見ては「これが体にいい」と健康食品を買いあさる、私が切望した痛みを止めるなどの体にモノをわからせる薬もドラッグストアでも買えるしネットでも簡単に購入できる。そこには医療に対する期待と思い入れはない。この要求を出せばこの結果が出るという自販機、開いててよかったのコンビニの世界である。
 そのような医師患者関係を築いてしまったわけは、今まで忙しいといい説明をはしょる、真摯な姿で話さない、などが考えられそれが医療を斜陽にしてきた根本かも知れない。医師がカリスマ性を取り戻さない限り慢性疾患の指導や服薬などはこれからはできない、といっていい。

 アカウンタビリティ(説明責任・義務)と呼ばれる態度が医療にも求められて久しい。医療におけるアカウンタビリティとは、この治療をした場合、利益はこれくらい、マイナスはこれくらい、副作用はこれくらい、等々をかんでふくめるように話さなくてはならないということだ。
 文字通りの情報公開であり、私は基本的にはこの立場に賛成である。私が患者だったら、自分が飲む薬、受ける治療について当然の要求であると思うからだ。だが、これだけ薬の種類が増えるとすべての飲みあわせ、副作用に熟知することは不可能である(できているDrもきっといるのかも知れないが)ましてや医療は薬の調合だけでない、最新の医療知見、手術法、前回紹介した消毒法などの温故知新などもそれこそ知らなくてはいけないことだらけである。こんな駄文を打っている場合ではないかもしれない(笑・・・うところでは、やはりない)
 医学の新知識はまさに玉石混淆で、山のようなもっともらしい研究発表の中で検証や批判に耐え、生き残る真実はほんの少しばかりである。

 患者さんのキャラクターも十人十色である。
 慢性疾患に対してどのような心構えでいるのか、数値目標で満足するのか、会社の検診で指摘されたから仕方なく来院したのか、真剣に病気と向き合うのか、近親者を慢性疾患で亡くしたから恐怖しているのか、さまざまな背景がある。はたまた経済的にはどうなのか、そして、一度飲み始めたら生涯服用し続けなくてはならないと堅く信じ込んでいる方もいる。全く自覚症状のない患者さんを服薬まで説得するのは単に医学知識を振りかざして脅しをかけるだけでは当然よくないはずだ。

 病気が治るという喜ばしい結果はつまるところ自助努力ではないだろうか、といつも思ったりする。
 天は自ら助くる者を助く、とは名言である。
 症状がないのに病院に来なくてはならない、どうしよう、医師の説明を聞いたら、薬だけでなくやっぱり生活態度を変えなくちゃならないんだと言われたよ。ちょっとは頑張ってみるかな、そうすれば薬を飲み続けなくてもよくなるかもって言われたしな・・・

 そう、それであなたは病気を克服する第一歩を踏み出したわけだ。私達はそれを挫折しないように見守るのが主な仕事と思っている。決して仲のいい友人にはなれないだろうけど。

  他にもう一つBeatlesの曲を紹介しましょう。「With a little help from my friend」(友達のちょっとした手助けがあれば・・・)って曲も佳曲でしたね。

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2006年1月18日水曜日「南極老人星」
 カノープスという星をご存じですか?
 りゅうこつ座という聞き慣れない星座の主星である。通常の視力で見える空の星は6000個(関東地方では空が明るすぎてまず無理だが)その中で1等星といわれる明るい星はわずか20個である。
 カノープスはそのエリート集団の1等星の中一つである。全天一、明るいおおいぬ座のシリウスは有名だろう。冬の南の中天にひときわ明るく、ぎらぎら青白く強くまたたく星である。オオカミの目のようであり、「天狼星」といわれるゆえんだ。
 さて、くだんのカノープスはシリウスに次いで全天第二位の明るさの星である。しかしあまり有名でないのは、二番目に長い川や山が知られていないのと同じことなのだろうが、それ以上に理由がある。
 
 カノープスは日本の南半分でしか見ることがなかなか出来ない。そのわけは天空のかなり南の方角に位置しており、地球が傾いているため南の地軸の延長上に近い星は日本からほとんど見えないからだ。かの有名な南十字星(サザンクロス)も同様の理由で東京からは永遠に見えない。
 カノープスは普通に見る分には東京あたりが北限だろう。ひょっこり顔を出すのも地平線ギリギリ、真南の方角が開けたところで雲一つないそういう条件下で初めてみることができる。東京において最大地上から離れること角度にしてわずか2度、もし山並みがその方角にあればまずアウトである。
 2度というのがどれくらい低いかというと地平線から太陽の直径二つ分である。だから、おそらく関東圏内の方はみたことがなく、天文ファンですらお目にかかることはすくない。

 古来より中国ではこのカノープスを「南極老人星」とよび、滅多に拝見できないためか、見ることができると長寿が約束されると珍重されてきた。ちなみに南極老人とは日本では七福神の寿老人のことである。(沖縄まで行くと10度くらい高度が上がるのでひょっとしたらご覧になったこともあるかも知れない)

 南の空ではひときわ明るく輝く白い星という、がわずかに見える関東地方のカノープスは赤く暗い目立たない星になる。必ず大気層を横切って見ることになるので、夕焼けの中の太陽がまっ赤になり、まぶしくなくなるのと同じ理屈だ。よってますます知名度がない。

 私は小学校時代このカノープスにあこがれて星図で確認し、その「探し方」も熟知してから、何度も何度も冬の空の下に立った。が、どうしても見ることが出来なかった。関東の地平線はビルが林立しており、ネオンも明るく恥ずかしがり屋のカノープスをかき消してしまうのだ。少年はあきっぽい。そのうちにカノープスを追うのをやめた。長ずると天文そのものにも興味が薄れすっかりそんなことも忘れて成人した。が、「カノープスよ、そこにいたのか」と感動の中で会うことができたのは実に30代になってからだった。
 
 大学勤務中の秋のある日、伊豆のさる病院で手術を依頼されることになった。海沿いに立つその病院に出張して、手術を無事に終え、同僚の医師たちとその夜は一杯やって、風呂は伊豆なので当然温泉であった。いい気なものであるが、その温泉につかりまさに極楽気分であった。その日は一泊したのだが、翌日の勤務のこともある。どうしても朝一番の電車で帰らなくてはならない。少々きついと感じたので、早々に飲むのを切り上げて、あてがわれた病院の当直室のようなベッドにもぐり込んだ。
 
 そこは海に面しており潮の香りと波音が心地よかった。アルコールも入っているのですぐに熟睡したが、夜半過ぎふと眼が醒めた。その辺はよく覚えていないが、しこたま飲んでいたのでおそらくトイレだったのだろう。用を済ませてベッドに戻ると、もともと年寄りじみているのか一度眼が醒めると容易に寝つけない。本でも少し読もうかとライトをつけようとしたら、窓の外にきれいな夜空が広がっている。海は静かであり、雲もなく月もでていない。すでに夜遅いため、夜空は秋の星座から移っていて冬のおなじみの星々が並んでいた。
 シリウスやオリオンが一層の強い光で輝いている。
 「ははあ、この方角が真南なんだ。すると・・・もしかしたら」
 私は遠い記憶を呼び覚ました。
 カノープスの探し方である。「おおいぬ座のの足を下に伸ばして・・・そして・・・おお!」

 水平線すれすれに赤くなんの変哲もない星が重たそうにそこにいた。
 間違いない、あれほど恋いこがれたカノープスである。全天第二位の明るさを持つカノープスは地上(水平線上)ギリギリのため無惨にもゆらゆら揺れて赤黒い星になっていたが、私はかなり長い間呆然と見つめていた。
 
 偶然がいくつもいくつも重なって私はカノープスを見ることができた。

 この日は晴れていた、海にガスもなかった、この時間にふと眼が醒めた(きわめて喜ばしい偶然だ)、南に窓があった、水平線が開けていた、東京より0.5度ほど南に位置していた(たったそのくらいでもかなり有利だ)、その日手術で出張して泊まった、それなのに、眠りにつくまでカノープスのことなど脳裏のどこにも存在してなかったのだ。(ちょっとでも考えていたら興奮して眠れなかったろう。)
 
 このいくつかの偶然が重なってカノープスに会えることができた。このうちどれか一つかけても見ることができないのだ。その確率は何パーセントだか知らない。
 
 これが「穴あきチーズ」理論、であろうか。
 穴あきチーズを何個か重ねると、偶然穴がぴったりそろって向こうが見通せる・・・かもしれない。
 「そういうことがないこととは言えない=人為的ミスが起こるときはありえないようなちょっとしたミスがいくつか重なって起こる」
 という理屈だ。医療ミスを語るときにたまに引き合いに出されるこの理論を思い出し、そして私はその実践に狂喜した。(・・・は大げさかも知れない。たかが星がみえたかどうかのこと。そんなに見たけりゃオーストラリアでも行けば年中見られるわけだが、そういうことなかれ。これを関東で見るのが天文ファンのオツなところである)

 カノープスが見られる偶然なんて人にとっては痛くもかゆくもない。正直どうでもよいことだ。だが、このような仮定はどうだろう。
 
 我が国では約1万人近くの方が年間交通事故で亡くなる。不幸にも即死であったなど、病院に担ぎ込まれなかった方達は、事故当日の朝、目がさめたときには、まさか自分の「生」が終わる、どん詰まりの一日の始まりだとは夢にも思わなかっただろう。家族にしても最後の会話はどうだったか思い出せる人も少なかろう。
 目を世界に転じればテロだの大震災だのまさに一寸先は闇といえる。
 病気や入院中ならいざ知らず、自分や家族や周囲の人達から少しでも予測されずに突然の死亡される方はそれこそ無数にいるだろう。
 世の中のさまざまなことはすべてちょっとした偶然の積み重ねで九死に一生を得たり、逆に死んだりしている。・・・あの時一本早い電車に乗っていたら、・・・あの時横断歩道まで歩いていたら、・・・あの時エレベーターのドアが閉まるのに間に合っていたら・・・
 
 カノープスを関東で見た、という事象も、交通事故にあって死亡するということも根っこでは同じありえないほどの小さい偶然の積み重ねでそれらはてっぺんに現れた具象化にすぎない。

 そういう風に考え始めると、日頃の医療も「この時この医者に出会ったから命が助かった」、または「命を失った」ということも神の目から見たらそういう分岐点があるだろうと思う。
 まさに患者さんにとって命を左右する「チーズの穴」があるのではないだろうか?自分としてはなんとか患者さんにいい目がでるように接していきたいと思っているのだが・・・

 カノープスが関東でもしかしたら見られるかも知れない、そういう時期につまらない考察をした次第である。

 我々の土地では2月上旬午後21時過ぎに最も南の空低くカノープスは現れる。長寿と興味のある方はぜひにご覧になってください。
 (でもなかなかみつかりませんよ。元天文ボーイより


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2007年01月31日水曜日「偉大なる詐欺師」
 ネットで掲示板はあまり活用しないが、医師のサークルは時々のぞいたりする。そこではいろいろなスレッドが立っていて、私がよく見るのは新しい治療法やトピックスについての意見のジャンルだ。
 
 医学誌では自分の欲しい情報が常に掲載されているとは限らず、隅から隅まで目を通すことは時間の無駄だ。それに比べネットだと強力な検索機能があり、本の索引を活用するより効率的である。
 そして、私なんかよりはるかに勉強している医師が「こんな論文もありましたよ」と丁寧にリンクも張ってくれるので本当にありがたい。これだけPCが発達すれば早晩専門的な学会誌でも紙印刷は必要なくなるんじゃないかとも思っている。(紙ゴミ増えるし邪魔だし)

 さて、この間、熱傷や創傷の治癒のさせ方のトピックスについて掲示板を見ていたら、途中きてれつな書き込みが割り込んできた。多くのドクター達は最近の知見にのっとって意見を開陳していたのだが、割り込んだその人はなんと「ミネラル水」を使えば、すぐ治癒すると主張するのだ。
 
 なるほど、最近では傷の消毒には従来の消毒法はすたれており、生理的食塩水でもなく水道水でもよい、との意見が多い中、そうかミネラルウォーターか、それでもまあよいのだろうな、とふと思ったらさにあらず!その先がふるっていた。

 すべての現代病はミネラルの欠乏からおこる。
 糖尿病、高血圧、癌、すべてミネラルの欠乏!
 末期癌でも遅くない、ミネラルを補充すればどんな癌もたちどころに治癒する。私は14年間2万人もの患者を治してきた。
とカキコしてくるではないか。よく読むと重症のやけどもそのお薦めのミネラルを飲めば治るといいたいようだ。

 こりゃ、イっちゃってるのか?
 と私も思ったし、サークルに参加している良識のあるドクター達も一斉に反論した。これが、すこぶる面白いのだ。と面白がっちゃいけないのだが、三文小説や下手なコラムなんかより(ん?)はるかに読み応えがある。

 孤立無援のミネラルドクターに対して、常識派連合軍ドクター達が理詰めで質問してくるやりとりがメインだが、そのミネラル氏、のらりくらりとかわし、舌鋒鋭い医学的な質問には直接答えないばかりか、逆に常識派達を
 「保守守旧派の間違った医学教育を受けたかわいそうな医者達」
 と決めつけ哀れむ始末である。
 そんな中傷を浴び、激怒した常識派の方々も当初の問題にそっちのけで、ミネラルドクターの挑発に乗っかってしまった様子だ。理知的に判断すれば、ミネラル派(といってもその氏だけだが)はトンデモのたぐいで、普通の感覚の持ち主ならおよそ信じられる説ではなく、くだんの「あるある大辞典」よりタチが悪い。
 
 なぜなら医師免許を持っている人が現代医学の常識から外れて、かってな治療を行っているからその罪は重いのだ。その観点からも、場外の野次馬だった私もミネラルドクターの肩を持つことは絶対にしなかった。

 ここではその真偽を問うのではなく、なるほど判定者のいないディベートの勝ち方とはこうなんだろうな、と私は変なところでいたく感心したことをまず述べたい。
 
 それは、とにかく、ミネラル氏は論点をずらすのがめちゃくちゃうまいのだ。
 うまいというより、誤字脱字を混ぜ込み、主語述語をあいまいにし主張をすこぶるわかりにくくしている。彼の文章はそこでも指摘されているように「中学生でも書かないような」悪文だ。
 質問者達があんぐりして「こりゃ相手にしてもダメだ」と疲れてくると、いきなり論理明快になって反撃してくる。反撃と言っても医学的ではなく、哲学的な部類にはいるのだが・・・
 
 まともな学問的論争ができないとわかると、あほらしいのか一人去り二人去り、こうなると不思議なもので、常識派は雪崩をうって撤退していく。まるで、自爆テロに辟易していたイラクに駐留する連合軍みたいだ。相手が(あきれて)いなくなり、論争が終了すると、「新しい医学の夜明けだ」と勝手に勝利宣言する始末。私は空恐ろしくなった。
 
 してみると、彼の「悪文」はわざと書いて、それを誘いの隙にしていたとしか思えない。ちゃんと書けるのだ。本当に攻撃されると困るところをあいまいにするために、煙幕を張っておとりの種をまく。そこに引っかかると、真の問題がぼやけてしまうと、ミネラル氏は知っていたのだろう。私は「朝まで生テレビ」に出演していた頃の元オウム真理教上祐史浩氏を思い出した。彼もオウムの事件で、コメンテーターから突っ込まれても言いよどんだり、歯切れが悪くなったことはない。意味不明でもきっぱり言い切り反論し、そして論点をはずしていく。

 この人にかかったら患者さん達はひとたまりもないな、と同情してしまった。なにしろ、一応、医学博士らしいのだ。うまく行ったら「新医学の神」のごとし、うまく行かなかったらあらゆる医学知識を動員させてたぶらかす。そんなことは赤子の手をひねるよりたやすいだろう。それに、彼は自信を持ったことに違いない。なにしろプロの医師達をもネット上とはいえ黙らせたわけだから。

 医学は再三申し上げているとおりあいまいな学問である。だから、絶対の方法や治療は存在しない。癌だって自然治癒することがあるくらいだ。それは治療する前から知る方法は今のところはない。だから、癌は見つけ次第治療するか、切除することになる。ところが、なんらかの理由で治療を拒否した人たちを追跡すると、一定の確率でなにもしてなかったのに癌が消えるか育っていないことがわかる。(もちろんほとんどは進行癌になるのでまねをなさらないよう)
 
 私はミネラル氏や他の代替療法の提唱者はたまたまこのようなラッキーな症例のみ「治した!」と喜んでいるだけだと思っている。ミネラルだろうが、アガリクスだろうが、爪の垢を煎じて飲んでも治ったかも知れない。
 いい記憶だけ残していけるとてもおめでたい方たちが存在することはうすうすご承知だろう。皆さんの回りにもきっといると思う。たまたまそれが医師だったり、しかも思いこみの激しい人格異常者だったりするとこのようにとんでもないことになる。

 以前コラムで名医の笑い話を載せたことがある。自分の患者の半分はほっといても元気になる。後の半分は世界中の名医が来たって死んじまう。だからオレは酒を飲んでいるんだ。という話。
 現実はそれに加えて、「死なないと思っても死んだ」、と「死ぬと思っても助かった」の計4種類のパターンが存在する。医師の介在でよかったと思われるケースは「死ぬと思っても助かった」のケースと「死なないと思っていた人」を死から救ったケースだ。

 許せないのは「ほっといても元気になる」人たちにわけのわからない治療(?)をし、「死なないと思っていた」人達を死に追いやり(かつて重症糖尿病の子のインスリンをやめさせて、得体の知れないものを飲ませて死なせた事件があったがこれにあたる)「死ぬと思ってた人」たちを治療させないで死なせる(これは文句が出ないからさらにタチが悪い)ことである。

 どうか皆さん、医学博士といえども論文にない治療法を言い出したら信用してはいけません。新しい治療法はなんでも最初は思いつきだったろうが、研究を重ねて学会で発表し、他の医師の意見を聞き、論文という場で公開する。そしてその検閲をクリアしてきたものは一定の信用を得ている。
 
 治った人の体験談を百万聞かされてもあてにならないし、それを持ち出すこと自体信用ならないと思うべきである。効果のある治療法なら、体験談の必要がないことくらいみな理解できるはずだ。このコラムを辛抱強く読んでいただける方々には一人もいらっしゃらないと信じてはいるが。

 注=タイトルの「偉大なる詐欺師」は誉めているのではなく、私の好きなking Crimsonの曲に引っかけてタイトルにしただけです。
 1974年「Starless and Bible Black」より「Great Deceiver(偉大なる詐欺師)」
 うーん、最凶(←誤字じゃありません。聴くと不安感満載でキケンです)の名曲です。


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2007年07月28日土曜日「アレグロ・ハミングバード」
 基本検診の季節である。

 外来で「ちょっと体重オーバーですね」とメタボリック症候群の方に説明する機会も多い。が、そういうDrがそもそも肥満だとらちもない。タバコのにおいをさせて「禁煙しなくちゃ死んでしまいますよ」とのたまう説得力のないDrと等しい。
 そこでBMI(ボディ・マス・インデックス=体重指数)を計算してみた。これは簡単な計算だから、皆様もぜひ試してほしい。体重(kg)を身長(m)で二回割るだけだ。あなたが22なら標準。18以下なら「やせ」25以上なら「でぶ」だ。
 さて、最近、体がやけに重いと思ったので怖かったがヘルスメーターに乗ってみると、結果は火を見るよりも明らかだった。しっかりウエイト・オーバーである。計算すると29強。標準体重が22だから、身長からすると、これは20数kgのあぶらみがみっしりとついている勘定だ。これは・・・としばし絶句した。これではいけない。

 痩せることにした。いや痩せなくてはならない。

 結果はというと、ここにこうして、記せているので、うすうす感づかれることかと思うが、今のところ順調に経過している。もちろん、失敗したらダイエット報告など闇から闇に葬り去るだけだから意気揚々と書いているわけだが。それに、大々的に公表して自分を追い込んで、リバウンドを防ごうとする意図もあるのだ。
 
 4ヶ月で12kgの減量した。
 
 それでも、まだ路なかば、である。あと3kg減量で過体重のエリアから抜けられる。この先はますます急峻な悪路が待っていると思うと、げんなりするが、半面減量を楽しんでる余裕が出てきた。こうなると、まずうまくいく可能性がある。

 断っておくが、医療従事者だからといって、ずるっこの方法があるわけでなく、禁制の薬物などは一切使っていない。減量に王道はない。食生活の見直しと運動、これだけである。
 
 なぁんだ、と言ってはいけない。「それができねぇから苦労するんじゃないか」と言われると思う。実際、そんな当たり前の本を書いても売れっこないから、タイトルに「○○で痩せた!」とホントかどうかよくわからない本が次から次へと店頭に並べられては姿を消す。だが、そういったたぐいの本にロングセラーがないこと、それが、嘘っぱちの証拠である。
 なるほど、医学的に見ても極端な話、一品にこだわり栄養の偏ったものばかり食べていれば痩せもするだろう。だが、人間は同じものばかり食べていられない動物だ。あれも食べたいこれも食べたい、私もそうである。だから、あるダイエット食品で一度は痩せても、それをやめてあれこれ食べ始めると必ず元に戻ってしまう。それに何度も何度もだまされた方はいませんか?

 私も過去一度食事療法のみで15kgほどの減量はしたことがある、が5〜6年かけて元の体重に戻っていってしまった。そのわけは先ほども記したように、人間はあれこれ食べたい生物なので、食生活はいつしか食欲のままの量を摂取するようになるからだ。
 ダイエットが長続きしない有力な説の一つに体重セットポイント説があって、何も考えずに好き勝手食べていると、その人の遺伝子が決めた体重になるように体が食物を要求するというのがある。だから、太っている人はだらしないから太っているのではなく、遺伝子が太る体を要求しているのだと考える人もいる。

 加えて、酒など飲むと、歯止めがきかなくなる。飲んだ後にラーメンが食べれることなどの暴挙はその典型例だ。

 前回のダイエット失敗の反省として、真っ先に思いつくことは積極的な運動を取り入れなかったことだ。運動と言ってもジムに行くとか、ジョギングをするとかではない。医学的に言うところのダイエットと組み合わせる運動は有酸素運動を指す。
 それはウォーキング、水泳、水中歩行、体操、サイクリングくらいまででテニス、バドミントン、登山など「息の切れる」運動はしない。太っているとそれらはまず長続きしないし、それをすること自体苦痛になる。
 今回は食事を見直すことももちろんだが、継続して運動することを主軸に置いた。通勤の時も一停留所手前から歩く、駅の階段を使う。エスカレーター・エレベーターはなるたけ使わない。
 そのように決めてから、「歩行運動」を始めた。
 
 まず、バス通りをまっすぐ歩く、20分くらい歩いて、バスで帰ってくる。それを繰り返した。最初のうちは自分の限界を知るためだ。歩くことがつらくなってしまっては長続きしない。が、ただ歩くだけではすこぶる退屈だ。そこで強力なお助けグッズとして、万歩計とポータブルデジタルオーディオプレーヤーを購入した。
 結果的にこれがよかった。もちろんipodのようなかっこいいのが欲しかったがそいつは高価なので、国産型落ちの安いたたき売りのを量販店で購入してきた。(数千円で買えます。○イクロ ダイエッ○を買うより安いでしょう)
 家にあるお気に入りのCDを移し、ゴキゲンで耳に当ててウォーキングに出かける。私はロックが好きなので、なおさらよかった。アレグロのスピード(軽快な速さで)で息切れしないように歩き続ける。ジョギングになってしまうようなつらいくらいのスピードだと必ず挫折するからだ。
 コースは飽きるので気まぐれで同じにならないよう変えていき、慣れた今ならだいたい1時間コースを瞬時に頭の中で数通り設定できる。曲にあわせてハミングできればもっともよい。それが息切れしていない有酸素運動のあかしだからだ。こうして、今は週4から5回ほど早起きして、アレグロ・ハミングバードとなり、1時間ほど飛ぶように歩く。歩いているときは涼しげだが、家にたどり着くとどっと汗が噴き出る。脂肪が燃焼したのを内蔵と腹筋が実感できる。
 いいか、これが基本だ!基本を忘れるな!そうだ!・・・グッジョブ!(お前はビリー・ブランクス*か?)

 実は運動で痩せるというのは大変困難なことなのである。60分こうして歩いたとしても約400kcal弱しか消費しない。このペースなら1kgの脂肪を燃焼させるためには22時間以上歩かなくてはならないのだ。これは大変なことである。じゃあ、運動はなんのためにやっているか、と言えば、筋肉量を維持するためである。
 食べなければ必ず痩せるのはご存じであろう。運動療法を無視した無理なダイエットでもっとも問題なのがこれである。体が必要なエネルギーは外からの補給が減ると最初に減っていくのは脂肪ではなく、分解してエネルギーとしやすい筋肉が使われやせ細っていくのだ。そうすると体重こそはぐんぐん減るが、体脂肪率が上がる、筋肉がなくなると疲れやすくなり、骨も弱くなる。また一度やせ細った筋肉はエクササイズをしない限り復活しない。だから、食事量だけ減らす減量はあまりよくないのだ。

 有酸素運動を組み込むことによって、インスリンの抵抗性(血糖値を上がりにくくする)を改善し、もっともうれしいことに有酸素運動で燃えやすい内臓脂肪が確実に減少する。すなわち肥満よりたちの悪いメタボリック症候群退治にはもっとも運動+ダイエットがよいということになる。

 今回のトライではオーディオプレーヤーが決め手であった。これなくしてはウォーキングの継続は不可能だっただろう。ロックがお好きない方はJ-popでも演歌でもなんでもよい。曲が嫌いな人はFMでも聴きながら、それもわずらわしい人は落語のCDだってある。まあそれは人それぞれだ。ウォーキングではなにか楽しみを見つけて継続することだ。そして、必ず毎日ヘルスメーターに乗ること。一日何度でもよい。太り始めると生活のゆるみがわかる。それでビクトリー!だ。(ってだからビリーか?)

*ビリー・ブランクス:2005年キックボクシングをベースに7日エクササイズで痩せられるというDVDが大ヒット。このブートキャンプのレッスンをれを始めることを入隊すると言っていた。

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2008年04月11日金曜日「頑張るな」
 頑張る、という言葉は我を張るが語源らしい。なるほど、「頑張って自説を貫く」、と辞書の例文のように使えば、意味的には重ね言葉になってしまうがぴったりくる。
 または目をつけるとか見張るという意味の「眼を張る」の音読みという説もあるが、いずれにしても、それを声に出す時は心身ゆるやかな状態になく「力を出し切れ、無理をしろ」という感じは伝わってくる。
 
 ガンバレ、はいつの時代も励ましのいい言葉として扱われてきた。
 
 小学生なら運動会で、学生なら受験勉強で、社会人なら困難な仕事を受け持った時、皆この言葉を一度ならず大音声で叫んだり、親しい人を心から応援したい時もよく使ったことだろう。
 英語では「keep it!(続けろ)」か「stick to it!(やり通せ)」になるだろうか。いくつかある励ましの声かけの中でも、もっとも日本語のニュアンスに近いのはwork hard!か?
 これこそは鎌倉武士が命をかけてがんばった、という語源の「一所懸命」に近い。織田信長は常に家来たちに「励め」と短く命令していたが、まさにこれだ。
 
 逆に軽いはげましの気持ちなら、「good luck!(がんばってね)」てところであろう。これらすべて日本語になおしたら「ガンバレ」になるが、私も予防接種に来た子供たちや、手術で麻酔する時など、いざ注射する段になると、痛みに耐えて欲しい、という気持ちをこめてその言葉を患者さんに気軽にかけてしまう。

 だが、私が一日に何回も何十回も口に出す、この「ガンバレ」と患者さんには言ってはいけない病気がある。

 うつ病がそれである。「20年後」には私もかかることが約束されているが(笑)
 
 うつ病は「心の風邪」と比喩されるくらい人口に膾炙(かいしゃ)されたが、これは風邪のようにほっといても治る、ということではなく、風邪のように誰でも罹る可能性があるそういうポピュラーな疾患である、という意味である。
 間違っても放置してはならない。
 風邪だって、こじらせば肺炎になって命取りになるのと同じく、うつ病も的確な診断と治療を受けないといつまでたっても軽快しないのだ。
 
 うつはデリケートな病気でもあり、痛かったりかゆかったりしないものだから、医療機関にかからないでふさぎ込んだままの患者さんもいるだろうし、どこかおかしいと感じて仮に病院に行ってもまず内科に行くだろうから不定愁訴(ふていしゅうそ=どこが悪いか本人もはっきりわからない状態)と言われ、疲れやなんらかのウイルス感染症と誤診される場合だってあるので、正確なうつの罹患率はなかなかわからない。
 
 近年、調査で生涯有病率(一生の間に一度はかかる確率。ちなみに風邪は100%だろう)は6〜15%ではないかとされている。これは7〜16人に1人はうつ病にかかる可能性があるということだ。なかなか驚くべき数字である。
 
 私が医大生だったころ、臨床実習というすべての病棟の科を2週間単位でローテーションする課程があった。主治医と一緒に患者さんを受け持つのだが、私が精神科を回った時、ありがたくない伝説を生んだ(らしい)。
 私の受け持ち患者さんは「境界型人格障害」か「うつ病」か忘れたが、とにかく若い10代の女性だった。その患者の方に実習生としてカルテを持って、話を聞こうとしたのだが、病気ゆえ反応がないのか、私を人間として認めていないのかさっぱりらちがあかない。このままではレポート作成もできないと思った私(?)は
 「なーに、くよくよ、してんだよ。元気だしなよ」と励ましたという。
 
 あとで主治医がその話を聞いて、「なんてことを言ったんだ」と私に激怒したとのことだ。しかし、当の私はさっぱり覚えがない。記憶喪失なのか、自覚がなかったのかもしれないが(笑)
 
 今でも同期会などでまことしやかに語り継がれているが、話としては面白いが、事実無根で失礼極まりない、完全な作り話である。
 いくら私がルール無視の劣等生でも、指導医につかず、勝手に患者を訪問したあげく、安易に「禁忌」とされる言葉を病棟で言うとは考えられない。
 当時、悪友に私がこれこれでレポートも書けないくらい患者の反応がないんだ、とぐちを言ったところ、「オマエのキャラなら、きっとこんなこと言ったんじゃねーの」と作話したに違いない。
 
 ま、坂本竜馬クラスの大人物なら、たとえ相手がうつ病でも「くよくよしてたら、いかんぜよ」くらい言うだろうけど・・・
 
 ・・・だが、繰り返しおもしろおかしく、飲み会で何度も語られると、「う、オレ、覚えてないけど・・・もしかしたら、・・・やっちまったのかな・・・」と思わないでもない。
 だから、犯罪をやってもないのに警察に被疑者としてしょっぴかれ、取調室で何度も何度も同じことを聞かれたら、頭が混乱して「刑事さん、やったのは私です」って自白する気持ちもわかる。閑話休題。

 うつ状態の人はいわばバッテリー切れの状態である。活力、行動力、思考力、判断力すべてにおいて低下している。
 頑張る、という非常用の燃料すら一滴もなく、その言葉を投げかけられても、当惑するばかりか、むしろ苦痛でもある。
 
 元気も出せなければ、頑張れもしないのだ。
 
 だから、「ガンバレと言われたけど、それすらできない。おれはだめな人間だ」と自己否定したあげく、自殺企図につながると言われている。ふさぎ込んでいる人に「頑張れ、ガンバレ」と安易に言ってはいけない理由はここにある。病棟で私がやらかしたという伝説の失敗はこれであったそうだ。
 
 高校の同級から連絡があって、うつ病で休職になった、という。
 そう言うことなら、励まさないけど酒を飲まなくては、と答えた。彼が薬を飲むことに差し支えなければ、酒を飲んだっていいのだ。あくまでも本人が望まないのなら、誘ってはいけないし、そっとしておいて先方からアクションがあったから出かけていっていい。
 
 話を聞くと、仕事での集中力や判断力が激減していたそうだ。なるほど、もともと生真面目なタイプであったために知らずに自分を追い込んでいったのだろう。
 これはしかたがないので、なにかする気になるまでじっとしていなくてはならないし、仕事のことなどは考えるだけでも、もってのほかである。いい加減な性格の私はどうやら生涯かからない方に分類されるようだ。
 
 この病気は全力疾走したあげく燃えつきているのに、体はまだ走ろうとする。そのジレンマに苦しんでいるように見える。
 正月の箱根駅伝で意識を失いつつも次の走者に「たすき」をつなげようとするランナーのようではないか。私なら、体が動かなくなればあっさり棄権するから、(だいいち駅伝でのこの状態は命の危険すらある、ドクターストップをかけてもよいといえるのでハラハラする。取り返しのつかない事態にならないことを祈っている)感動を呼ぶと言うより見ていて痛々しい。
 
 癌患者もしばしばこの気分におちいる。主治医に、家族に、友人に「頑張れ」と言われても、もう頑張れないという状態になっているのは当人が一番よくわかっているのだ。そんなときはやはり頑張らせてはいけない。痛いときは痛いと感じ、我慢しないで鎮痛を要求する、頑張らなくていい、という姿勢をすすめた方が癌治療にプラスになる場合が多い。
 
 高速道路でスピードを上げれば上げるほど、ちょっとのハンドル操作で大きく進路がぶれてしまう。現代生活はこの高速直進中のようにどんどんハイスピードで疾走し視野も狭くなっている状態に近い。何もかもが後ろに飛び去っていく。こんな時、ハンドルのあそびがなくては危険きわまりないのだ。
 また車が頑丈に作られていればいるほど、万が一クラッシュしたときに慣性の法則が働き、搭乗者が中から飛び出してしまうなど危険な衝撃を受けてしまう。
 外側は外側で適度に壊れるように作られていなければいけない。
 
 人生の舵取りには「あそび」が必要であり、いざというときは壊れやすく、絶対に頑張らない。これにつきるのではないだろうか。

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2008年06月20日金曜日「てあての効能」
 元々、てあて、という言葉は文字通り痛いところに「手を当てる」行為そのものだった。血を流すケガ、腫れた打撲に、なすすべもなかった時代は手を当てて、痛みと不安を取り除いた。
 
 子供時代は腹痛に悩まされやすい。医学が進歩した今でさえ、お腹を母親にさすってもらって、痛みが和らいで寝つくということがあっただろう。手を当てても、鎮痛効果などありえない。しかし、そのぬくもりや気持ちよさを皆が記憶しているはずだ。
 
 いつかも書いたがこの幻であり、魔法的で霊験あらたかな効果あらわすこのような行為を「プラセボ(プラシーボ)」効果と呼ぶ。
 実際は効き目のない薬を与えたにも関わらず、薬効が出てしまうことも同義だ。もともとプラシーボはラテン語で「私は喜ばす」という意味だ。医療者が「治す」のではなく「喜ばす」ために与えられた薬のことを指すところから生まれた言葉である。
 プラシーボは欺瞞的な命名であるが案外あなどれない。
 懐疑的で虚無的な人物をのぞけば鎮痛効果は3人に一人は出現する。痛み止めだよ、と言って小麦粉を練った物を飲んで痛みが消えるのだ。全く無効なものを与えられて、効果が出るというその仕組みはどうなっているのか。
 すべて解明されたわけではないが、鎮痛を例にあげれば、それを薬と信じて飲むことで脳内麻薬であるβエンドルフィンが放出されるという説がある。しかし、証明はされたわけではないのであくまでも仮説であるし、論理的な説明は未だにされない。抗ガン剤でないのにプラシーボで癌ですら小さくなることだってあるから頭を抱えてしまう。
 
 人間の心理は本当に不思議だ。プラシーボと反対のマイナスイメージの感情も存在する。
 
 きれいに洗われ乾燥しているが使い古した他人の箸を「汚く」感じ、それを使うのも使われるのも嫌うくせに、消毒したわけでない割り箸を「清潔」と感じ好んで食事に用いるのはどうしたわけだろう。
 また、きれいに洗って、一点のくもりもなくにおいもなにもないガラスのコップでも、もしそれに一度でも尿を入れたことがあると知ったら、もうそのコップを飲用に使おうと思わないだろう。
 言うまでもなく、健康な尿は無菌であり、しかもそれをきれいに洗えば尿の痕跡すら残さない、にもかかわらずそのコップはこの上なく汚く感じる。
 
 どんなに洗っても存在しない汚れを感じてしまう、この心理は「ケガレ」といい、それこそが人種差別の根底にある思想と分析する人もいる。マイナスのイメージなら、よりマイナスへ、プラスのイメージならよりプラスへ針が振れるのが人間の心理のようだ。

 栄養ドリンクを飲むと元気が出るような気がする。いや、実際出るよ、と言う方もいるだろう。私も何を隠そう、疲れるとコンビニでつい買ってしまう(笑)
 しかし、成分をみても即効性に補充される栄養素は何一つ入っているわけではないし、原始時代であるまいし、もともとビタミンやアミノ酸が足りなくなるほどの栄養失調であるわけがない。
 でも、ちょっと値段が高くていろいろ入っている方が効くのかな、などとも思ってしまう。
 種明かしをすると、飲むとシャキッとする感じは間違いなく、コーヒー半杯分くらい含まれているカフェインの効果だろう。
 第一、せっかく飲んでも実際は体に余っていて、いらなくて捨てられる水溶性ビタミンがいかに多いことかは数時間後にトイレでおしっこをするとにおいと色で確認できるだろう。
 しかし、私も含めて皆少しだけ元気になるのは確かだ(笑)

 風邪をひいた、と来院される方の中で「早く治したいので点滴をして欲しいんですけど・・・」と言われることがある。
 残念ながら風邪に効く点滴は存在しない。風邪ひいて病院で点滴したらすぐによくなったという経験をお持ちの方はひょっとしたら勘違いをされている可能性がある。点滴をしなくてもなおっただろうことは間違いないし(風邪の治癒率は100%である。風邪をこじらしたらもはやそれは風邪とはいわない)、またなかなか治らなくて来院され点滴をしたら治ったと言うのなら、治る時期にぴったり合っただけだろう。
 
 そもそも、風邪という病名はせき、はな水、のど痛、熱を起こす急性上気道炎の俗称で、周辺疾患に咽頭炎、扁桃炎、気管支炎、副鼻腔炎、こじらした場合肺炎なども仲間に入る。
 この中で明らかな細菌感染症である溶連菌による咽頭炎、細菌性肺炎などは劇的に抗生物質やその点滴が効く。この治療記憶をお持ちの方は「風邪を一発で点滴で治した」と刷り込まれたおそれがある。ご存じの通り90%ほどの「風邪」と呼ばれる病気はウイルス感染症なので、抗生物質は全く効かない。また水分がとれるなら、点滴は不要なばかりか、痛いだけ損である。
 
 点滴という治療が魔法のように効く典型例は、ひどい嘔吐下痢などで脱水が強度でかつ服薬も座薬もままならないほどの状態の時だ。小一時間ほどの点滴でみるみる状態が回復し元気に帰宅できる方も多く、こちらとしても大変うれしい。赤痢など脱水で命を落とした病気は点滴で水分と電解質を補充するだけで死亡率は激減した。

 薬は日々進歩している。
 過去は口から飲んでも吸収が悪かったり、効き目が出るまで時間がかかったりで、信用ならなかった飲み薬も現代では点滴薬と遜色ないものも多い。
 だから、私たちから「点滴しましょう」と提案する場合はそれなりの理由がないと言い出さない。
 注射も同様だ。筋肉注射、皮下注射なども飲み薬が存在しない場合のみ必要だし、または鉄剤など経口薬があっても吸収が悪く、また胃腸症状が強い方はやむなく鉄剤の注射を、という場合もある。基本的には、体を傷つけない飲み薬がベストだ。

 痛み止めの点滴で何人も体調を崩し、果てには命を落としたという事件*があった。これが患者さんのショックや体質異常に由来するものでないのなら、なんと残念な結果だろう。点滴をいろいろ薬を混ぜておいて「作り置き」という報道もあった。医師が必要だと判断した治療行為は推測だけで批判することはなかなかできないが、「作り置き」はよろしくない。
 患者さんを診察して初めて点滴が必要かどうかわかるはずだし、たとえこれだけの点滴が必要な患者が来るだろうとわかっていても、作り置きなどしてはいけない。今回の事件も何らかの細菌(後の調査でセラチア菌による敗血症と判明)が薬液に混入し、繁殖した結果ではないかと言われているだけになおさらだ。
 この痛み止めの点滴が効いていた、というなら、これこそプラシーボではないだろうかと思う。同等の効果のある飲み薬などいくらでもあるのだ。
 「点滴で痛み止めを使うと何倍も効くんだよ」と信じられている患者さんがこの治療を受けたのなら、それこそ脳内麻薬でも放出されていたのではないか、と思う。私が栄養ドリンクを飲んだ時のように。

 それでも「つべこべ理屈をこねられても点滴してもらうと体が楽になるんだけどなぁ」と言われるだろうことは想像がつく。
 
 私は外科出身なので数多くの患者さんの体を傷つけて治療した。もし、その病気を治すのに代わる手段があれば外科医といえどもメスは使いたくない。今でも、麻酔をかけて切開したり縫ったりするのはそれをしない場合は患者さんの不利益が大きいと判断しているからだ。何も外科治療だけでなく、内科的治療もまたそうだ。
 医学生はヒポクラテスの誓いの中にある一節「first, do no harm」の心得を教えられる。
 この言葉は「できうれば、危害をくわえることなかれ」という意味である。
 医師としてまず最初に考えることは、「患者を傷つけることなく治療できるか」と治療医に対して激しく自問せよと迫っている言葉だ。この教えは絶対に忘れてはいけない。
 
 点滴が風邪になんの医学的効果がない、と外来で私が説明すると、その効能を長らく信じられたきた方はちょっと不満げに見える。プラシーボを打ち砕くことは患者さんにマイナスなのかもとちらっと思うこともある。
 そんなときも私は気を取り直して「do no harm」を思い出し、医師の持つもう一つの大事なプラシーボである「てあて」をあつく行おうと決めている。

 *痛み止め点滴死亡事件:2008年6月三重県の病院で痛み止め点滴をしたところ23人体調不良で入院し1人が死亡した事件。調べで点滴を作り置きしていたため細菌が混入したことが判明した。

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2008年07月27日日曜日「松葉杖」

 重松清氏の著書「疾走」「きみの友だち」はともに名作だと思う。
 
 この二作には共通点がいくつかある。両者とも小中学生時代中心の話で、これは重松氏の得意フィールドで珍しいわけでなく、ほとんどがそうだ。
 これらの作品は珍しいことに二人称で物語られる。前者は「おまえ」後者は「きみ」と、地の文で筆者が見え隠れし、主人公に語りかけているという形式だ。語り手が誰なのかが最後にあかされるのも共通で、最初はこの形式に慣れないと面食らうのだが、意外に臨場感が生まれ、特にエンディングに近づくと、さらにぐっと引き込まれるドライブ感が生じる。
 
 前者の作品は限りなく暗く、そして重く、綴られるエピソードは常に通奏低音が鳴り響いているような悲痛な物語。
 が、ラストに向かって流星の輝きのような一筋の光と希望を残す。
 
 それに対して、後者は様々な人のつき合いを、一歩引いて見ている主人公を通して「真の友情とは」を追求していく話だ。物語の果てのグランドフィナーレにあたっては、ひたすらハートフルな仕上がりだ。
 作品の陰陽はくっきりと正反対に分かれ、それぞれ好みにもよるが、どちらも氏の優れた代表的作品に値すると考えている。
 
 それにしても、作者は私とあまり年の変わらないオッサンのくせに、セリフや思考回路がいちいち子供そのものでないかというくらい、リアリティがある。男の子、女の子ともどもだ。
 この領域でこういう作品を書かせたら、おそらく氏の右に出るものはいないだろう。
 同年代の子供が読むより、むしろこの子たちの親くらいの年齢の成人が読むのに適しているだろうし、作者も当然そこをねらっているはずだ。(around40あたりが最適か?) 
 
 この二作品のもう一つの、そして、最大の共通点は、ヒロインがどちらも交通事故で足に障害が生じて、松葉杖を手放せない、ということだ。

 足が悪いという登場人物の作品に三島由紀夫「金閣寺」、サマセット・モーム「人間の絆」などがあるが、これらは先天的な障害で登場人物の生い立ちや複雑なキャラクタ設定のために使われているが、後天的な怪我で松葉杖を小道具とした小説は寡聞にして知らないし、なかなか効果的であるようだ。
 
 これが車いす、ではないところがなかなか微妙だ。最近はバリアフリーが社会に根付いたのか、公共施設、乗り物、駐車場、通路など車いすに優しい作りになっている。車いす環境はここ10年で確実に向上しているが、ひるがえって松葉杖環境はどうだろう?
 手慣れた方は松葉杖を簡単に扱っていそうに見える。もしかしたら、健常人がすたすた歩くより素早く歩けるのでは?と思えるほど軽やかに体を運んでいる人にもであう。しかし、実はあれはあれでなかなか難儀なのだ。

 まず、雨が降るとおっかないことおびただしい。傘をさしにくい、(というか、雨の中さすと危険である)こともあって、より早く帰りたいと思う。このとき、一度に距離を稼ごうと大きくストライドをとろうと松葉杖を前方に振り上げると、これが危ない。
 施設によく使われている床の塩ビタイルやリノリウムに対して、接地する松葉杖のゴムキャップがめっぽう滑るのだ。
 だから、アスファルトはあまり滑らないが、外を歩いていて、雨宿りしようと近くのビル内に入ってやれやれと思った瞬間、すてーん、ということはよくある。アスファルトは大丈夫といったが、実は横断歩道の白ペイントもよく滑る。松葉杖にとっては横断歩道を渡らない方が安全な場合もまたあるのだ。
 ついでに、雨水溝にはまっている鉄製の格子にもよく松葉杖の先がはまりこんで往生することもある。
 
 戸外はお世辞にも松葉杖で歩く環境はよくなっているとは思えない。歩道だって、放置自転車の片スタンドに杖を引っかけると、ドミノ倒しのように倒れていく。まさか知らんぷりして逃げるわけにもいかないし、倒れた自転車をけが人が一人で起こすのも苦労で誰も手伝ってくれないと泣きたくなる。
 車いす環境が整ったおかげで、松葉杖最大の恐怖である階段昇降はいろいろなところでエレベーターが使えるようになったことはとても喜ばしい。なにしろ、松葉杖で階段を下りる時は、スキー場の上級者ゲレンデで滑れもしないのに斜面30度近くある「壁」を見下ろしている時のように(は、おおげさだが)背筋がぴんと立つ。第一歩の下り階段の怖いことといったら!
 
 なぜそんなにこだわるかだって?
私は大学生時代、足の靱帯を切って松葉杖をついていたことがあるので、思い入れが強いのだ。

 大学3年の頃だったと記憶している。野球部に在籍していた私はその日も練習に参加していた。スライディング練習で足関節をちょっと痛めた私は外野でキャッチボールなど別メニューをこなしていた。そこへボールが飛んできたので、フィールドから気軽に「おーい、とってくれ」と声がかかった。それに向かって軽く走り出したが意外に打球にドライブがかかっておりファールグラウンドの方に切れていくので、スピードを乗せた瞬間、足を取られて痛めた右足に全体重がかかり転倒した。
 
 雷が足に落ちた、としてもあれほど痛くあるまい。右足が鈍い音をたてた。立ち上がれないどころか、ネズミ花火のように地べたにはいずり、くるくるとのたうち回った。
 「おい!大丈夫か!」先輩が真顔でのぞき込む。
 私は苦しそうに手を振るのが精一杯だった。
 その1コ上の先輩がグラウンドの隣にある大学病院の整形外科医局に私を背負って運んでくれた。私より少し小柄な先輩だったから、私を背負うなどさぞかし重くつらかっただろう。大変申し訳ない、と感謝しなくてはならなかったが、私としてはそれどころではなかった。じっとしていても痛くてたまらない。こんな時だけは医学部というのは少々ありがたい。大学のグラウンドで怪我しても、となりが病院だからだ。
 整形外科のドクターに診察されて、レントゲンを撮られて、「うーん、折れてないけどこれは靱帯やっちゃってるな」との診断。
 ぱんぱんに腫れた足首に固定具を巻いてもらった。「これからもスポーツするなら、オペした方がいいよ」とも言われた。
 さて、そんなわけで生まれて初めての松葉杖である。歩く練習しても両腋が痛いこと痛いこと、そしてすぐに皮膚が擦れて水ぶくれができる。
 実は腋を使う歩き方は脇の下には重要な神経が通っているので圧迫すると麻痺を起こす可能性があるため推奨されないのだが、手で支え続けるとかなり腕が疲れる。だから、苦肉の策で歩いていたが、外では先に書いたような、危険が一杯だ。
 手術が終わって、今度は足にギプスである。ますますもって、患肢が重く、松葉杖がさらに不自由になる。雨が降っても、そんなことはお構いなしに大学には行かなくてはならないし、風呂にもろくに入れない。暑い盛りは本当に辟易した。ああいう経験は二度とごめんである。
 
そんなこともあって、電車に乗り合わせた際、松葉杖をついた人がたとえ若くても、私は気がつけば飛び跳ねるようにして席を譲る。そうされた若い方はおおかた恥ずかしそうに座ってくれるが、照れることはない。
 
 いいんだよ、つらいのはよくわかる。こうやって電車に乗るまでだって十分苦労したんだろう、雑踏は本当に疲れるよな、と私は知っているから。
 
 人としては誇るべきことでもなんでもなく、当たり前以下のことだ。経験に根ざして、悟るなんてのは、二流の思考である。経験しないことでも、慮って人に優しくなれなければ人としてよろしくない。

 いつかも例に挙げた司馬遼太郎氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」の中で「やさしさ」をどうしたら手に入れることができるか、というくだりをかんで含めるように述べた箇所がある。繰り返しで恐縮だが、この書は必ず読んだ方がいい。二十一世紀に足りないエキスはまさにこれなのだと思っている。
 
 前略)・・・例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
 この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるにちがいない。・・・(後略

 という素晴らしい文である。

 最近の身勝手な事件(無差別殺傷事件)を見るにつけ、この気持ちの正反対のところから来ているのだな、と思った。
 司馬氏が見られなかった二十一世紀(1995年逝去)の日本がこのようなことになっていると知って、ご存命ならどれほど嘆いたことであろうか。
 
 松葉杖をつくほどの怪我をされたことのない人も、松葉杖をついた方を見かけたら、ぜひ優しくしてあげてほしいと切に思う。
 そういう自己を作っていけばみなが仲良く暮らせる、と信じて。

*無差別殺傷事件:2008年6月東京都秋葉原の交差点にトラックで突っ込み、5人跳ね飛ばした後、下車して17人を手当たり次第ダガーナイフで切りつけた事件。計7名死亡した。秋葉原の人通りは激減し、歩行者天国は2011年まで中止された。2015年最高裁は控訴棄却し死刑判決が確定した。


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2009年02月11日水曜日「外科医のセンス」
モーツアルトに「2台のヴァイオリンのための二重奏曲」という曲がある。
 
 これは驚いたことに、一枚の譜面を上下ひっくり返しても同じになる曲だ。
と、一言で表すとなんてことはないが、どれだけすごいことかというと、テーブルに一枚の譜面をおいて高音部と低音部のヴァイオリニストが、それを読みながら向かい合って演奏できるという奇跡的なものである。(実際、そうやって演奏しているらしい)
 まるで、たけやぶやけた、のような回文の音楽版だ。
 この曲は別名「鏡のカノン(mirror cannon)」と呼ばれている。回文ならともかく、こんなことが音楽ではできるものなのか?私には到底理解できない。
 作曲者はどうやって無から音楽を紡ぎ出すのかよくは知らないのだが、バッハの「音楽の贈り物」の中にやはり鏡のカノンという曲があるので、大天才の音楽家なら、このような仕事はいともたやすいのだろうか?
 
 モーツアルトは「絶対音感」の持ち主で、凡人から想像はしにくいが頭の中に音楽が無尽蔵に沸き上がって、そのまま譜面にしてしまえる能力があったのだろう。
 このような力を即興型天才とするなら、同様に「大理石の中に人が埋まっている」と言って、あの精密きわまりないダビデ像を彫り上げてしまうミケランジェロのようなものも、そうであろう。
 
 私は一曲も作曲などできないし、またたとえば人を彫ろうとすればすべて雪だるまになってしまうだろう。音楽も彫刻も全く才能が欠落しているので、ただただこういう破天荒な能力に素直に感心し尊敬する。
 ミケランジェロは気むずかしそうだが、モーツアルトはそのような才能を凡人の前で披露して、目を丸くする人を見て、いたずらっぽく笑っているような稚気を感じる。(映画「アマデウス」の影響だろうか?)

 いつだったろうか?
 CGで書かれた模様を目の焦点をずらして眺めると、別の文字や画像が浮かび上がるという絵が流行ったことがあった。すぐに廃れたが、近視が治るなど形を変えて少し生き延びていたので、覚えていらっしゃるかたもおられるかもしれない。
 これを見るには寄り目にしたり、遠くに焦点を合わせようとちょっとコツがあるのだが、たいていはしばらくするとできるようになる。が、一回でできる方もいれば、いつまでたってもできない人もいる。
 医学生の頃は臨床実習というすべての科を2週間ごとローテーションするものがあった。その中で放射線科という診療科を回ったことがあった。
 放射線科の大きな仕事の一つに「画像診断」がある。そのなかで、血管の中に造影剤を流し、それをレントゲン撮影すると血管の走行が写りそれで病気を診断したり、手術治療の資料にする「アンギオグラフィー」というものがある。それを正常なのか病的な像なのかを、判断する(これを「読影」と呼んでいる)ことも実習の一つだった。
 
 人間の体は三次元だから、それを平面の写真に撮ると当然、厚みは写らない。写真はどんどん細い血管にわかれて、まるで、平べったい木の根っこのように見えるだけだ。そこで、フィルムを少しずらして二枚同時に撮影し、できあがりの二枚を同時に見ると、立体像に見える。
 
 これをステレオグラフと呼んでいたが、この手技を教えられて、すぐにできた医学生もいれば、目を回すくらい延々と眺めてはため息をついて、首を振っていた学生もいた。3D眼鏡のようなステレオ用の補助眼鏡もあったが、「これを使わないで見えるようにならなきゃ」と指導医が言うので、まじめでかつこのコツをつかめない医学生ほど、泣きたくなるほどの苦労を強いられた。
 現代ではこの能力は必要なく、CTやMRでどんな形でも3D写真にできるし、マウスがあれば、全方向からの立体血管像をモニタに映し見ることができる。放射線診断医にとって空間把握能力の必要性からは解放されたようだ。
 
 だが、外科医として有用な才能を一つだけあげろ、と聞かれたら、私はこの空間把握の芸術的センスをあげる。そりゃ、知識、判断力、人柄など、みな大事である。だが、それらは外科医だけでなく、「医師」なら皆有用な才能だからあえて取り上げない。手術という「術」は高みに登ろうとすると芸術と通ずるところが多々あると感じていたからだ。
 
 胃の手術などは外科医が三人で手がける。とは言っても、三人目は「第二助手=見習い」として、駆け出しの外科研修医が参加する。
 研修医のいない病院ではたいてい手術を外科医二人でやってしまうから、実はこの三人目はあまり役に立っていない。
 どころか邪魔なだけの場合が多い。というのは患者さんの右側に立つのが術者で、その反対側に「第一助手」、術者の左側に、申し訳なさそうに参加させてもらうのが「見習い」だ。
 胃や腸の手術をする際、手術の邪魔になるのが体内最大の臓器である肝臓である。
 ちょっとグロな話で恐縮だが、真ん中から開腹すると、右上方から肝臓がぽこりと胃にかぶさってくる。そのままだと胃を切除しようとすると肝臓が覆い隠すためきわめてやりにくい。それをL字型の金属のへらで邪魔にならないようによけておくのが見習いの最大のお仕事である。ところが、邪魔物をよけておく仕事をする奴が、術者の左側をふさぐため、めっぽう手技の邪魔になるのである。特にガタイの大きな奴ほど(笑)
 
 さらにそいつが好奇心旺盛でお腹の中を見ようと身を乗り出してくると「研修医は邪魔!見なくていいからちゃんと仕事しろ!」と術者に怒鳴られるのがオチだ。むしろ手術に入らず、外から眺めていた方が手術がよく見えるから、研修時代にとってこの第二助手はあまりありがたくない仕事だった。特にガタイが大きいと・・・
 
 さて、それはともかく、外科医となった以上は真剣に手術に参加しなくてはいけない。ましてや、いずれは胃の手術を手がけるためにはしっかりと術者の手技と助手の動きを勉強しなくてはならない。
 
 芸術的センスとはここで発揮できるのではないかと私はずっと思っていた。というのは、研修医からの手術をしている場所を見つめる目線は斜め上からのものになる。第一助手とは正反対の方角だ。そして術者とはほぼ同じサイドから眺めている。
 図解すると本当はよくわかるのだが、術者は切除すべき胃や腸を周りからはがしながら(剥離操作という)次第に範囲を絞り込んでいく。時には自分の手元に臓器を引き寄せてみて、血管の走り方を見ながら、裏返したり、少しひねりをくわえたりしながら手術をすすめていく。それが術者と天地反対の位置から見ている研修医にはとっさには「解剖」的位置関係がわからなくなってしまうのだ。
 
 手術書という解剖を図譜で丁寧に書き込んである手術指南書テキストがある。細かに手術の進行につれてイラストで描かれている。それを研修医は担当の手術の前に読んでイメージトレーニングするのだ。
 しかし、それはあくまで術者側から見たアングルから書かれている。だから、現実に反対から見えたミラーイメージがあらわれるととっさには理解できなくなってしまう。ミケランジェロのような芸術的センスが少しでもあればまごつかないだろう。一般の方がよく思われるだろう、「手先が器用である」という能力は実は外科医にとってはあまり必要ではない。あればそれに越したことはないが必須ではないと思う。
 
 高速道路でスポーツカーを駆使し、車を縫うように追い越してまくっても、数100kmのツーリング時間はせいぜい10分ほどしか、短縮できない、と聞いたことがある。
 外科医で必要なことはまさにそれで、いかに速くではなく、いかに安全に目的地にたどり着くかであるから、その「車をあやつる能力」はさして重要視されない、と考えている。
 
 手術などは、慣れ、もあるから数をこなしていく内、ある程度までは鍛錬でできるようになる。(でないと困る)
 最初に「術者」に昇格する時などは、喜び勇んではいたが、実は名ばかりの術者で、ベテランの指導医である第一助手に手取り足取り、しかも、あちこち叱られながらで、ようやく一つの手術をやり遂げたような気分になれる。自分もかつて見た「できる」術者のように目標臓器を引っ張り出してはひっくり返したりしてみたが、もういけない。予習してきたことが頭の中でスパークし、自分でやっていながら、なにをしているのか一瞬わからなくなってしまうのだ。
 
 皆さんはは「おいおい、大丈夫なのか?」と思われるだろう。が、パイロットならば「見習い」がお客さんを乗せずにフライトを何千回も練習してから、ようやく本番に臨めるのに対して、外科医はそもそも練習ができない。
 ずっと、手術をする先輩の手元を見て、コツを聞いて、手術書で予習復習勉強して、自分がやるときゃ、ぶっつけでデビューである。「術者」としてはイメージトレーニングしかしていないのだ。だから、見るちょっとした角度が変わっただけで、わからなくなってしまうものに対して、苦にしなかったものは外科医としてどえらいアドバンテージが与えられていると言っても過言ではない。
これでなにも苦労をしなかったという外科医はしらずにその空間把握能力に長けているのだと私は思う。

 外科医で私のような感覚を持たず、「ふーん、そんなこと考えたこともないなぁ」と共感を得られない方がそれかもしれない。それは当たり前にできる人から凡人の仕様を見ると、ただただムダな動きやムダに固まっているとしか見えないのだ。
 
 大げさなようだが、かつてモーツアルトが他人の楽譜を見て「どうして、こんなにムダな音があるの?」と無邪気に聞き返したエピソードと同じである。
 それでも通常の者たちは修練して、モーツアルトが一足に飛び越していった階段を一つずつ丁寧に登り、いっぱしの音楽家になる。だが、努力では決してモーツアルトに届かないだろう。それでいいのだ。
 
 自らの分を知って、その目前にいるクライアントの満足を得られれば後世に残る音楽などを残そうなどとは考えなくて十分だ。「みずから=の=ぶ」それが「自分」であるからだ。
 同様に、神の手など必要なく、鍛錬によって目の前の患者を救えるとを知っている外科医になれば、いいと私は考えている。
 
 そうは言っても、絵や彫刻がうまい、さいころの展開図が一目瞭然にわかる、左手と右手で違う模様が描ける、なんてお子さんがいらしたらどうですか?外科医を目指しては・・・ 

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2009年03月28日土曜日「後医は名医」
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が二連覇を達成した。おめでとう!
 
 準決勝アメリカ、決勝で宿敵韓国を下しての堂々の優勝だ。しかも、この決勝戦はその名にふさわしい好勝負だった。
 リードしては追いつかれる、日本の終盤の追加点にも、あきらめず追いすがる韓国。
 しかし、じりじりと詰めよられ、ついに9回裏に韓国が加点し3-3の同点!。試合は振り出しに戻ると同時にサヨナラ負けまでありうる大ピンチに。タイムリーを打たれ、絶体絶命のダルビッシュがかろうじて踏みとどまり延長戦へ。
 
 10回表にチャンスを作り、塁をすすめる日本、打席はイチロー。ツーアウト、2、3塁。
 
 ここで点を取らなければ、このピンチをしのいだ韓国は気をよくし、試合の流れは完全に相手に移るだろう。
 イチローはきわどい球はカットしファールで粘り、韓国のクローザー、林昌勇の失投をじっと待つ。一球一球の呼吸が息苦しい。間をとって興奮を盛り上げる相撲の仕切りと同質のにおいを感じる、日本で相撲と野球が受けるゆえんであろう。
 この時、手に汗握る、を通り越して、胃痛に悩まされたり、心拍数が上がったりしたファンも多かったはずだ。そして、ついにイチローの打球がセンターに抜けたとき、日本中は狂喜乱舞した。
 
 これこそが「野球」。
 この試合で、その真髄そして醍醐味を味わい尽くしたと言っても過言ではない。
 
 ベースボールを野球と訳したのは正岡子規というのが通説である。子規は結核で早世するが、倒れるまでこよなく野球を愛した。今でも私たちが使う様々な野球用語を和訳し、普及させた子規は野球殿堂に鎮座している。その「野球」が「ベースボール」を堂々と下した、と子規が知ったらきっと喜ぶことだろう。
 
 日本の野球はアメリカ流のパワー・ベースボールと違って、単打を重ね、一つずつ次の塁を狙う。盗塁、送りバントを多用する。連係プレーを強化し、エラーを減らし、水も漏らさぬ守備をかためる。ファインプレーはあるに越したことがないが、それを必要とさせないよう守備陣形を巧みに変える。
 
 フォア・ザ・チームの精神は個々の力の総合で圧倒しようとする豪快なアメリカ人は嫌うかもしれないが、高校野球に代表されるそのスタイルこそが「野球」だ。力で押し切ろうとするキューバ、アメリカ、プエルトリコ。その「ベースボール」を日本の野球が打ち砕いたのは実に見事である。もちろん選手の力はもちろんだが、それを最大限に引き出すのが監督采配だ。今回はそれがかなり的中したようであった。
 
 野球が他の球技スポーツと違っているのは、ファンがTVを見ながらでもゆっくり戦略を練れることだろう。また、試合後でも、「あそこで、フォークボールの配球はないよな」とか「ピッチャーの替え時を間違えた」「あの場面でエンドランはまずいんじゃないか」など、丸一日かけてでも好き勝手に自分が監督になり議論ができ仲間内で盛り上がることができる。野球は見ながらでも、見終わっても、の二度楽しめるゆえんである。
 これがサッカーでは「俊輔すごかったなー」で終わってしまうし、個々のプレーの分析くらいしかできない。また、監督批判は選手の選抜や交代タイミングくらいだろうか。もちろんサッカーのワールドカップが始まってしまえば、また応援してしまうのは間違いないが(笑)

 そんなわけで野球ではファン一人一人がすべて監督である。負けたら負けたで「オレだったらあそこは代打を使う」「だいたい、最初からアイツは連れて行かない」と、まるで始めからわかっていたかのように誰でも名監督になってしまう。
 楽天の野村監督の言葉ではないが、勝ちには不思議な勝ち方が存在するが負けには必ず敗因がある、といったところか。敗因を後から分析するのはたやすいことだ。後出しジャンケンで負けるはずがないのと同じである。一億総評論家、とは野球の性格をよく表している。 

 私たちの世界でも、「後医は名医」という言葉がある。よくある話だが、発熱しクリニックで風邪と診断され、一向によくならないので、やっぱり大病院へ行かなきゃ治らないか、と大病院総合内科を受診し、即座に肺炎、と言われすぐ入院、抗生剤の点滴で治った、などのようなことを聞いた方も多いと思う。
 こういう経験を一度でもすると、町医はダメだ。大きな病院で診てもらわないと手遅れになるんじゃないか、と信じ、またそういうことを周囲の人たちに言いふらすとさらに信者が増えてしまう。
 今日も大学病院がごった返しているのはおそらくそのようなことを信じている方が多いことと大学ブランド志向のためだろう。
 
 そこに現れた事実は間違っていない。前医のクリニックで治らず、後医の大学病院で治癒したということは、だ。
 ただ、お気づきだとは思うが、治らなかったからこそ大病院を受診した、という経緯だから、はじめから大学の後医は「ただの風邪ではないぞ」という情報が得られている。これは正確な診断を下すのにかなり大きなアドバンテージである。
 
 原監督ほどの野球人生をおくっておらず、外野からなんの責任もないところから、しかも「失敗したあとから」采配をふるえば誰もが名監督になれるのと同じだ。

 今流行中のありふれたインフルエンザですら、その診断は簡単ではない。急な発熱、のど痛、鼻水、咳などの感冒症状、関節痛などがあればたいていはそれらしいと当たりがつくが、インフルエンザ診断キットが普及してからは驚きの連続である。
 微熱しかなくかつ元気で走り回っているお子さんで一昔前なら絶対にインフルエンザとも思えないケースでも「園で流行っているから調べて欲しいんです」と親御さんに言われ「うーん、それらしくないんですけどね、念のため調べてみましょうか」と言って、半信半疑で検査すると見事に陽性!ということも全然珍しくない。
 
 もちろん検査セットは万能ではないから疑陽性(インフルエンザでないものを陽性と検出してしまう)の可能性も否定できないが、特異度は98%(インフルエンザでないものを陰性と正しく判定できる確率という意味。この場合は逆に2%ほどはインフルエンザでないのに陽性となる確率)ときわめて高いので、陽性とでたらまず98%はあたりである。ここは私どものみたては白旗を揚げざるをえない。
 
 大人の方で36.7〜8度くらいの微熱のような体温でもインフルエンザ陽性にでることもあるので、診察して症状からこれが典型的な「ザ・インフルエンザ」という方はむしろ少ないと思えるほどだ。
 かくして、「症状からでは全くわからない」と疑心暗鬼になり、何が何でもインフルエンザを調べたくなってしまう。まことに困ってしまうことだ。
 
 「えー、そりゃないや、あんた医者だろ?」と言いたくなる気持ちはよくわかる。

 しかし、例外のないルールはない、の格言通り、すべての患者さんが教科書通りの症状、検査結果、経過をたどることは絶対にないのだ。
 
 一人か二人その病気の患者さんが私たちの目の前にあらわれたならおそらく、私たちが習ってきたとおりの病状を呈してくれるだろう。1万人に数人という珍しい疾患ならそれでいいし、見逃してはいけない。
 が、全国で週に数万人感染者が出る流行期のインフルエンザでは9割の方は典型的症状でも、残りの1割は低発熱でけろりとしている人もいるのだ。その人を風邪と誤診してしまうと、元気にうろちょろされて感染者が数倍にふくれあがる。うつされた人は逆に高熱で苦しむってことも全くよくあることだ。
 ちょっとでも怪しいと思ったら、念のための検査という手段もあながち間違ってはいないとも思う。

 「なんだよ、そんなんだったら、医者なんていらねーじゃん。」

 そうですね。道具を用いてでないと診断がつけられなかったら、ただの人と同じだから。
 
 だがおこがましいようだけど、こうも考えている。
 将棋界のプリンス羽生名人が熟考を重ねた上で指した一手がその局面を見ていたアマチュアが予想した次の手と同じだったとしよう。そのアマチュアはもちろん喜んでよいが、彼が羽生名人と同じ棋力とは誰も思わないだろう。また、名人が大ポカをしたとしても、誰もその手が実力通りとは思わないだろう。
 
 医療でもあらゆる可能性を考えたうえでも、はずすこともあれば、ほかのことを何も考えていなくても、診断がつくことも多々あるのだ。
 名医の思考は将棋・囲碁の考え方にも似ていると勝手に思っている。

 名人でも、緊迫した局面での次の一手は「せいぜい3通りしかない」と豪語する。
「しかしその3通りに対して相手の手も3通りあるとしたら、その次自分の3手目は27通りの場面がある。それを全部検討していたら時間がいくらあっても足りない。だから、『切り捨てる』能力が大事だ」とも名人は言う。
 医療でも病気の全部の可能性を検討していたら、時間とお金がいくらあっても足りない。医師もその取捨選択を無意識にしている。決して何も考えないで検査をしているわけではないのだ。

 限られた時間と情報で次の一手を選ぶ。それは実際にはプレーしないが、すべての采配とその責任を持つ野球の監督にも通じることができる。

 かなり古い話で恐縮だが1963(昭和38)年、名医の誉れ高い沖中重雄東大教授が退官講演で誤診率14.2%と発表し、世間を驚かせた。あの沖中先生にして7人に1人は誤診!
 もちろん東大というブランド病院だから沖中教授は「後医」であった確率がかなり高かったにもかかわらずである。もちろん医療設備など診断制度は現代と比較にはならず、数字は今とくらべることはナンセンスだが、当時その報道を聞いた一般の人々はその誤診率の「高さ」に驚いた。
 
 が、それを同時に聞いた医師たちは誤診率の「低さ」に驚いた。それほど「正確な診断」が難しいことをみな医師ならば知っていたからだ。

 今回のWBCで優勝した原監督も優勝したからこそ「名監督」の称号を得た。数々のプレッシャーをはねのけて結果を出した監督に素直に誉め称えることにはやぶさかではない。本当におめでとうございます!
 開催前や韓国に連敗したときの原監督の評価を思い出してください。おそらく書いた記者は穴があったら入りたいと思っているだろう。
 
 勝てば「名監督」診断がつけば「名医」、そしてその逆は言わずもがなですね(笑)

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2009年12月30日水曜日「明日に架ける橋」
 サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」は名曲である。
 
 最近、洋楽(ふ、古い!)にこういうオツな邦題はつけられず、おそらく今なら原題のまま「ブリッジ・オーバー・トラブルド・ウォーター」とそのまんまに日本でも言われたことだろう。(意味は「激流にかけられた橋」)それだったなら、あんまり、ピンとこなかったかもしれない。
 邦題につけられた明日に架ける、とは未来に向かう希望の橋を連想し、歌詞内容から考えても、うまいタイトルをつけたものだ。
 それはこの曲の持つ気高さ、またアート・ガーファンクルの歌声の美しさはもちろんのことながら、歌詞もまたすばらしいからだ。

君が疲れて、しょげているなら 瞳に涙があふれているなら
僕がすべてふいてあげる 君のそばにいるよ

辛い時だって 友達がまるで見つからない時
激流に架けられた橋のように 僕が体を横たえるから

君がうちのめされ 道で立ちすくんでいて
ひどい夕暮れになったら 慰めてあげる
君の代わりになるよ
暗闇が襲い 痛みでたまらないなら
荒れた海に架かる橋のように、僕が体を横たえるから   

 「明日に架ける橋」作詞・作曲ポール・サイモン

 この歌詞を聞いて、これは陳腐だとか、こんなの友情としてありえないよね、とかシニカルに構えない方がいい。素直にこの歌詞の美しさがわからないのであれば、ただのひねくれ者である。
 この後、曲はクライマックスを迎え
「君の輝くときが来た/夢がすべて目の前にある/その時友達が欲しかったら/僕が後ろにいるよ」
 と歌い上げる。
 
 たとえ、この歌詞の通りそう思っても、こんなことは恥ずかしくてとても日本語では歌えないが、これがこの美しい曲には見事にはまる。
 
 余談だが、9・11同時多発テロ事件の際、この「明日に架ける橋」が放送自粛曲の一つとなったことを聞きびっくりした。
 このような場合、いつも定番で放送自粛になるのがジョン・レノン「イマジン」である。
 
 国家が戦争を決意したとき、最も恐れる曲はどんな反戦歌より、永久平和とユートピアの願いを込めたこの曲であることは間違いない。この「イマジン」は10数年前の湾岸戦争時も放送自粛になった。
 民衆に対する歌の影響力はそれほど強いのだ。その栄誉(?)にどうして9・11では「明日に架ける橋」があずかるのだろう?
 
 その理由を調べたら拍子抜けであった。
 この曲の歌詞の中、たった一度だけ呼びかける「silver girl(銀色の少女)」というフレーズ、それが貿易センタービルに突っ込んだ飛行機を連想するからだそうだ。
 
 なんじゃ、そりゃ。
 ネイティブはそう思うのか知らないが、この歌詞全体から、「シルバー・ガール」を飛行機と考えるのは無理がある。たった、それだけのことで、この名曲が放送禁止とは・・・

 しかし、それは杞憂だった。
 その後行われた、犠牲者追悼チャリティ・コンサートでニール・ヤングが「イマジン」を熱唱し、ポール・サイモンが「明日に架ける橋」を歌ったら、全米ヒットチャートでリバイバルとはいえ、この曲がランクインして大ヒットしたそうだ。
 
 ざまみろ、である。
 政府に都合が悪いと曲を封印したところで何になる。
 むしろ、テロに恐怖し、犠牲者を偲び悲しみにくれる米国がこの曲でどれほど勇気を与えられ、慰められたか推して知るべしである。

 人間なら誰もがそういう気持ちに一度とならず思ったことはあるはずだ。
「オレはこいつのためなら命もいらない」とか「なんとかしてやりたい」その見返りも名誉もほしがらないその態度。
 人はそれを献身という。

 余談だが、太宰治の「走れメロス」がどれだけ人に感動を与えてきたか、それはメロスの親友、セリヌンティウスがまさにこの献身という友情の持ち主だからだ。
 
 なんの落ち度もないセリヌンティウスは王暗殺未遂の大罪を犯したメロスの身代わりに人質となり、もしメロスが約束を裏切れば命を落とすという立場である。この小説は有名ゆえストーリーを割愛するが、
 ぎりぎりで処刑に間に合ったメロスはセリヌンティウスに言った。
 「刻限まで間に合わないと一度はあきらめ、君を裏切ろうとした。だから私を殴ってくれ」と。
 
 セリヌンティウスは言われるとおりメロスを殴ったあとこういった。
 「3日のうち一度だけ君を疑ったから、私も殴れ」そしてメロスのこぶしをうけた。
 
 私が思うに、これはセリヌンティウスの嘘であろう。
 今回のことは、セリヌンティウスにとって約束が守られれば損得なし、裏切られたら死、というこんな役回りは「一度」でも親友の心を疑うくらいなら、決して引き受けない。
 
 セリヌンティウスはメロスがなかなか帰ってこないのは、アイツがオレを裏切るわけがない、なにかやむを得ない事情があったに違いない(それは事実だった)、それならあいつの替わりに死んでやろう、と思っていたはずだ。

 メロスが一度弱い心に負けそうになった、とそれを聞いたセリヌンティウスはこの先メロスとの友情を持続するためには自分も同じ弱い心を持っていたと嘘を言わなければ、対等ではなくなる。
 メロスに負い目をおわせたら、二人の心の絆はもう友情ではなくなるからだ。
 そこまでとっさに考えたセリヌンティウスはメロスのメンツ、と友情を守るためメロスと同じことを言ったに過ぎない(と私は勝手に思っている)
 もしそうだとしたら、セリヌンティウスとは誠に得難い真の友人ではないだろうか。閑話休題。
 
 献身、それはすばらしいことだが、ひと言で表せるほど簡単なことではない。
 
 医療崩壊、が叫ばれて久しい。
 病院から医師がいなくなる、または医師引き上げで診療できない科ができてしまう、統廃合で大きな病院になるが、地域からはるかに遠くなる・・・などなど、不況時代の常で国民も景気の悪い話には慣れっこになっており、ある程度仕方がないとあきらめている節もある。が、国民は医療崩壊の根底には医師に対する不信、または医師自身の責任がある、と考えているのではと疑ってしまう。
 
 それは崩壊しているのは現場から逃散している医療者の献身度の低下があるためではないか、と国民が疑っているのだ。特にマスコミの論調にそれが強い。
 
 全体の医師の数は少しずつ増えているのに(1990年には人口10万対170人だった医師数は2002年で206人、ちなみに埼玉県は全国一の医師の少ない県で123人)どんどん病院が減って、勤務医も減っている、引き算が合わないではないか?

 どうして、おらが町の病院はみな閉められるだべ、つらい病院辞めて、楽な仕事にまわってるんでねーか?

 医師数だけを考えれば皆そう思うだろう。
 だが、私たちから見ればそれは十分予想できたことなのだ。
 
 地方の病院勤務医が減ったのは、近視眼的には度重なる医療費抑制政策で医師を雇うどころか、全国の病院の7割が赤字という異常事態が生じたことだ。
 これではどんな業種ですらやっていけない。また、医療は機械化できないのでマンパワーが最も必要とされる。医師以外の医療者(ナース・リハビリ・医療事務)の報酬も医療費からまかなわなくてはならない。
 他の業種でできるリストラが医療では絶対にできないのだ。(法律でも患者数に対して必ず必要なナース数が決められている)
 
 また臨床研修制度で「医局支配」が終焉したことも理由の一つにあげられる。
 
 新制度前の医学部卒業後の新米医師の進路は9割方、大学医局に入局していた。研修医は大学という「研修施設」で2年間修行の身になる。その後、医局で科長(教授)の指名により、だいたいは地方病院の「出張」が用意されていた。1〜2年と任期はそんなに長くないが、医局との往復で常に医師は補充されていた。
 が、新制度になり、自由に選択できることになった大半の新米医師は人気のある大都会の病院を選んだ。研修のためには入局しなくなったのだ。
 自分の大学の卒業生すら残ろうとしない地方大学はどっと医師が少なくなり、今まで医師を派遣していた地方病院から一斉に医師を呼び戻した。
 ために診療できなくなる科が特に地方で続出した。これが近視眼的な医療崩壊の「表層なだれ」である。ここまでは全く厚労省の政策によるもので、医師のモラルも理念もなにも責任はない。
 一説によると厚労省官僚が文部教官管轄下である国立大教授の持つ強力な医師人事権を剥奪し自由にしたい、その一念だったという話もあるがそれは穿った見方かもしれない。
 
 厚労省は「まあまあ、人気のある都内の大病院で修行してきた新研修医たちだって、研修が終わればポストが限られているから、今に、だぶつきますよ。彼らが地元にUターンするそれまでもう少し、待ってくださいな」とのんきなことを言っているが、そんな予測が信用できるものか。
 
 それなら聞くが、地方から修行のために上京して、きちんとUターンできて、地方に還元しているほかの業種はあるのか?あるのなら、なぜ主要地方都市でもシャッター商店街なのだ?
 同じ理由で、大都会、大病院で修行し先端医療に漬かってきたフレッシュなドクターが地方に来るものか?来るわけないだろう。○○も休み休み言え。

 医療崩壊の根の部分は実はそんなところではなく、もっと深いところにあると私は思う。だから、これらの現象を「表層」と言ったのだ。
 
 私は2006年6月のこのコラム「失われしもの」に

 産科医が手術ミスをして逮捕された、という衝撃的な事件が起こった。(中略)
 不眠不休で全力を尽くしたあげく、手術をすると刑事被告となる可能性がある、となれば、保身以前に医療というものにかける情熱がいちじるしく冷めないだろうか。

 と書いた。実はこの事件こそが医療大崩壊のきっかけとなったのだ。
 
 医師というものは患者さんの感謝の念だけで、どんなにつらくてもどんなに忙しくても、どんなに薄給でも働けるものだ。
 特殊技能もなにも、もたない私ですら、「日曜日に診療していただいてありがとうございました。助かりました」と言われる、それだけでやっていける。なのにどんなに力を尽くしても、結果がかんばしくなければ犯罪(刑事罰)となるのか、と思えば誰がその担当医になってくれる?

 マスコミや国民はスーパーマンの医師を欲しがる。
 
 24時間診てくれて、内科疾患にはすぐに的確な薬を選択、点滴治療でき、外科的疾患の危険な状態にはオペがすぐでき、術後も100%後遺症を残さない。
 それに一つでも満足できなければマスコミはすぐ、医療事故、と声高に言う。

 もう、こういうことはやめませんか?はっきり言ってそれは無理である。自分の能力を振り絞っていつも患者のために考えているものがほとんどだが、なかなか伝わらない。
 
 医師はそれは傲慢尊大なヤツもいる。代々連なる医師閨閥という高貴なものもいる。でも、皆さんの目の前にいる医師たちは普通の医学部教育を受け、卒業すれば99%までは医学に魅入られ、「献身」の精神の「かけら」を身にまとって医学部を卒業したものがほとんどなのだ。

 医師をモラルから追い込むことは結局は国民の損失だと私は思う。医師たちはおだてればどこまでも登っていく、そういう不可思議な集団だと確信している。
 だから、診療報酬を上げるとかそういう議論は無為でナンセンスで(あればそれはより嬉しいが)それよりも一生懸命治療にトライした医師が刑事訴訟や民事に訴えられないような「無過失保証制度」を充実する方が私たちと患者さんの「明日に架ける橋」になるのではと力説したい次第だ。
  
 志木南口クリニックに来院するみなさまは皆「ありがとうございました」と言ってくださる。
 それだけで私は来年も頑張ろうと思っている、それが私にとっての明日に架ける橋なのです。
 旧年中はありがとうございました。来年もよろしくお願いします。


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2010年03月20日土曜日「ガンバレ!日本」
 ハイブリッド車のブレーキ問題*でトヨタ社が全世界から集中砲火を浴びている。
 高度な技術に重大な欠陥が生じること自体はいたしかたない。自転車よりスペースシャトルの方が壊れやすく、トラブルも多いことくらい誰でも知っている。
 
 プリウスではブレーキのデジタル信号を伝えるソフトの問題点も指摘されていたが、自転車のブレーキのように単純な構造ならば、これほどの騒ぎにはならなかっただろう。
 To error is human(人間とは間違いを犯すものだ)とはよく言われることだし、トヨタをいじめているアメリカだってスペースシャトルを爆発させているのだ。あんたに言われたくない、とつぶやきたいところだが、知っていながら放置する、日本特有の「様子を見ましょうの癖」が災いしたのだろうか。

 このブレーキの効きにタイムラグがあるという問題とアクセルが戻らない、などの暴走問題セットになっている。が、私にはちょっと腑に落ちない点もある。
 5年ほど前から走行しているハイブリッド車に問題が多く発生していると聞くが、さんざん爆発的に売れ続け、結果GMまでも倒産に追い込んでいながら、さらに走り続けていたのに、なんで今まで大騒ぎにならなかったのだ、と。ソフトのバグならもっと早く問題が明らかになったはずだろうに。この点は私の不勉強かもしれないのだが・・・
 
 いつも不思議に思う。
 たとえば、食品の異物混入事件にも似て、どこかでパンの中に虫が入っていた、と報道されると、あちこちで虫だのピンだの糸くずだの、ずらずら混入事件が雨後の竹の子のように出てくるのだ。
 おいおい、ホントかよ、と疑ってしまうし「クレーマー詐欺」じゃねーだろーな、とも思う。それでいて、皆が混入事件など忘れてしまうとピタッと異物がなくなってしまう。
 今回の騒ぎも後から次々に「そういえば、オレのプリウスもおかしかった事件」が増えていないか?話し半分に聞いても良さそうな気がするが、そう開き直ることはできないことは百も承知だ。

 話しは変わるが、韓国ではこの度のバンクーバー冬季オリンピックでメダルラッシュが続き、非常に元気がよい。
 目的を定めて一丸となって邁進する。我が日本もこのスタイルはかつては得意だったのではないか?今回はどうひいき目に見ても韓国に惨敗といわざるを得ず、さらに韓国メディアにも哀れまれてしまった。

 「日本は4位でくやしいといっては泣き、3位で嬉しいといって泣き、2位でもくやしいといって泣く。(誰がどの競技で何位かは割愛するが)
 泣きすぎではないか?
 選手が涙さえ出せば日本国民は許してくれる。入賞だって、銅だって、銀だって立派だ、と。
 だが、これではいつになったら(韓国のように)金メダルを取れるのだ?
 泣きすぎる不健康な日本は見たくない。【涙がこぼれないように、上を向いて歩こう(坂本九)】」が良くも悪くも日本、だったのではないのか?」と、手厳しい。すこしは昔のサムライのように、涙を見せずやせがまんしろ、ということか。
 金メダルだけでも6個、総計14個メダルを獲得した韓国はもはや冬季五輪において日本をライバルと考えてなく、むしろ哀れんで、しっかりしろよとエールを送っているかのようにも思える。こうなってはおしまいである。
 この成績の差ではくやしいがひと言も言い返せないし、私だって世界を相手に入賞は立派だ、と思ってたくらいだ。だが、それでは韓国指摘の通り、いつまでたっても金メダルは取れないだろう。韓国だけでなく、金メダルを次々に取る国の頂上をめざすそのがむしゃらさは残念ながら認めなくてはならない。

 事業仕分けで有名になったある議員の発言が物議を醸したことがある。
 「2位ではだめなんですか?」というセリフだ。
 狙っても頂点をとれないのなら、無駄な資本を投入することをやめて、2番手、3番手をめざせということだろう。
 だが、結論から言えば、どんなことだろうが、そんな気概ではダメに決まっている。
「頂点をめざさないものは2、3位にも届かない」ことが、特にアスリートの世界では当たり前だからだ。
 茶化すようだが、だいたい衆議院議員だったら、どんなに惜しくても2位は小選挙区で落選でしょ。(比例復活はあることにはあるが・・・)
 1位をめざさなくていい比例代表の参議院議員の発言だからそんなことをいうんだ、とからかわれてもおかしくない。日本はいつも急峻な坂の下から「坂の上の雲」をめざしてきた。決して届かない、かもしれないが、それくらいの気概がないとものごとは達成しない。

 ものづくりは日本の産業の要である。
 
 鉱物資源も化石燃料も農業を営む広大な大地もない日本。唯一とれるとすれば海に囲まれていることを生かした漁業くらいなものか。だが、漁業国としても、ワシントン会議で国際的にマグロ取引停止・禁漁にされそうになっているし(3/19の国際会議で否決されたので安堵したが、マグロが食べられなくなるあぶないところだった)、捕鯨も相変わらず満足にできない。
 くわえ、技術革新して面積あたりの取れ高を増やせる農業と違って、対象を絶滅しないように配慮する漁業は最初から捕れる上限が決まっている。
 
 産業としても農業ではバイオ燃料という道があるし国土の狭い日本は太刀打ちできない。それに、魚は食べる量以外はあまり使い道がないし、むしろ、他の用途に使うようになると枯渇してしまう。
 かつて、最大の捕鯨国アメリカは鯨の油を燃料用に制限なしにとっていた。太平洋を我が物顔に航海し、その捕鯨船の燃料補給港を探して、極東に位置する日本に開国を迫ったことは周知の事実だ。
 要するに、俺たち海賊するんで、水と薪を出せよ、コラ、ってことだ。それがペリーの乗ってきた黒船である。
 今頃、「鯨がかわいそうだから捕鯨反対!」とほざくとは、よくも言ったものだ。
 シー・シェパードは歴史を知っておるのか?あの捕鯨反対!のやり方が海賊そのものだ。ちゃんちゃらおかしいし、日本としては食べるだけしかとろうとしないのに、まるで日本の捕鯨が絶滅の危機を招いている言いぐさは腹立たしい。かつてのあんたがたの乱獲が原因だろうが!欧米としては、単に鯨油に燃料としての魅力がなくなっただけである。
 また話がずれてしまった。
 
 それではクロレラはどうか?燃料の補給に水と光さえあれば無尽蔵に増える、クロレラを海で増やす。技術や海の水は無限に近いほどある日本は特化するのに最適だ。飢饉用や宇宙食にという話しもあったが、このクロレラの成分クロロフィルを食べ過ぎると太陽光によって皮膚炎を起こすことがわかってNASAでも研究打ち切りになった。
 余談だが、この葉緑体を多く含むプランクトンをエサとしているアワビやサザエを猫に食べさせると、ヒトが起こす同じ皮膚炎で「耳が落ちる」という言い伝えがある。これは本当である。猫は体毛に覆われているが、耳だけはまるごしであるから、太陽光でひどい皮膚炎になり耳がただれてしまうのだ。ヒトも同じなので、クロレラを好んで健康食にしている方はやはり日射しの強くなる夏は気をつけた方がよろしいようだ。
 
 さて、そんな海産国としてはもはや先が見えている日本が世界に伍するものは「技術」以外にない。
 
 高い技術水準を駆使した物づくり、それがJapan as No1の称号を得てきたのだ。
 トヨタ、ソニーもその気概を十分持っていたはずだ。ソニーはパソコン、ビデオ、液晶(はすでにサムスンと提携)の部門では往年の勢いはなく、ゲーム機、ウオークマンという軽量級のアイテム以外では低迷を続けている。
 トヨタは冒頭に記したとおり、ハイブリッドというエポック・メーキング的な車を開発し、その技術力には揺るぎない力を世界に見せつけながらも、最も重要視しなくてはならない安全性で足下をすくわれた。全くもってもったいない。
 
 安全性は日本ブランドの代名詞だった。たとえば埼玉を拠点にする「アライ」は世界一の強度と安全性のヘルメットをうたっている。決して巨大な企業ではないが、世界を相手に「ヘルメットといえばアライ」・・・と知らぬ者はない。事実、世界でF1ドライバーは20数人いるがほぼ半数の著名ドライバーに採用されているヘルメットはアライ製である。残りの半数はドイツをはじめとして数社で分け合っている。ここでも日本はナンバーワンである。
 
 医療器具でも誇るべきオンリーワンは存在する。たとえば、針。
 手術用針は皆さんもごらんになったことがあると思うが、脳血管や眼科領域で使用する針と糸の細さは髪の毛よりももっともっと細い。これらのマイクロ技術は日本の最も得意とするところで、しかも安全性に信頼される針糸を作り続ける一中小企業である栃木県のメーカー(マニー梶jが針部門で世界中からオファーが来る。
 眼科用の針、メスはびっくりするほど小さいが、この社の作る針の正確さと技術ではおそらく世界トップクラスであろう。この小さな会社がジョンソン&ジョンソンなどの巨大企業と堂々と渡り合い世界を相手に商売をしていることに喝采をあげたい。
 この社是がまたすばらしい。
 「世界一しか作るな」
 がそれである。
 事業仕分けした、かの議員に聞かせてあげたいくらいだ。このような、高い目標設定は必ず実を結ぶ。
 
 誇るべきもう一つは注射針。
 注射は痛い。このことは誰もが知っている。予防注射や病気で注射するくらいなら、なんとか我慢できる。が、命続く限り、また命をつなぐために毎日毎日注射をしなくてはならない人たちがいる。
 インスリン依存性糖尿病がそれだ。インスリンはすぐ分解されるタンパク質なので、飲み薬には決してすることができない。毎日注射をする行為、これも大人ならまだ我慢もできよう。だが小さな子供にこの痛みを伴うインスリン注射を打たなくてはならない、となると、本人もそれを見る保護者もそれはつらいものだ。
 痛くない注射針はできないものか?
 医療器具を専門に扱うテルモ鰍ヘ「蚊に刺されても痛くないから、それほど細い針ができればいいのでは」と考えた。
 テルモの技術陣はこの難事業に取り組んだ。が、結果ははかばかしくなかった。
 蚊の針は0.2mm、鋼線でその太さの「針」を作ることは容易だ。しかし、注射針は薬液を通すために空洞が必要になる。その空洞はある程度大きくなければシリンジ(注射器本体)から押し出す圧力が大きくなりすぎて実用にならない。
 経験的に医師や看護師なら皆知っているが、太い注射器で細い針をつけて注射すると
「ピストンがすごく硬くてちっとも薬を送り込むことができない」のだ。
 そうなると薄い紙を一巻きしてできるような円筒を金属でもって作る、このミッションはそれくらいの難易度になる。
 
 外径は細く、内径は太く、しかも折れずに、また皮膚にあたっても曲がらず、そんな針はできるのだろうか?
 テルモ技術陣は「とてもできない」と白旗をあげてしまった。
 が、その「痛くない針」のコンセプトをあきらめきれず、金属加工のスペシャリストの会社に技術協力を求め、打診した。
 「蚊のような針を作って欲しい」
 その数100社であるが、1社を除いて「無理である」とすべて断られてしまった。

 依頼、というより限界への挑戦を受けたのは「岡野工業梶vであった。
 墨田区にある従業員わずか6人という中小企業、というより失礼だが零細企業である。しかし、岡野氏の金属加工技術は自他共に世界一と評判が高く、他国でも一目置かれており、NASAの依頼も受けたことがあるくらいだった。しかし、その岡野氏でもこの開発には難航を極めた。
 物理学者に「蚊の針を金属で作ることは理論的に不可能」とまで言わしめた蚊針、工夫に工夫を加えついに完成させた。
 外径0.2mm、内径0.08mmという途方もない技術力である。当然、世界一の細さで、これ以上細くすることはできないだろう(し、痛くないからこれ以上必要なし)
 
 私もその針で自分の皮膚を刺したことがあるが、本当にちっとも痛くないのだ。これは画期的である。
 
 TVでも何回も放映されたからご覧になった方も多かろう。
 いつもは痛いインスリン注射で顔をしかめていた子供が、この岡野氏の「蚊針」を渡された。おそるおそる使った際、ぱっと明るい顔になり
 「あれ?!これ痛くないよ」
 と嬉しがる子の映像のビデオを届けられ、それを見た岡野氏はそのとき満面の笑みをたたえた。
 技術者の呻吟苦労が癒されるのは、すべてこの瞬間であることに間違いない。
 
 鉄砲(火縄銃)が種子島に伝来したその翌年国産の模倣銃を作ってしまい、そのわずかと言っていい30年後に織田信長が長篠の戦いで大量の国産鉄砲で武田騎馬隊を壊滅した。
 
 これは驚くべき鉄砲の増産ぶりで、欧米のどの国でもそのスピードは例をみない。欧米で火縄銃を使った大規模な戦闘は長篠からさらに40年ほど経って始まる「30年戦争」が最初のことであった。それほど新規の文明に対して好奇心が旺盛で改良量産の能力が日本に高かったといえよう。
 
 また蒸気船である黒船が来航して、たった3年で、それこそ見よう見まねで宇和島藩の前原巧山が「国産蒸気船」を作ってしまった。
 それまではただの箱船しか沿岸を航行させたことがない日本人が蒸気のなんたるかも知らないのに、また一人の欧米人の助けもかりず、設計図もなく、である。
 恐るべき模倣力であろう。新たな技術を目の当たりにした場合、それを瞬く間に吸収し、それを昇華させる能力は日本民族のDNAと言っていい。
  
 物づくりは繰り返すようだが、模倣だろうが「猿まね」とさげすまれようが日本の宝である。世界一をめざす、その物づくり精神がある限り日本はそのアイデンティティを主張し続けることができるだろう。

 ガンバレ日本!

*ハイブリッド車ブレーキ事件:この問題を受けてトヨタ社は380万台の大規模リコール。アメリカでは公聴会での説明も求められた。しかし2011年2月詳しい調査をした米運輸省は「トヨタ車に欠陥はなく、急発進はほとんどが運転者のミスだった」と最終発表した。


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2010年11月23日火曜日「異能の記憶」
 とんでもないことをずっと覚えている妙な人が時にいる。幼少時の記憶、学校での失敗、趣味のこと、私の学生時代にも各学年でそういう異能の人々が回りにいた。
 
 高校の同級生のあるものは好きなタレントの曲の歌詞を覚えることなど朝飯前で、ついでにそのシングルの発売日が何月何日で売り上げがどうだの、B面がどうだの(今時CDにB面などないので死語だが・・・)恐るべき記憶力であった。
 そいつは今でもアイドルとは関係ない若かりし頃の、級友誰それの失敗や恥ずかしい言動を覚えており、本人も忘れたいくらいの赤面なことも覚えられていて、クラス会で迷惑なことこの上ない。なにしろ記憶力には定評があるから、そいつが尾ひれをつけて皆の前でしゃべれば、それが信用されて本人がどんなに否定しても真実になる。誰か黙らせろ!
 (おい!K。お前だよ。お前!これ読んでたら、すぐメールするように)
 
 学生時代、私は土曜日の夜、午後10時といえば、勉強するふりして机に向かうのであったが、ラジオでオンエアされる「全米トップ40」を毎週聞いていた。
 それはアメリカにおける音楽情報誌であるビルボードのオリコンのような全米チャートを紹介する番組である。一応、アリバイ工作的に机の上には問題集などひろげてはおくが、全神経はスピーカーに集中していた。
 40位からカウントダウンされる曲名、アーチスト、順位、を素早くメモしてそれをあとで清書するのだ。毎週毎週、自分だけのビルボード誌チャートを作っていた。あの当時、ビルボード・チャートは売り上げ・有線・ラジオリクエスト・ジュークボックス(死語・・・)での演奏回数など点数化し総合して順位がついていた。
 
 No.1ヒットでも全米に浸透するまでタイムラグがあり、結果的に大ヒットしたような曲も毎週チャートを少しずつ登っていったようだ。
 従って今時のような、発売日即1位、翌週ベスト10圏外なんて味気ないランキングでなく、40位に初登場してから15週くらいかけて頂点をつかむようなそんな謙虚な曲も多かった。
 というか、どんなビッグネームの曲でも30位前後を低迷し全然ヒットしないこともあれば、新人さんでも「赤丸つき急上昇」という勢いのある売り上げでぐいぐいチャートを駆け抜けていく気持ちのいい曲もあった。
 曲のイントロがかかった瞬間、DJが「先々週64位、先週46位、今週39位初登場、赤丸つき、誰それの何」というところを聞き逃せず、すかさずメモる。特に30〜40位は初登場曲が多く、DJも早口で聞き漏らすまいとピリピリ緊張していた。
 
 雑誌買えばいいだろって?
 土曜日の昼にFEN(米軍極東放送)でランキング初出だから、その夜日本版である全米top40をチェックして、それをメモして清書して、月曜日に同好の友人に見せるところがオツなのですよ!書店なんかよりずっと早くランキング表ができるのだ。
 今はネットもあるし、こんなバカなことをやっている中高生もあるまい。応援しているバンドの曲の赤丸がとれて順位足踏みをすると
 「あ〜あ、何やってんだよー」と思わず声を出してしまったし、しぶとい曲は一度赤丸とれても次週再び赤丸つきになることもあったのだ。
 
 野球中継がたまに伸びて、午後11時くらいからおして始まることもあった。その時は涙目である。トップ10は一番最後のコーナーだからおよそ午前2時頃になってしまったからだ。
 録音して次の日聞けばいいって?意地でもリアルタイムでやるのがオツなのですよ。(なんの意地だ?)
 
 それに当時私の持っていたカセットは予約録音ができない会議用のような安いもので、ラジオは単品で聞いていたのだから、録音したくたってうまくできなかった。
 
 さてそんな訳のわからないことを真剣にやっていた時代のあと、興味も薄れ、ビルボードがまるで気にならなくなった大学生のある時、ある友人とたまたま70〜80年代のロックの話になった。
 そいつは私以上にビルボード・オタクだったのだ。
 「○○の何とかって曲、あの時、地味にヒットしてたよな」
 「ああ、それは78年11月初登場で12月最終週、最高位14位だったな」
 「???」
 てきとー、いってんじゃねーよ、コラ、と思ったが、話を続けた。
 「オレ、こいつらの2枚目のアルバムのシングルカットの曲好きなんだよね」
 「ああ、79年の年間チャートでは85位ね。最高位は6位2週間だよ」
 
 しばらく話しているうちにこれは、でまかせではない、と悟ることになった。
 恐るべきことに、こいつの中高時代のビルボード何年か分はすべて頭の中に入っている人間離れした記憶力の持ち主だった。あれだけ一生懸命メモっていた私でも大部分の記憶が抜けおちているというのに(あの努力はいったい何だったのだろう)、このパソコン並の検索能力は一体・・・舌を巻く、というか、あきれたと言っていい。
 
 この記憶力はほかにもっと使い道があっただろうに、と思ったが、天は二物を与えずとはよく言ったもので、彼の最大の弱点は一般常識だった。
 なにしろ、こいつは「たこの足の数」を知らなかったし、醤油が何から作られるかもわからないし、桃太郎が連れている家来が誰だか知らないのだ。
 要するに、好きなものと教科書に出てくるもの以外一切を覚えていない、というきわめて合理的だが浮世離れした脳細胞をしていた。最近は会っていないが、果たして、彼は現在まともな人間の生活をしているのだろうか、少し心配になるところでもある。
 
 以前、このコラムでも「関東大震災」というノンフィクションを著した吉村昭氏を紹介したことがある。彼は「白い航跡」「ふぉん・しーぼるとの娘」「日本医家伝」「夜明けの雷鳴」など医師を主人公にした作品も多い。無駄な描写を省き、文献を忠実にあたり筆を進めるタイプの作家である。フィクションを排した事実を知りたいときは結構いろいろ読んで助かっている。私にとっては偉大な先輩のたちの医歴史書としても十分に楽しめている。さて、この吉村氏の「昭和歳時記」というエッセイがこの度、文庫で出たので、早速読んでみるとかなりたまげた。
 筆者の幼年時代からの記憶をたどった文だが、年端もいかないうちからきわめて精密に身の回りのことを覚えているのだ。2歳くらいで東京上空に現れた飛空挺ツェッペリン号のことを描写しているし、戦前のことも詳細に書き込んでいる。あまりのクリアさに、あとで知ったことを足して書いてるんでは?とも思った。
 
 一昔前になるが妹尾河童氏「少年H」を読んだ。
 その時は妹尾氏が中学生時の戦時中のことが事細かに書かれていたので同じように腰を抜かした。
 「これはすごい記憶力!スーパー中学生だ」と脱帽したのだが、後になって戦後知った事実を書き込んだフィクションだと指摘された。(「間違いだらけの少年H」より)

 戦時中は当然のことだが、発表され得ない報道があり、戦後初めて明らかになったような事実など数多く、当時の一般少年が知りようがないことも書かれていたと実証され、どうやらそっちが真実らしく、がっかりした覚えがある。
 しかし吉村氏の方は記憶といい仕事の確からしさといい、これは本物のメモリー機能のようだ。

 このまるで写真、のような記憶力というのは一体どういうことなのだろう。人の記憶能力なんぞ限界があるに決まっている。私も割と一夜漬けには自信のあった方ではあるが、そんな常人程度の自慢では足元にも及ばないほどの異能の持ち主が医学部には時に降臨する。
 
 試験前にいつも遊んでいる(ようにしか見えない)同輩がいた。
 医学部の定期試験は莫大な範囲が当てられ、授業に出ていても、スピードが速すぎて、理解が及ばずちんぷんかんぷんであっても、試験前はまず普段全くなじみの薄い医学用語やらを覚えなくてはならない。いわゆる業界用語の詰め込み状態である。その上、それを理解し、設問に合わせて、的確につなぎ合わせて解答しなくてはならない。どこかでそれらの理解につまずくと、足を取られ勉強がちっとも進まない、ということも多い。
 
 たまに私も大学で講義をするのだが、自分が当然のように知っていることを知らない人に伝えることの難しさをようやく実感した。
 自分が何十年もすでに使い回して、理解しているのだが、それを聞いたばかりのほとんど知らない学生に教えるのはなかなか大変なのである。
 
 さて、天より降臨したとおぼしき同輩は試験前の一日のみ部屋に引きこもる。それまでは麻雀などして勉強などはなにもしない。それがいきなり、スイッチの入った状態で試験を受ける。一発クリアである。繰り返して申し上げたいが、とても一夜漬けでできる範囲ではない。彼の神がかった能力とは一体?

 その当時私が驚愕した彼の能力は瞬間記憶能力だったに違いない。すなわち、膨大な範囲のおそらくノート(まじめでできる学生のコピーが出回っていたがそれだろう)を一切「理解」しようとせず、まるごと記憶するのだ。
 書き換え無限のハードディスクみたいなものである。なんと便利な能力であろうか。
 みずから暗記だけで東京大学医学部に入ったと豪語する和田秀樹氏もきっとその力を蓄えていたに違いない。おそらく日本最高峰の大学にはこのような異能者たちがひしめき合っていることだろう。

 以前、脳には短期記憶と長期記憶を扱う箇所があると記したことがある。この短期瞬間記憶は生まれながらにして誰でも使いこなすことができるが、成長するにつれ次第に失われていくらしい。
 それで合点がいく。幼児期の記憶の方がやたらはっきりしておりディテールも鮮明である場合が多いようだ。
 
 人間は成長すると数多くの機能を捨てて、生きていくための方便を学習していかなくてはならない。瞬間に覚えて、それを長期記憶にとどめておく能力はあるに越した方がよいが、脳細胞の容量が足りなくていずれパンクする。それゆえ、少しずつ記憶が失われていくようにプログラムされているのかもしれない。
 
 私も特に最近、「あれ、あれ」「それ、なんだったっけなぁ」と独り言をつぶやくようになった。これは、かなり脳細胞にガタが来ている証拠である。人と話をしていても、すぐに固有名詞が出てこないすこぶる憂う状況になった。
 
 円周率を暗記する、ことが一時中学時代流行った。
 3.141592・・・云々というヤツである。自分も結構がんばってみんなと暗唱合戦を繰り返したが当然すぐに飽きた。今は小数点以下15桁くらいしか記憶の残骸は残っていないが、正確に暗唱できたのは最盛期でも80桁くらいだろう。
 
 おどろくことに、2006年に60歳日本人男性が円周率10万桁(!)を暗記し、ギネス申請したそうだ。何に役立つのかよくわからないが・・・
 運動や反射、記憶は若い人たちには絶対にかなわないはずなのにこの人の記憶能力は一体どうなっているのだろうか?

 松本清張氏の作品ではよくあるのだが、ほんのちょっとしたことが刑事のカンに引っかかり、真犯人は別にいると思い立ち、関係者を聞き込みで歩き回る設定がある。
 刑事が「これこれこういう格好の人を見かけませんでしたか?」と目撃者に尋ねるのだが、「ああ、そう言えば・・・」と手がかりが得られてそこから糸をほぐしていくというあのパターンだ。
 
 私はこういうところでいつも考え込んでしまう。これって普通の人のこと?
 自分などは昨日のお昼に何食べたか、も定かではないし、何ヶ月も前の見知らぬ人を見た記憶なぞは逆さまに振っても出てこない。
 逆に「お前の1ヶ月前のこの日この時のアリバイは?」って容疑者にされたら、答えようがなくしどろもどろになって即連行されるかもしれない。クリニックで診療している日だったら、患者さんが証明してくれるだろうが、そうでなかったらどうしようもない。
 聞き込みを徹底的に繰り返し、隠された真相に近づく、といういわゆる社会派的なミステリが私が苦手なわけはこの忘却記憶トラウマによってなのかどうか定かではないが、どう思われようか?

 防犯カメラなどにも使われている一定の時間エンドレスにビデオを回し、犯罪の証拠にしようというテクノロジーが最近は当たり前になった。タクシーでは確か18秒間遡って記録できるカメラを搭載している車も多くなったそうである。こうすれば、事故の時、その瞬間信号はどっちが青だったとか、どちらに非があるかが明らかになる。
 それならば、人間の記憶中枢にマイクロチップを埋め込んで、一定の期間、人間の見た映像をそのチップにメモりし、遡ってスクリーンに映し出す技術だって理論上はできる気がする。
 
 そうすれば殺人事件などは少なくなるのではないだろうか?
 被害者に埋め込まれたチップを解析すれば、少なくとも最期の時、その瞳は誰を見ていたかがわかるではないか。容疑者もチップ提出を義務づければアリバイなんて訊く必要はなくなるだろう。
 プライバシーはめちゃくちゃなくなるが・・・これは実用向きではないようだ。それにそんなことではクラス会が面白くなくなる。
 
 記憶マシーンのわが級友の話は実話がベースなんだろうが、すこぶる面白いのだ。尾ひれがつくというのか、ヤツの話でクラス会は一気に盛り上がる。うすっぺらな事実だけよりも脚色した方が古今東西のドキュメンタリー小説が証明している。聞き手も楽しめるし、なんせ、もうどんなことも時効である。
 第一しゃべってるヤツの脳内も記憶が発酵して、極上のテイストに変化しているかもしれないのだ。どうせなら、面白い話を聞いた方がよい、とターゲットになったときもみんなと一緒に笑って聞けるようになり皆と会うのも楽しくなってきた。年取った証拠である(笑)


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2011年06月10日金曜日「Starting Over(Just like)希望編」
 あの震災の日から3ヶ月経った。
 
 幸い、といっては大変失礼な言い方だが、知り合いや同輩など被災こそすれ、命を落としたものがいなかった。
 しかし、いまだ、かの地は十分な復興をとげておらず、医療機関もただでさえ過疎地だったため物品やスタッフの欠如が甚だしいと聞く。なにか手助けなどできぬものか、とも思うがクリニックを閉めていくわけにもいかず、もどかしく思っていた。
 
 そんなとき、この間、東北の人の手記を読んではっとしたことがあった。それはこの様な意味のくだりだった。
 
 「(被災して)不自由でないかというと、それはひどく不自由だ。なぜ自分たちが、とも思う。だが、被災していない人たちが自粛などはしないで欲しい。どうか日常の生活を楽しんでください。それをねたむほど俺たちは落ちぶれていない。」
 
 誇り高い東北人の面目躍如である。なにしろ、被災し全世界に粛々とした粘り強さと高いモラルを賞賛された東北だ。まさに、その通りであろう。私がもし被災していたら、きっと同じように歯を食いしばっても答えたいセリフだ。

 そこで、私の日常であるコラム書きを再開しようと思った次第である。

 震災のことが頭にあったから、本質からだいぶ脇にそれたことがらでもつれづれに考えたことがある。  
 
 血のつながった家族といえども、音楽の趣味はまあこうもバラバラなのはどうしたことだろうか。
 
 私ごとだが、自分は再三申し上げているようにプログレメインのオールド・ロック、時々、クラシック、J-POPはほとんど聞かない。
 家人はお隣の国のPOPsを聞いている。
 子供たちはかつてはウタダだのB'z(B'zだけは私も聞くので子供たちと数少ない接点だ)だの聞いていたのが、最近はラップや弾き語りのシンプルなサウンドを好むようになって私とB'zを介したか細い糸はとぎれた。
 従って、かつては車でロングドライブなどした時は「何をBGMにするか」でかなりもめていた。ハンドルを握るのは私だが、といって、すべて私の好む音楽をかければ「吐き気」や「騒音障害」だので、暴動がおきる。
 そこで、旅程の長さでCDの割り当て枚数を決めて、ローテーションで曲をかけることにした。当然、私のCDの番になると「なに?これ、音楽?」だの「もっと音量を下げろ」や不平不満があちこちで勃発する。私のCDになるといきなり寝だす家族もいたから、運転手としてはふざけるな、といいたいところだ。私が考えに考えて初心者用にかなり口当たりのよいソフトなCDにしているにも関わらずである。
 最近は各自デジタル・オーディオを持っているので、どこへ行くにも自分で勝手に好きな音楽を聴いているため、いさかいが起こらない。しかし、かかっていた音楽であれこれ議論(罵倒?)をするのも結構楽しかったので少々さびしい気もする。

 なんのことかというと、震災や突発的な停電で人の心を癒してくれるのは月並みだがやはり音楽なのではないか、ということだ。

 1970年代に大活躍したスリー・ドッグ・ナイトという妙な名のミュージシャンがいた。日本でもヒット曲が多く、年配の方ならきっと「ああ」とわかるはずだ。
 世界的な彼らの大ヒット曲「喜びの世界」は21世紀の今でも結構CMなどで使われる。(いつぞやはビールかなんかだったな)
 この曲は1971年に6週間連続全米No1を記録し、若い方もきっと聞いたことがあるくらいだと思う。
 スリー・ドッグ・ナイトは結構渋めの曲が多いが、この曲は歌い出しからシャウトをぶつけてきて、それまでの彼らの曲を知っていた人はちょっと度肝を抜かれただろう。
 
 どこまでも明るい曲でこれこそ下を向いているときに「元気が出る」に相違ない。あくまでもシンプルで歌詞もこんな風だ。
 
 ジェレミアはヒキガエルみたいなヤツ
 だけどオレの親友
 ヤツのいうことはなんだかよくわからない
 あいつとワインを飲んでいると
 いつも言うんだ
 あいつとの酒はゴキゲンだぜ
 ヤツはこんな風に歌うんだ
 
 この世界に喜びを!
 すべての子供たちに幸あれ!
 深い深い海に住むサカナクンたちにも!
 そしてオレとお前にも!
 
 もしオレが世界の王になったらって?
 オレならこうするぜ!
 まずクルマを全部ぶっこわす
 法廷と戦争をなくす
 そしてとことん愛し合うぜ
 さあ、歌おう

と、こんな調子である。能天気でいかにも酔っぱらいのたわごとのようだ。うるさいと感じる人もいるだろうが、
「Joy to the world, all the boys and girls now」
と歌うくだりは胸のつかえが一気に下りるようでうれしい。
 
 もう一曲彼らのスマッシュヒットに「シャンバラ」(1973年全米最高3位)があり、これも気分がすぐれないときにはお勧めである。

 いさかいも、心痛も
 シャンバラではすべて癒される
 この上ない悲しみも、あまりなことも
 シャンバラに降り注ぐ雨が清めてくれる

 シャンバラに行く時に出会う人は
 誰もが親切、誰とでも助け合ってる
 みんなが幸せ、これほど優しい人はみたことがない
 シャンバラはそんなところ

 ああ!なんという明るさだろう
 シャンバラの神殿にさす光は
 ああ!こんな明るさはどうだ
 シャンバラでは君もきらめく
 
 シャンバラとは密教で伝わる理想郷のこと。宗教っぽい臭いがプンプンする歌詞ではある。だが、それだけで毛嫌いしてはいけない。
 この曲はイントロからカントリーっぽく、明るい曲調で歌詞通り、光に満ちあふれている気がする。どこもゴスペルらしい押しつけもない。歌詞を聞かなければ、曲だけできっと野山にでも駆けだしていきたくなるはずだ。
 私は仏教徒でもクリスチャンでもないが、(どちらかというと仏教教義の方に心をひかれるが)それでもこの歌詞の持つ理想郷願望を歌い上げることになんら不満はない。

 希望が持てないとき、心も夜も暗闇が支配するとき、助けになるのは人と人のつながりであることは論を待たないが、すべてを克服できずとも一人の力でわずかでも埋め合わせをすることができるのは「歌曲」と「笑い」だけだろう。
 物資や義援金は物流とインフラが整わないうちに被災地に流し込んでも渋滞するばかりだ。実際あちこちの避難所で保存食の賞味期限切れが多発したそうだ。

 震災後、東北地方は数日停電し、夜は闇に閉ざされた。かぼそい蝋燭や懐中電灯の光の中、頼りになるのはラジオだったろう。デジタルオーディオも数時間なら聞けただろう。そんな時きっと勇気づける愛する音楽が人々の心を救ったはずである。
 
 人間は起きているときはたとえ震災などなくても様々なストレスを受けており、交感神経が緊張しっぱなしになる。血管をきつく緊張させ、血圧を上げる。脈を速くし筋肉や脳に血液を送り込みやすくする状態だ。このままだと緊張の糸が切れてしまう。
 そのため、休む前、眠くなってくると副交感神経が優位になって、全身の緊張をとく。曲を聴いてリラックスすればなおさらよい。副交感神経の活性化をしなくては、震災で受けたストレスを修復できない。
 
 阪神大震災後の数年後、被災者の集団の癌化率・癌死率が上昇したことが発表された。これは被災のストレスが遷延化し、免疫力が低下したためと解釈されている。
 夜もぐっすり眠れず、寝たと言っては余震で飛び起きる。朝になれば今日一日の食事はどうしようとか悩みもつきない。
 
 被災し命からがら助かっても、後に癌化してはなにもなるまい。それを防ぐには、被災しても少しでも心を和らげさせるものを普段から常備しておくべきではないか。
 私はそれが音楽だと思う。電気が止まっても聞けるようにデジタルオーディオも充電しておく、または電池や太陽光で充電できるようなオプションもつけるとよりよいだろう。
 
 私が最初買ったデジタルオーディオは数千円だった。(ちょいと奮発して今は買い換えてしまったが)それでも2年くらいはウォーキングしながらかなり聞きこんだ。
 世のお父さんたちは1〜2回くらい外で飲んだと思えば安いものだ。私の家族を見てもわかるとおり、みな好む曲はバラバラである。一台のオーディオではこんな時、心許ないのではないか。
 
 今のデジタルは映像も録画可能だ。音楽があまり好きでない人は落語やお笑いはどうだろう。
 
 筑波大の村上名誉教授は遺伝子の専門家だが、ユニークな研究で注目されている。
 
 教授は吉本興業とタイアップして、「笑い」が遺伝子にどう作用するか研究しているのだ。以前から、大笑いするとNK細胞というガン細胞を退治する免疫の力が活性化されることが知られていた。村上教授はヒトは笑うと遺伝子レベルでどういう変化がおこるかを調べたという。
 
 吉本のお笑いを数十分糖尿病患者に聞かせた後血糖値を測ったところ、21人すべての患者の血糖値が下がったという。
 それとは反対に大学の先生に「糖尿病のメカニズム」という医科学生向きの講義を患者さんに聴いてもらったあと、血糖値を測ったら、逆に上昇したとのことだ。
 大学講義を聞くというのは一般市民にはどうやらストレスフルに違いない。私が聞いたって面白くないだろう(笑)
 血糖値が上がったり下がったり、その際、どの遺伝子が働いてスイッチが入ったかを調べて論文発表しているそうだ。その血糖値を下げる遺伝子の組み合わせがわかれば、すばらしいことだ。
 教授は「絶対に副作用のない薬、それが笑いです」と豪語しているとのことだ。

 笑いが消え、音楽で癒されないとなると人の細胞は発癌する、というよりは癌化を止められないといいかえてもいい。
 それなら、被災民には即時的な物理的援助よりも音楽や笑いを提供するなどの心的援助の方が後々のためになるのではないだろうか。(生命維持に必要な物資は無論だが)

 天災は忘れた頃にやってくる、とは明治の学者中谷宇吉郎(寺田寅彦の弟子の一人。いままで寺田の言葉とされていたが間違いとされる)が言ったがまさにその通りである。
 
 関東地方ではすでに普段通りの生活に戻ってしまっている。あの水・保存食・ガソリンパニックはなんだったのか。あの節電狂騒はなんだったのか。
 昨今は震災のことはおろか、危機的状況からは脱していない原発の話題さえ途絶えがちになっている。わが日本人は確実に激しやすく、忘れっぽい。
 
 暑い夏が来て、初めてのように大規模停電の恐怖にさいなまされる。3/11以来、必ず近い将来来ることはわかっていたことなのに・・・やはり「人は見たいと欲するものしかみない」・・・逆に言うと、見たくないものは考えたくない、ということになる。けだし名言である。
 
 希望というものは何も物質や曲、笑いだけではない。大自然もまた人の心を癒してくれる。

 震災の夜、停電した東北には満点の星が降り注いだ。ネオンや家庭の灯りが一斉に失われたためと、快晴で透き通るほどの空気のためだ。仙台で被災した作家伊集院静氏はこうエッセイでつづっている。 

 「・・・さまざまな光景が身体の中に入り込み過ぎて、やや混乱もしているが、何度もよみがえるのは、3月11日夜の、あの美しすぎるほどの星空である。地上の惨劇と天上の美眺の相対は何を告げようとしていたのか・・・」

 作家は極限でも詩的状況に身を置く訓練がされている。客観視もできる。
 しかし、この夜、ただひたすら恐怖に打ち震えながら、避難所で夜を明かした人々の方が多かったろう。
 あの夜伊集院氏と同じ星空を見上げていた小学校6年生が書いた作文を目にし、その力強さに驚いた。

 「津波は渦を巻き、おおいかぶさってくるように町を消していきました。真っ暗な校舎の中、みんなではげましあいながら助けを待ちました。
 ・・・私たちはこれから、応援してくれる人への感謝を忘れず、精いっぱい生きていきます。あの夜、真っ暗な空に輝いていた星たちのように、希望の星となるように」
 
 大自然の怒りとも言える地震・津波。それと等しく人力の到底及ぶことのない星空に希望を託す。なんとすばらしいことか。
 
 また生き残った漁師たちも口々に言う。
「家族も家も何もかも津波で失った。だが、海は今まで俺たちを精一杯生かしてくれた。これからも海の力で生きていくから(海を)少しも恨んではいない。」という風な発言をしていた。
 
 その意気やよし、である。人は自然に生かされてそして自然に帰っていくものだから。

 これからは原発に替わるエネルギーの大本はおそらく自然光か大海原に求めるしかないだろう。
 ならば「復活の歌」というなら、やはりこれしかないだろう、と私は思う。
 私は夜明け前のもっとも暗い時、被災していて目が覚めたら、この曲を求めることだろう。どうしようもなく古くさくて、平時には照れくさくなるような歌詞である。
 私のロックの原点はこの四人組なのだ。何度くじけても、どんなに打ちのめされても、ここから、彼らの曲から(starting over) 再び始まることだろう。

  愛しい人よ、みんなが微笑みを取り戻す
  どんなに長い月日だったろう

  ほら、太陽が
  太陽が顔を出すよ
  もう大丈夫だ

  愛しい人、氷が少しずつ溶けていく
  なんて暖かいんだ
  とうとう青空が広がる日が来た
 
  もう大丈夫だ
  太陽が帰ってきた

  The Beatles 「Here comes the sun」

  附:
 タイトルの「Starting Over(Just like)」は1980年ジョン・レノン最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」よりの大ヒットナンバーからです。意味は「再出発(のようなもの)」といった所でしょうか。
 ジョンレノンは5年にわたる主夫生活からミュージックシーンに戻り、まさにリスタートした直後銃弾に倒れました。
 私は大学生だったその頃ジョンが死んだということをなかなか受け入れることができず、ふぬけのようにこの「ダブル・ファンタジー」を何度も何度も聴いていたことを思い出します。

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2011年07月24日日曜日「あきらめない心」
 なでしこジャパン、ワールドカップ優勝おめでとう!

 世界一である。こんなうれしいことはない。やっぱり2位はダメなんです(笑)私もにわかサッカーファンとして、アメリカとの決勝戦はTVに釘付けで見てしまった。
 
 素人目にもなでしこは終始苦しい戦いを強いられていた。ボール保持率は上回ったものの低い位置でのパス回しが精一杯で、ひとたび守勢に回ると重戦車のようなアメリカ選手が中央から斬り込んでくる。  
 前半は日本の危機の連続で、相手のシュートがバーにあたり救われるなど、3-0で折り返してもなんら不思議のない展開だった。おそらくアメリカももう少し押しまくればほどなく日本ゴールを割れるだろうと高をくくっていたに違いない。スコアレス・ドローになんとかたどり着いた前半戦だった。

 しかし、後半が始まるとなでしこも徐々に形になってきた。
 いけるか、と思わせたが、個々の能力の高いアメリカはゴールを割らせず、しかもカウンターから一瞬の隙をついたシュートを放ち、これが両軍通じての先制点となった。
 アメリカはこの時点で勝利を確信しただろう。
 なにしろ世界ランキング1位の女子サッカー王国である。リードした時の戦い方を熟知している。
 見ていた私も天を仰いで落胆した。圧倒的に分が悪い相手、を通り越して今まで20数回のマッチで一度も勝てたことのないアメリカである。日本が先制してこそ勝つチャンスも生まれると思っていただけに、あまりにも痛い失点であった。
 が、ビハインドを全く感じさせないなでしこは開き直ったのか、逆に猛攻を展開する。それが功を奏したのか失点から10分後、ゴール前のこぼれ球を押し込んで同点。そのまま90分を戦い終えた。世界王者アメリカ相手に堂々とした戦いぶりである。あっぱれである。決勝戦にふさわしい名勝負となった。

 延長戦に入ると気を取り直したアメリカが怒濤の波状攻撃を展開する。延長前半終了間際、アメリカは左サイドを突破し絵に描いたようなクロスから鋭いヘディングが炸裂。これで2-1。
 
 ここで日本のほとんどの人は「なでしこ、よくやったよな。けどアメリカが一枚上手だった。惜しかったなぁ」と先回りしてあきらめたことだろう。恥ずかしながら私もだ。が、なでしこは少しもあきらめていなかったのだ。
 延長後半は最後の15分。重戦車軍団に自陣に引かれて守られたら、ゴールをこじ開けるのは困難だ。苦しい展開は必至だが、なでしこは中央、左右とアメリカ陣に揺さぶりをかけながらチャンスを作っていく。ピッチをもう100分以上駆け回っているのにこのガッツはどこから来るのだ。
 メンバーの誰かが「もう、いいかな」とあきらめたら、そこでジ・エンドだ。見ているシロウトの私でもそれはわかる。
 
 10cm以上平均身長の違うイレブンは申し訳ないが大人と子供の試合にしか見えない。
 だが、その子供チームが大人を押し込み始めている。そして残り3分という土壇場、コーナーキックからニアに走り込んだ主将・澤選手のダイレクト・ボレーが一閃した。同点に追いついたのだ。しかもアウト・ボレーという神懸かりの技である。こんなことは例えできたにしても、背の高い選手がするヘディングと違って、ごちゃごちゃとディフェンスが密集しているゴール前で、はじき返される確率の方が高い。針の穴を通すようなものだったろう。おそらく、稲妻のような鋭いシュートにキーパーも一瞬何が起こったのか理解できなかったはずだ。日本に勝利の女神がついていたとしか思えない。
 
 圧倒的にリードしているにもかかわらず、そして突き放しては追いつかれる。その日本の粘り強さに高をくくっていたはずのアメリカは初めて震撼したに違いない。
 
 残り時間はごくわずかである。アメリカはプライドもなにもかもかなぐり捨て、なりふり構わず中央突破を試みる。その勢いに飲まれたのか日本陣ペナルティ・エリア直前でフリーになりかけ、あわやど真ん中の絶好の場所からのシュートかというシーン。切り換えされたなでしこディフェンスがたまらず後ろからアタック。これがレッド・カードになった。ロスタイムから言ってもこのアメリカのPKがラスト・プレーだろう。
 アメリカのベストポジションとも言えるフリーキック。しかし、これを外し、セカンドボールもゴールを捕らえなかった瞬間、アメリカで何かが音を立てて折れたに違いない。
 
 アメリカ最初のキックを日本のGK守護神が足ではじき返したその時、日本の勝利が決まったともいえよう。その後PK戦でのアメリカ3連続失敗は気の毒ですらある。
 PKは儲けもの、と喜んだなでしこと、絶対に負けられないと気負ったアメリカとの精神力の差かもしれない。

 子供の運動会でよく保護者の綱引き合戦にかりだされたが、あれはなかなか不思議なものだ。
 途中まで引いたり引かれたり五分の試合をしていても、一方に傾き出すとどんなに力を入れてるつもりでもいきなりずるずると前に引っ張られ、大差で負けてしまうこともしばしば。
 おそらく、「あ、ダメだ」と関知した瞬間に味方全員、同時に力が入らなくなるのだろう。不思議な「なだれ」現象みたいなものだ。

 今回のなでしこは「絶対にあきらめない」という忘れがちな精神を思い出させてくれた。震災後、初めて日本中が心の底から喜び、沸き上がり勇気を与えてくれた事象だろう。
 一方、アメリカはPK戦で最初のキックを阻まれた瞬間優勝を「あきらめた」風なオーラが出ていた。それが、メンバー全員に伝播し、つなひき・なだれ現象になったかもしれない。
 
 いつかも「あきらめない心」は生命力の源になる、とコラムでも記した覚えがある。
 それは、高血圧や糖尿病など慢性疾患に対する自己管理もそれにあたる。
 高血圧ならば薬に頼り切りの人に対し、塩分を控えるなど節制を加え、適度な運動を取り入れ、自己の血圧の変動を熟知し、またコレステロール値を管理する。これで血圧をコントロールされれば悪いわけがない。実際、そうして自己管理を続けている人は確率的に致命的な病気に進展する確率が少ない。
 逆にどこかで「あきらめる」となだれ現象を起こし急に悪くなる、とは医学的に証明されていない。ケセラセラ(なるようになる)な人も長生きすることもまれではない。しかし、こう考えるとどうであろう。
 
 福岡県の糟屋郡久山町(ひさやま)は人口8000余の福岡市に隣接した町である。平均的な日本人の年齢・職業構成をしているため、偏りのない日本人集団モデルとして九州大学を中心に50年間にわたる死因統計を調べてきた。
 この研究の発端となったのは、当時世界でもまれに見る極めて高い脳卒中死で、日本のみが世界平均をはるかに凌駕し突出していた。ために国際学会などで「日本人の死因は正確でなく誤診では」と疑問を投げかけられたことがきっかけである。
 
 すなわち久山町では全住民を対象とし、健診をすすめ、そのデータを蓄積、死亡した際は明らかな場合は除き、遺族に解剖を説得し死因を決定する。
 こうした地味な活動を積み上げてきた結果、やはり日本人は脳血管障害死がもっとも多かったと証明された。その後も久山町ではこの研究を持続させ、時代と共に病気、死因が変遷してきたことがわかっている。
 
 皆さんもよく知る「血圧が140を越えるとよくないんだよ」という説はこの久山町研究から実証されたものだ。
 140を越える血圧の集団は心臓病・脳血管障害の発病率がここを境として跳ね上がることがわかったのだ。140越えだとその圧を支える血管の壁が「ささえるのを一斉にあきらめる」のかもしれない。と、思えるほどきれいに分かれるのだ。もちろん血圧だけでなく血糖やコレステロールなど様々な要因もからんでくるが、一義的には「血圧は140以下」これが安全域であることがわかっている。

 防波堤でも蟻の一穴から決壊するように病気もどこかであきらめてしまうとドミノたおしのように悪くなる、こともあるのではと思わせる研究結果である。
 
 一方でシニカルな私はこうも思っている。
 
 今回のなでしこは常に1点のビハインドだったから、相手の背中に手が届けばなんとかなる、と闘志を持続できたのではないかと。つまり残り10分で3点差ほどついてしまっていたら、果たして同じモチベーションを保てたかどうかという意地悪な見方である。
 
 サッカーで「10分で3点」とることは不可能ではない。が、1点取って追いついたことが奇跡的と称されるほどの相手に対して奇跡を三乗させろという(三倍ではないことに注目)ありえなさが脳裏に生まれてしまえば、戦う気持ちはいっぺんになくなるのではないか。一流のアスリートや軍人・スパイはマインドコントロールの修練をしており、そんなことはないんだろうが、全く素な私なんかはそうだと断言できる。
 
 また、野球と違って制限時間が決まっている勝負は追いつくことが物理的に不可能な残り時間となることもあるのだ。
 コールドゲームのないプロ野球ならば10-0で九回裏二死からでも理論上逆転勝利はありえる。100-0だって何点だって、一人もアウトにならず打ち続ければできるはずだ。卓球でもバレーボールでもそれは同じことだ。
 
 しかし、人間が病気に相対する際は当然野球型でなくサッカー型になろう。
 どの人も例外なく制限時間は決まっている。絶対にゲームは終了するのだ。常に残り時間がすり減っていき相手ゴールを決められて逆転不可能な時間帯になった時、あなたはどうするだろうか?
 なでしこジャパンのように、くらいついていくのか、それとも足が止まるのか。
 
 それは誰にもわからないだろう。
 なにしろ、「残り時間が何分」で「どれだけのビハインド」か誰も教えられないし、わからないからだ。それでも戦う決意のある人は、病気で弱っていても、それは強く美しいとさえ言える。その姿を見たなら医療者は決してあきらめず、必ず助けの手をさしのべるだろう。それが私たちの使命だからだ。

 今回の震災で復興をめざす人々、原発の最前線でさらなるクライシスをくい止めている人々、最悪のビハインドであることは十分承知していることだろう。しかも残り時間がどれだけあるかはわからない中、その前向きで強い心には真底感服する。本当に頑張って欲しいと思う。
 
 どこかで折れてあきらめたら、一人の気持ちでなく全員のなだれ現象を起こすことを恐れなくてはならないからだ。あの強いアメリカがあのPK戦の時、ぽっきり折れた音をたてただけに。
 それをなでしこジャパンは教えてくれたような気がする。
 
 本当におめでとうございます。今度は追われる立場だが、ロンドン五輪も「金」お願いします!!

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2011年10月29日月曜日「毎秋の獺祭(だっさい)」
 獺祭(だっさい)という言葉がある。今自宅の私の机がその状態だ。獺祭とは正岡子規が自ら「獺祭書屋主人」と号したことから有名になった。「獺=だつ」とはカワウソのことである。
 
 カワウソは採ったサカナを川岸に並べる習性があるらしい。その光景がまるで人間が先祖を祭る時、供物を捧げる姿に似ていたことをふまえて「獺祭=カワウソの祭」と呼んだ。
 それから転じて、文人が書き物をする際に、参考にした本を読んで机の前や脇にとっちらかして放置した状態を「獺祭」と呼ぶようになった。私も調べ物をしたらなにがどこにあるかわからないくらい乱雑になってしまった。
 
 初っぱなから言い訳めくが、毎秋この時期、大学から講義を頼まれているので、下調べに時間を費やすことになる。クリニックも忙しくなる時期で、まるで時間が取れず閉口している。勢いこのような駄文も書けないでいる。それが1ヶ月もサボった理由だ。今ようやく目処がついたので、こうしてキーボードをたたいている。
 
 以前と違って、今はスライドをパソコンで作ってフラッシュメモリに入れ、それをちょいとポケットに忍ばせればほとんど手ぶらで大学に行ける。ほんの小さなことだがささやかな便利を感じている。
 もちろん講義では黒板は使わず、(使ってもいいのだろうが、もう誰もチョークは持たないだろう)パソコンでスライドを映し、レーザーポインタで授業をする。スライドにはアニメーションをつけることができるから、強調したいポイントや大事な箇所もアニメで強調できる。
 
 それらがない昔なら、もったいつけて、力説したいところでは、いちいち言葉を切って、黒板におもむろに振り返りキーワードを
 
 「いいかぁ!これがポイントだからなぁ」
 カッ、カッ、カッとチョークを走らせ(シャッ、シャッ、カリカリ・・・学生が急いでノートをとる音・・・そしてチョークをポンと黒板レールに置き、手をパンパンとはたき、白衣のポケットに手を突っ込んで教壇に戻る。
 キーワードの度にこの動作を繰り返す。これは効率悪いってありゃしない。ちなみにチョークで袖やポケットが汚れまくるので講義の際の白衣は必須アイテムだった。
 
 大学ではさらに上下スライド黒板があった。私たちが医学生だった頃はこれをところ狭しと書きまくる先生もいた。だから、黒板消し係を輪番でやったものだ。講師によってはノリノリで次の授業時間まで食い込んで、休み時間無視の先生もいたため、終わり次第、大急ぎで消すこともあった。おかげでトイレも行けない。次のコマの講師が教壇で、もうすでにマイクを握っているのだ(汗)
 
 やっかむわけではないが、現代の学生は楽なものだ。
 私が授業で事前に使うスライドは大学に送付してあるので、授業前にプリントアウトしたものを配っておく。さらに何枚かCDも焼いて欲しいものにはおく。これがあれば学生同士で複製もでき、学生でパソコンを持ってプレゼンテーションソフトがあれば授業スライドがいつでも再現できる。だから学生はノートすらいらない、ということになる。
 
 同時に私の方もハード的には楽になった。それがファイルケースもプリントの束、ノートやスライドホルダなどもいらず、ほぼ手ぶらで大学に講義に行けることだ。フラッシュメモリを忘れたら論外だが、それでもすでに送ってあるファイルを大学のパソコンでダウンロードすれば滞りなく授業はできる。送りつけた後、手直しすることがあるから、やっぱり最新のメモリを持って行って講義することが多いのだが。
 
 ところが、ソフト面ではすこぶる大変さが増しているのだ。
 
 たとえば私が大学で経済学部で経営学や文学部で近現代史を教えているとしよう。ほぼ毎年同じスライドで事足りるだろう。よほどの歴史上の大発見や解釈のコペルニクス的転回がなければ、オウムのように毎年毎年「いいかぁ、ここが大事だぞ」と声を張り上げていれば良いだろう。
 実際、文系のある学部では「永久不滅の講義ノート」を教授がただ読むだけ、という講義があるらしい。(未確認情報)
 
 医学は日進月歩である。

 年に数回しか講義しない私でも、毎年スライドは差し替えたり、付け足したりしている。
 時代にそぐわない、またはかえりみられなくなった治療法はカットし、新しい知見や治療、手術などを新しくスライドで紹介するのだ。臨床医学では決して立ち止まるということはない。
 
 冒頭で私が「獺祭」になるというのは、過去の医学教科書を引っ張りだし、最近の医学雑誌を並べて比べ、パソコンの前ではネットで論文を引いたりし、それをプリントアウトしてあちこちに書類が散乱していることを表現したまでだ。実はそれも結構自分にとっての勉強になるので、私にとってありがたいことだと感謝している。そうでもしなくては、この年齢になってなかなか勉強をしようと思い立たない。人にものを教える、ということはその教える時間の何倍も勉強しなくてはならないことも大きなことだ。
 
 今日はなにも私の自慢話をしようとしたわけではない。
 
 最近の医療、医学教育の報道をいろいろ見て、疑問に感じたことがあったからだ。
 
 政府や官僚の認識は「医師が足りない、だから医学部定員を増やし、新医学部も作ろうじゃないか」と息巻いている。医学部の定員は数年前から増やしているから、今後の焦点は「新・医学部増設」ということになろう。
 新しい大学を作る、となるとハコモノでもソフト的にも(人事)そこにはどうしても大人の事情=利権がらみの「あぶらのべとつくような」策謀、思惑が交錯する。官僚が必死になるのは国の危機というよりも実はそっちうまみの方が多いらしい。
 私はそれがイヤだとかどうかということではなく、仮に新医大ができたとして、学生を教える教員はどうするのだ?という素朴な疑問だ。
 
 私のような思いっきりクリニック医は非常勤講師として教える単元なんかは限られている。そうでなかったら、とても勉強が追いつかない。大学でばりばりの教官はそれこそ学会発表や研究実験、臨床や学生教育に八面六臂のスーパーマンの医師を求められる。
 
 新医大を作るなら、その教官はどこから持ってくる?

 「医師は少ない」という前提なのだから、ちまたにはそんな人材はいない、と考えるのが普通だろう。そうすると既存の大学から、医師を「引き抜いて」寄せ集めて作るしかない。今いる組織からはぐれてくるというのなら、一匹狼みたいなキャラか教授と意見が合わなかったとかそういう教官が集まってくることも考えられる。
 プロ野球なら干されていたプレーヤーがトレードで実力開花する選手もいるが、医師ではどうなのかなぁ。そのような人材でで果たしてよりよい大学教育ができるのだろうか?
 また、引き抜かれた大学の方だってマンパワーが不足する。現役戦力にしわ寄せが出てくるのは必定だ。ただでさえ「医師は少ない」のに・・・
 
 医学教育には外科や内科などの臨床医学の他に「基礎医学」という大変重要な学科がある。解剖学や病理学、生理学などだ。これらの教官は今だって人員確保にあえいでいる。これを教えないで臨床医学を教育することはありえない。
 基礎医学者は医師の中でも大変優秀で貴重な存在だ。とりもなおさず新医大だって絶対に必要な人材である。それを取り合うことになるとはどういうことを招くか、皆さんでも想像がつくと思うが、いかがか?
 
 プロ野球でまた例えると
 
 「プロチームが少ないから、このままではサッカーに負けてしまう。13番目のチームを作りましょう。選手はすぐには育たないから12球団から5人ずつ出してください。その60人で新球団!」
 と言う仮定を考えると、とてもプロ野球界の底上げになるとは思えない。
 
 間違いなく思えるのは既成球団は
 「新球団に選手とられたんで、社会人や高校からも今まではちょっと実力不足でプロで無理かなと思える選手でも積極的ににとろう」
 とするだろう。そんな水増しでその業界の活性化ができるわけないだろう。間違いなく、レベルダウンを引き起こす。それがわかっているプロ野球界はだから、絶対にそれをしないのだ。他のプロ集団もしかりである。
 
 医師だって医学部の門戸をひろげ、新医学部を作れば、そりゃ頭数は増える。しかし、医師だってプロフェッショナルであるから、レベルダウンは免れない。医療を受ける国民もレベルダウンは望んでいないだろう。医学部定員を増やして、新医学部を作れば確実にレベルは落ちる。それに、医学教育は一朝一夕にはとてもできないことは言うまでもなく、それを教える教官もインスタントには即製できない。
 
 私の担当する授業は一年に100分×2回である。
 それでも、その数倍の時間は今年も勉強した、つもりである。
 
 頭の中だけで国を作っているとしか思えない厚生労働省官僚とその配下(本当は逆である)の政治家はもう一度医学部教官の確保という点をよく熟考し、そして「新・医学部」の可能性を考えて欲しい。

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2011年11月14日月曜日「見えにくい良さ」
 日本に生まれてよかった、とは日本にいる限りはなかなか実感できない。
 日本が好きで外国から日本に来た人々は少なくともみな気づいているはずだ。

 夜遅くまで飲み屋で飲んでそれがたとえ女性一人でもほぼ安全に帰宅できる。おそらくそんな国は日本以外なかなかないだろう。シンガポールは比較的安全と言われているが、犯罪には厳罰主義がはばをきかせているからで、治安という空気はずっと日本の方がゆるく、心地よいはずだ。(シンガポール行ったことないけど知人に聞いた話。)
 
 全国の都市、ほぼどこでも蛇口をひねると清潔な飲料水が出る。私などは創ができたら水道水で洗え、と、ことあるごとに言っている。飲めるということは「無菌」だからだ。無菌水は消毒液より痛くなく、ゴミや膿を流してくれる。いつか記したとおり創傷の再生を邪魔しない。水道水こそは世界に誇る日本のインフラである。
 私が小学生の頃は夏など暑い盛りにしょっちゅう蛇口に飛びついていた。校庭でも公園でもいくらでも飲めるし、夏期に大切な水分補給が無料でできた。だから、昔は子供の熱中症が今よりずっと少なかったのではないか?と勝手に思っている。
 まあ、都市気温も上がったことが第一だろうが、公園の蛇口に食いついている子供たちをあまり見なくなったのは、水道水はまずく飲めないとするミネラルウオーター信仰が母親たちに根づいたからだろうか?単に子供が減っただけのこともあるが・・・
 
 ともあれ、日本人は「水と安全はタダ」と思っている、と渡日した人はうらやましくみな思うだろう。
 治安は目に見えないが、水はもっともわかりやすい事柄である。

 もう一つ、手前味噌になるが日本の素晴らしい点に「医療」をあげたい。

 日本はもっと誇ってよいと思う。
 グローバル・スタンダード(世界水準)とはかなり前から言われていることだが、こと消化器外科では日本の成績は非常に優れているのだ。
 
 やや専門的になるが、たとえば胃癌。
 ヘリコバクターピロリ感染も多く、塩分の多い食事を好む日本人はかねてから胃癌は多発してきた。最近は肺癌、大腸癌の急増に押され、かなり少なくなったが、かつては国民病の様相を呈していた。
 それだから、と言うわけではないが、胃癌に関してはその術式は洗練され、どこまでとればよいかを徹底的に検証し、今は「この進行度ならここまで」というガイドラインがきっちりできている。
 
 日本は数十年前から胃癌の郭清範囲(かくせい=どこまでひとかたまりに切除するかの範囲)を提案していたが、欧米(特に胃癌の少ない米国)は無視し続けてきた。
 米国などは今でも何を考えているのか、胃癌に切除後、放射線療法を加えている。放射線は効く癌とそうでない癌にクリアに分かれ、胃癌に放射線療法はほとんど効果ないことは定説である。これに関しては、米国がどうしてこんなガイドラインになっているのか謎である。
 
 日本の胃癌の治療成績は世界に冠たるものだ。
 癌はステージという進行度で分類され、それが予後を左右する。
 ステージTは早期癌、ステージWは末期癌といっていい。ステージU、Vは進行癌の前後期と解釈しても間違いない。
 
 ステージTとWの予後は世界どこでも大差ない。
 Tは適当でも、かっちり治療してもほぼ治る癌なのだ。Wは神のみぞ知る、手の施しようがない状態なので、むしろ何もしない方がよい場合もあるくらいだ。医療水準や腕が関与するのはUとVであることは明白だろう。
 
 このUとVにおいて日本の胃癌治療成績は群を抜いている。抜群といっていい。
 いずれも欧米よりほぼ30%近く予後がよいのだ。
 従って、欧米では「我々の胃癌と日本人の胃癌はタイプが違う(悪性度が違う)」と言い張ってきたが、腫瘍の遺伝子を解析した研究では「欧米と日本の胃癌の遺伝子変化は同じ」と結論づけられ、日本の手術法や治療法が優れていることが証明された。
 
 それをふまえてか、2010年(なんと去年!)ヨーロッパ腫瘍臨床学会は「胃癌は日本の提唱してきた手術法をするべき」と初めて認めたことだ。
 驚いたことにその方法は私が医師になった以前、日本では1970年代から当たり前のように推奨してきたやり方なのだ。
 40年も前から日本人は胃癌のグローバル・スタンダード治療を受けていたのだ。
 
 この図式は実は大腸癌でも同様でステージU、Vはかなり欧米に差をつけて予後がよい。
 日本式の手術+術後化学療法のコラボが絶妙なのだ。
 胃癌と同じく「日本人と欧米人と体格や脂肪のつきが違う上に癌も違うのでは?」とずっといわれのないいちゃもんをつけられていた。やはり遺伝子の解析データや繰り返し発表する日本の好成績に目をつぶれないのか、ようやくドイツや英国では「日本法」の手術をするようになったという。
 
 さらに日本では「術死」と呼ばれる外科の敗北率が極めて低い。外科の敗北とは術後30日以内に患者が死亡することである。
 これに至る理由は3点ある。
 一つは手術によって引き起こされた合併症。術後肺炎や創の感染、吻合部の漏れによる敗血症、持病の悪化などもこれに属する。
 また一つには手術ミス。そして、最後には手術すべきでなかった症例、である。癌の進行が術前予測よりはるか進んでいた場合、これは術前の検討が甘かったと言わざるを得ない。
 
 欧米では大腸癌の術死は6〜7%だが、わが日本では0.4%である。

 その差は10倍以上だ。
 確かに欧米人の体格は脂肪が多かろう。出血も多いかと推測されるがそれだけではあるまい。欧米人は決して、認めたくないのだろうがこれが「腕の差」といっても過言ではない。
 
 外科だけでなく内科的治療も日本発の治療が無視されたことがある。
 肝臓癌に対する動脈塞栓術というものである。多くは大腿部の動脈を穿刺してレントゲンで見ながら、肝臓の動脈に細い管を到達させる。これをカテーテルというがガイドワイヤーという細い針金をこのカテーテルを通して肝臓癌のそばまで進ませる。そこで肝臓癌を養っている動脈を閉塞させてしまう方法だ。
 現在では手術、ラジオ波焼却法が選択できない場合に3番手の治療法として確立している。
 これも20年近く前から日本は世界に優れた治療法として紹介してきた。しかし、海外では日本ほどの成績は得られず、「日本のデータはどうも怪しい」とまで言われるようになった。それは腹立たしいほどの濡れ衣だった。
 
 種明かしをすると、欧米のカテーテル法は俗に言う「おおざっぱ」なのだ。細い血管の中のガイドワイヤーをまるで手足のようにあやつり、癌のそばまで持って行く日本に対して、たとえば肝臓半分を栄養する右肝動脈を全部ぶっつぶすやり方が欧米流だ。もちろんそれでも癌は死ぬだろうが、残りの健康な肝臓を半分やられてしまうのはいかがなものか?
 
 健康な、と書いたが肝臓癌ができる方の大半は肝硬変から発生する。肝臓癌の方はもともと肝臓の能力はかなり落ちているといっていい。それで欧米では術後に癌が再発するという方より肝不全で命を落とす方が多かったのだ。
 またおおざっぱだとどうしたって、抗癌剤も癌に到達する量はかなり減る。そこで無効な症例も多かったのだ。
 21世紀になり外科同様、ようやく日本の方法が優れていることを欧米も認めはじめ、このカテーテル法を学び直している。
 
 私はなにも日本の医療自慢をしたいわけではない。
 私はただ素直にこの国に生まれたこと、この国の医療を勉強できたこと、そして、もし病めばこの国の医療を受けられることが幸せだと言いたいのだ。

 日本の外科手術成績が優れている、ということはイコール地域格差が少ないということにつながる。全国のほぼどこの都市部でも胃癌の手術のクオリティはあまり変わらないだろう。
 日本では医療に格差をつけず、教育体制もそれにのっとり、神の手の教授がいたとしても、サラリーマンくらいの給料しかもらわない。その積み重なりが、全体としての医療の底力になっているのだ。
 そして、健康保険の適応ですべての人が同じ金額で医療を享受できる。差がつくとすればベッド代くらいだ。
 
 しかし、医療に市場原理を導入するとどういうことが起こるかというと、今まで誇ってきた日本のの均一で高い医療の質は確実に失われることだろう。
 
 経営側も医師側も儲からないことは手を出さないようになる。
 現在でも国の予算を圧迫している医療費は「それじゃぁ、せっかくだからTPPのおかげで米国の生命保険会社に参入していただいて、政府の保険診療のわく分を減らそう。風邪?そんなの病気の内に入らないから薬局で自分で薬買え。」と、どんどん切り捨てられるようになる。
 結果、お金を持っている人しか質のいい医療は受けられず、日本の「国民皆保険で日本人の健康を守ろう」という美しい助け合い精神は一気に崩壊するに違いない。

 これが現在問題になっているTPPの真の正体である。本当のところは農業問題でも関税問題でもない。
 米国の医療がどれだけ弱肉強食かは今更述べるまでもないが、それに日本を巻き込もうとするのがねらいである。米国から見て日本に眠っている貯金や医療費を「自分も参入して」すべて巻き上げたいのだ。アメリカ国内でもはや眠っている資産はない。お人好しの日本から骨の髄までしゃぶりとりたいわけだ。
 農業問題にすり替えて、農家のわがままだと言い張り、本当のねらいである「ゆうちょ」を初めとする金融。医療を含むサービス業の全面開放を突きつけている。
 それがはっきりとしたのが、11/13日に米国筋から「すべての業種に対するTPPの交渉を開始することに野田首相が同意した」とアドバルーンをぶち上げたのだ。(後に撤回したが・・・これは日本国民の反応を見たかったためではないかと勘ぐりたくなる)

 それでも米国式が好きで「オレは自分の体は自分で守るぜ」と豪語できる方はどうぞTPPに参加に賛成してください。しかし、各新聞のTPP賛成6割ってどこの層にアンケートとったんだろう?
 
 でも、医療クオリティは低下しますよ。これは絶対にそうだと言いきれる。
 
 株式会社が医療法人を経営できる→儲け絶対主義になる→すべて混合診療→虫垂炎手術でも数百万(現に米国はそうなっている)→保険会社の契約がない人は入院させない。
 または、TPPに連ねているベトナムやマレーシア、チリやペルーから安い賃金で働く看護師や医師が日本で仕事をしたいといっても日本がTPPに参加してしまえば拒むことはできない。参加国同士で職差別をすると訴えられるケースもあるという。国際裁判で負けてしまえば賠償金支払いと「国内の国家試験を合格しなければ医療できない」という医師法の改正が義務づけられる。
 
 虫垂炎ですね。オペが必要です。ん?お金がない?・・・・ああ、ベトナムの研修医がいるからそれにオペしてもらってね。
 
 今までは技術を磨いて患者を助けたい、と思って医師になったものも、TPP以後は医療を知らない文系オーナーから「儲けろ」と命令されるようになる。
 私はそれなら医師を目指すことはなかっただろう。

 この間の新型インフルエンザでもっとも死者が多かったのはなんと米国で対人口比も圧倒的に高かった。
 先進国でもっとも低かったのが日本だった。
 米国では日本の人口比66倍の死者を出した。
 
 なぜかというと米国では医療費が高く、保険加入者でないとまず病院にかかれない。保険のない人はERにかかることができるが、そこに患者が殺到したため、診察が24時間待ちになったという。それで受診をあきらめた人も多く、抗ウイルス剤の投与も当然なかった。そのため1万2000人を越す死者がでた。(日本では200人)大国アメリカの暗部がここにある。
 対してフリーアクセス、皆保険の日本は診断がすぐついて抗ウイルス剤を投与。誰でもどこでもである。
 この日本式の受診体制は世界の注目を集めている。パンデミックに強い。来るべき高毒性トリインフルに対して日本に学ぶことはないかと。

 それを壊し、66倍死にやすい体制になる政策には私は乗れない、と考えているのだが皆さんはどうお考えでしょうか?見えにくい日本の良さは一度失われると二度と戻って来ない。


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2012年01月13日金曜日「めざせ!イグ・ノーベル」
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

 のっけからだが、イグ・ノーベル賞というイベントがある。ご存じの方も多いと思うが、ノーベル賞をおちょくったものであることは間違いない。
 「人々を笑わせ、考えさせる研究」について年一度授与される。映画を始めとした映像の芸術大賞であるアカデミー賞の前夜にも似たようなイベントが行われる。
 それはアカデミーとは真逆の「最低の」映画を選んで授与されるいわれているゴールデン・ラズベリー賞である。当然、この受賞者は絶対に会場に来ない。(来るわけがない)
 しかし、それとは違って、イグノーベル受賞者が怒り狂うことはないし、むしろ名誉だと思ってもいい。
 
 このパロったノーベル賞はハーバード大学でまじめに授与式が行われるが、式途中で観客から大量に紙ヒコーキが飛ばされる。もちろんブーイングでなくジョークなのだが、このおきまりの儀式に毎年2005年本家ノーベル物理学賞受賞したロイ・グラウバー、ハーバード大教授がモップをかかえて掃除に来る。
 
 明るいパロディだが、これは結構まともじゃないの?という受賞研究も多く含まれており、なかなか考えさせられる。
 日本人研究者も多く受賞しており、あのキテレツなドクター・中松もそのうちの一人で2005年に受賞している。
 受賞理由は彼の数多くの発明品(フロッピーディスクやファンヒーターに灯油を移すあの道具、は彼が発明したらしい)に対してのものでなく、34年間自分の食べた食事を撮影し、それがどう体調に影響したかを克明に記し続けた論文業績に対して授与された「イグ・ノーベル栄養学賞」だった。これはやろうといってもなかなかできるものではない。
 
 思わず笑ってしまう受賞の中にあの有名な「5秒ルール」を大まじめに研究したものがある。
 「5秒ルール」とは床に落とした食べ物は5秒以内なら食べても大丈夫だというあの全国どこでも通用する俗説だ。(私は3秒ルールと聞いていた)
 アメリカでもこのルールがあるらしく、シカゴの女子高校生が「5秒ルールは細菌学的には大変危険である」と科学的に証明した論文に対して2004年に授与された。
 
 このイグ・ノーベル賞は実に面白く、「なぜ人は黒板に爪を立ててこする音を嫌うか」に対する研究、とか「集合写真を撮るとき『誰も目をつぶってない写真』をとるためには何枚必要か」を計算した法則とか、「名前をつけられた牛は名無しの牛よりもたくさんの牛乳を出す」ことを証明した研究とか、読んでいるとついつい笑ってしまうものが多い。
 
 本家のノーベル賞の受賞内容が一度聞いただけでは全く理解できず、新聞を隅から隅まで読んでもやっぱりわからず、特に物理学賞・化学賞などに至っては理系の端くれの私でもちんぷんかんぷん(医学生理学賞は何となくわかります(笑)で「一体この研究は何なの?」とつぶやいてしまうものが多いだけにイグノーベルは楽しい。 
 日本人も2002年以降ほぼ毎年受賞しており、ノーベル賞ほどの大騒ぎにならないが、受賞するとネット上でも話題になる。
 
 去年は「わさび警報器」に対するものだった。これこそは大まじめな研究である。
 
 聴覚障害者は深夜火災報知器が鳴っても目を覚ますことができない。そこで彼らを「におい」で起こすことを考えついた。
 不快でなく、なおかつ刺激のあるにおいを探していたところ、わさびの臭いにたどり着いたそうだ。そして、眠っている人を起こすのに適切なわさびの臭いの濃度を研究し、それを利用した警報器を作ったのだ。これってイグなの?と思うほど実用的でありがたいものではないか。どこも笑うところはないぞ。
 
 イグ・ノーベルは1991年に始まったが当初は本当におちょくりパロディのようなものだった。
 ミステリー・サークルを作ったとされる二人組老人に授与したり、洞窟の古代壁画をいたずらで消してしまったグループに与えたり、トホホな人々にも適用されていた。
 最近は「大まじめで研究し、かつ人をちょっと和ませる」ものにシフトしているようだ。そんな中で、先にも挙げたにおい、に対する研究はこの賞を射止めやすい。
 
 こらは日本人も得意とする分野らしく、「足の悪臭の原因物質の研究」1992年、「カエルがストレスを感じているときに出すにおいの研究」2005年、「牛の糞からバニラの香りを作る研究」2007年、など数年おきに受賞している。においとはちょっと違うが、「鳩に嫌われた銅像の科学的解析」して受賞したものもある。
 兼六園の中の日本武尊像はどういうわけか鳩の糞害から逃れていた。そのわけを探ってみると、銅像の成分に答えがあった。
 この像は日本最古級の銅像だが、鋳造時の技術レベルがあまり高くなく、ヒ素と鉛を混ぜて作ってあり、そのため鳩が近寄らなかったことを突き止めた。鳩はヒ素を動物の本能で忌み嫌う。それでイグ化学賞を受賞したのだ。
 その現象は大いに発展性があり、これを利用して、人間や自然界に影響を及ぼさない濃度のヒ素を含んだタイルなどを制作する技術応用が期待できる。そうすれば鳩が近寄らなくなり、糞害からビルを守れる。また、安全に量産できればもしかしたらカラスのつつかないゴミ袋などはできないものか?などと想像も膨らむ。

 誰にでも理解しやすく、そして発展性がある研究とはなんと夢のあることか。
 そう、去年は悲しみにうちひしがれた日本を再び「ライジング・サン」と呼びたい我々は経済復興もさることながら、やはり夢のある研究で世界に貢献したい。
 数多くのイグ・ノーベル賞だが、それを受賞した後、本家ノーベル賞をゲットした研究者も一人いるので日本のイグ受賞者にはぜひ頑張って欲しい。

 においに関してはいろいろ奥が深く考えるところも多い。友人からかつてこんな話を聞いたことがある。
 
 彼は海外赴任が多く、このたびヨーロッパのある国に赴任が決まったが、その仕事の引き継ぎや打ち合わせに赴任前下見のため空港に降り立った。その直後、めまいや呼吸器の不調に悩まされたそうだ。原因は空港や町に蔓延する香水のにおいだったとのこと。これではまるでシックハウス症候群である。
 結局、その地の赴任はあきらめ他都市に変更になったという。
 日本人はにおいに敏感でオレは特にそうだから、と笑っていたが、なるほど香水などは日本人はあまり強烈なものを好まない傾向にある。
 
 料理なども象徴的で洋食や中華、インドはもちろんタイ、ベトナム、お隣の韓国料理なども香りがきついものが多いイメージだ。私が知らないだけかもしれないが・・・。
 ところが、懐石などの和食ではでわずかに香りを楽しむという感じだ。松茸料理やスダチをちょっと搾るとか、においは味にアクセントとして付け足す風である。
 そりゃ単品では、くさやのひものだとか、フナのなれ寿司だとか、納豆など好き嫌いがはっきり出る強烈な香りのものもあるが、それはあくまでも例外で、郷土料理ともいうべきである。懐石の食材にはなかなか使えないだろう。和食では他国の料理のように香辛料のごった煮などは絶対にしない。
  
 少年時代、友人の家に遊びに行き上がり込むと玄関先でその家特有の香りがあったことに気づいていた。どの家も同一なものはない。
 自分の家だけはにおわないので、そういうものかと思っていたが、あるとき自分はそのにおいに同化しているので気にならないだけだったと悟り、一人納得した。そう、少年期はやけに臭いに敏感である。
 
 昔の電車は油が焼けるのか、乗り込むと独特のにおいを発していた。床が木で、ドアの中央にはつかまり棒が立っていて、もちろん扇風機しかなく、夏に乗る地下鉄は地獄の暑さだった時代だ。(おいおい三丁目の夕日か)
 スピードを上げるときさらにそのにおいがきつくなる。テツの私はそれだけでもなんだかうれしかった。 奇妙な嗜好でもあり、一般化しない好きな香りというのはなかなか他人には説明できないものだが。 
 
 少年時代のあるとき、ある有名菓子メーカーの売れせんスナック(チーズ味のやつです)を大量にうまうまと食していた。そのあげく、気持ちが悪くなり噴水のようにもどしてしまった。
 その時の辛さがトラウマになったのか、その後そのチーズ味スナックそれまで大好きだったのに以後全く食べられなくなったのだ。そのにおいが「くさい靴下のにおい」(笑)にしか感じられなくなったからだ。嗜好とは実に不思議なものである。
 
 最近は年をとったせいか香りには鈍感になってしまった。同時に臭気を発するものも町から急速に姿を消していったからかも知れない。
 もともと、ケガレを嫌い、何でもすぐに水と塩で清めてしまう国民である。臭いも清めた方が居心地がよいと思っている人も多かろう。
 だが、臭いに遭遇したときのわくわく感、電車に乗ったときとか、初めての友人の家に遊びに行った時とか、それがなくなってしまったのがちょっとさびしいとも思う。
 
 そして、あれだけ好きだったにおいが、一つのきっかけでどうして突然大嫌いになってしまうのか、
 この辺の研究を大まじめに論文にするとイグ・ノーベル賞をつかめないものか?と夢想してひとりごちている。変な年頭所感で申し訳ありません。今年もよろしくお願いいたします。

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2012年06月10日日曜日「ささやかなセレンディピティ」
 このことは東北の地方の時だから、きっと数十年前の大学生時代のことと記憶している。
 
 ある作家の作品を読んでいたら、その実父が明治時代に私の好きそうな分野で傑作な著作を残しているとのくだりにあたった。興味が湧いて、それを読みたくなったので、本屋に行き懇意にしていた店主のおっさんに聞くも首をかしげ
「さあねぇ、その人の本は聞いたことないねぇ。ちょっとわからないなぁ」と、あしらわれた。
 しかたがないので、県立図書館へ行って、司書さんに同じ事を尋ねてみた。その頃はコンピューター検索などなく、図書カードという「あいうえお順」のカードファイルをパラパラくってみて調べるおよそ今から思えば原始的な検索方法だった。
 もちろん司書さんはその手のプロだから、あっという間に調べてこう言った。
 「ああ、過去にはあったみたいですね。けど今は現代語の新版は絶版になってます。ウチにはないし、仙台でもどうかな。東京の国会図書館なら絶対あると思うけど・・・」
 国会図書館かぁ、それは長い休みでもないと無理だなとがっかりして、それきり、とんとそのことを忘れていた。

 数年前のことだったか、ほんのちょっとしたことからまたその著作をふと思い出した。
 あの本はamazonで扱っているのだろうか?おそるおそる検索してみた。が、瞬く間、というのはこのことだろう。

 パソコンのamazonドットコムで作者名・作品名を入力すると一発でヒットした。確かに絶版だが、古書店がその本をアップしており、それほど高くない値段で取引している。
 私はのけぞってしまった。言うまでもないことだが、すぐに購入した。
 送られてきた本は発送元が古書店とはいえ、包装はきちっとしており、新古本と言ってもいいくらいきれいだ。私が本屋で新刊を買ってきてつんどく状態になっているものの方がもっとすすけている。誠によい買い物をしたとほくそ笑んだ。

 ネット販売というのはなんと素晴らしいものか。インターネットが生まれてから爆発的に普及したのはWindows95以来だろう。わずかといってもここ15年くらいのものだ。それなのにこの進歩ぶり。
 あの時、本を探し求めて費やしたエネルギーに比べたら、ネット検索の苦労なんぞ微々たるものでカロリー・オフに等しい。
 
 次にトライしたのは私が10代の頃に聴いていた古いロックの面々を次々に検索してみた。およそ店頭ではすでに姿を消して久しいグループのCDがずらずらヒットしてくるではないか!

 感涙にむせびながら(おいおい、大げさだろ)いくつか「カート」に入れて、うれしいことに数枚まとめ買いすると割安になり、オマケに送料無料だという。これは買いでしょう!
 って、完全にamazonの策略にはまってしまっているが・・・
 それでもうれしそうにCDをかけ、お気に入りはデジタルオーディオに入れ、ウォーキング時に聴いてることは言うまでもない。

 小躍りしてよく読まない私がいけなかったのか、好事魔多しとはよく言ったものだ。
 ある、いにしえのバンドの同じ方法でCDゲットして曲を聴いたら、どことなく過去の記憶と違うのだ。声もなんだか張りがない。
 amazon輸入盤だからひっくり返して英語を読んでみると、セルフカバーのリメイク盤だった。ありゃりゃと舌打ちした。
 年取ってから自分たちの過去の曲をもう一度録音しているので、どことなく違うのはいたしかたないが、こりゃいかん。うるさいリスナーであるじいさんは全盛期の音源でないと満足いかんのですじゃ。ロックは「昔の名前で出ています」ではねぇ。
 
 もう一度、amazonで検索してみた。しかし、彼らのオリジナルのCDはどこにも見あたらなかった。私の知る彼らの最初の音源はあの黒いアナログなレコードだったのだが、レーベルの版権の問題だかできっとCD化できない大人の理由があるのかも知れない。
 ないものは仕方がないので本人たちによる二番煎じを渋々聴いていた。私としては最初の音源がよかったのだが・・・、手に入らないと知るとそれだけ聴きたくなる。

 最大の商品数を誇るamazonですら見つからないのであれば、これはあきらめるしかない。私はまたしてもそれきり忘れていた。

 ところがである。

 ついこの間新宿へ行く用事があり、時間が少しあったので駅前のタワーレコードにふらっと入った。ロックの一角に行き、アルファベット順にチラ見して、あれこれ手に取り楽しんでいた。タワレコはなかなかマニアックな輸入盤を多く扱っているのでなかなか飽きない。
 例のオリジナルがどうしても手に入らないバンドのコーナーで彼らの見慣れないCDが一枚見つけた。
 
 はて?手にとってまじまじと見ると輸入盤には違いないが「Korea special edition」とシールが貼ってある。
 もともとは英国のバンドなのだが、どうやら韓国で編集しているものらしい。こんなマイナーなバンドにも韓国でファンがいるのか、と驚いたのはさておき、そのシールがハングルで書いてあるために果たしてオリジナルなのか、そうでないのかさっぱりわからない。英語表記を見ても、オリジナル音源かどうかは記していない。
 
 困り果てて店員さんを呼び、かくかくしかじかを話した。「なんとか試聴できませんかねぇ、(このオレ様が聴けば)イントロだけでもオリジナルかどうか一発でわかると思うんだけど・・・」と私。
 店員さんは「うーん、輸入盤はあけられないんですよ。」と困った様子。それはそうだろうな。そこで、ロックに詳しいインフォを呼んできましょうと、走り出して行ってしまった。これは大げさな騒ぎになってしまった。
 
 ロック担当が現れると、私がこれセルフカバーかオリジナルかどうかわかりますか、と聞いて見ても彼ですら、首をかしげるばかり。CDについているバーコードを読み取り機にかけて情報を取得しても、伝票を見てもわかりませんと言う。
 そこで、それを扱っている輸入業者の会社にまで問い合わせてもらったが、やっぱり不明とのことだった。
 申し訳ありません・・・と言われたが、ここまで調べてくれたのだ。たとえそうでなくても仕方がない。
 「わかりました。買ってみます。」と私は決心し、代金を払った。

 家に帰ってパッケージの中を見てもブックレットが一冊のみ。曲と英語の歌詞カードその下にハングルがびっしり、これは韓国語対訳だろう。あとは解説などまるでなし、素っ気ないものである。
 
 ま、曲をかけてみるしかないな、と思い、早速CDをプレイにしてみるとこれがドンピシャ、オリジナル音源であった。私は懐かしさに震え、デジタルオーディオに入れ数回リピートで堪能した。やや、大げさすぎだが・・・マニアというのはそんなもんです。
 
 ついでだがオマケについていたライブCDは、曲間がブチブチに切れてついでに曲同士の音圧も違いがありあり、耳が変になりそうだった。違う会場の音源をつないであるのが明らかで臨場感のなさと言ったら
 「このクオリティは日本では出せないな・・・」という感じ。
 こっちはほとんど聴かずじまいだが、まあいいだろう。

 あのとき私が気まぐれを起こさなかったら、このCDはおそらく永久に私の元に来なかっただろう。
 第一、私が30分ほど時間つぶしをするとしたら、まず99%は本屋だ。ここで1時間あったなら新宿御苑にでも散歩に行く。タワレコには年に1度行くか行かないか、である。
 
 新宿南口には紀伊國屋書店があるが、これはほとんど代々木駅前に近い。新宿駅から行って帰ってくるだけで30分だ。そして、あの周辺は不思議なほど本屋がない。それが幸いしたのか(?)人によると絶好の暇つぶしらしいスマホいじりに慣れていないためか、タワレコに吸い込まれるように入っていった。それも新宿店は初めてのことだ。

 人間は暇があろうがなかろうが、だいたい定型化した行動をとる。
 たとえば、昼飯をどこで食べようか、だとか、風呂で体を洗うときどこから洗い始めるかなどだ。
 
 気まぐれをおこしたときはどことなく落ち着かない。

 なにか突拍子もない行動(?)で目指していたものと全く異なる発見をすることを「セレンディピティ」と呼ぶ。
 これは英国の作家・政治家であったウォルポールの造語である。
 彼が子供時代に読んだ「セレンディップの3人の王子」という童話を引用して書簡に残した言葉が初出だ。
 セレンディップ=現スリランカ、の王子が旅の途中いつも意外な出来事に出会い、それからもともと探してなかった何かを発見する話である。それから転じてセレンディピティという日本語に訳しにくい言葉が生まれた。(あえて無理矢理訳すなら「偶察力らしい」)

 セレンディピティは特に自然科学界の研究者の発見に多い。
 私などが欲しかったCDを偶然ゲットするなどはおこがましくてそう呼べない。
 
 医学界でセレンディピティの最もよく知られる例にフレミングの発見がある。

 フレミングは感染症と細菌を観察するため実験を重ねていた。
 シャーレという寒天培養のガラスの平皿を用いて、細菌を培養しどうにかこの増殖を妨げる物質はないものか研究していたのだ。
 あるときこのシャーレに彼がくしゃみをしてしまい、普通なら捨ててしまうところだが、気まぐれでそのまま培養を続けていたら、唾液が落ちたところだけ細菌が破壊されていた。
 これを気にとめた彼がその物質を調べたところリゾチームが発見されたのだ。

 このリゾチームは唾液や卵白に含まれる抗菌酵素で現在でも食品添加物や医薬品(風邪薬には塩化リゾチームとして配合されている)に用いられる。
 
 リゾチームには殺菌作用はないのだが、現代でも重宝され続けている。これだけでも大発見に違いない。しかし、その後、彼は人類史上たぐいまれなウルトラ大発見をする。

 黄色ブドウ球菌というありふれたそして強力な毒素を持つ菌を研究していた彼は培養するシャーレにその菌を塗りつけた時ふと考えた。
 彼は明日から2週間休暇を取ることになっていた。いつもなら38度に設定してある培養器に入れるのだが、それをしたら24時間たらずでシャーレは菌だらけになってしまうだろう。ましてや2週間も保温したら想像もつかないほど大変なことになる。
 
 「無駄なことをしたな」
 彼はシャーレを捨てようとしたが、「まてよ」と思い直した。
 今の室温なら2週間ほっぽらかしたら、一晩培養器に入れたのと同じ具合ちょうどよい程度に増殖するのではないか?
 それなら、休暇から帰ってきたらすぐに実験に取りかかれるぞ、と思ったのだ。
 その考えに満足して、彼はシャーレを机の上にむき出しに置いて帰宅した。

 2週間たち休暇から戻ってきたフレミングがそのシャーレを最初に見たときはっきり失望した。
「カビがはえていやがる」
 彼ら実験者が最も嫌うコンタミネーション(汚染)である。こうなってはまともな実験ができない。
 当然彼はそのシャーレを再び捨てようとしたが、その時手が止まった。

 ぶどう球菌は寒天の培養面をほぼ覆っていたのだが、青カビが生えていたエリアとはきれいに透明な隙間が生じていた。まるで半円を描くように。
 これはカビの周囲だけはぶどう球菌が育っていないということだ。彼は電撃に打たれたかのように緊張した。

 青カビの成分の中に細菌の発育を阻むなにかがあるのでは?
 
 彼は今度は青カビを培養し、その濾過液を抽出し、いろいろな菌のコロニーにかけたところみるみる菌が死んでいく!驚喜した彼はこの物質に青カビの属名「ペニシリウム」からペニシリンと名付けた。

 これがおそらく数千万・数億人の人命を救い、これからも救命し続けるであろう抗生物質の発見である。
 
 彼の気まぐれこそは「セレンディピティ」のMVPではないだろうか。休暇をとってくれなかったら、彼があっさりシャーレを捨ててしまっていたら、と考えると偶然がいくつか重ならないと発見に至らなかったことがよくわかる。そして、いかに気まぐれを発動しても、常に注意深く観察することが大切かを思い知らされる。
 ペニシリンもフレミングがそのシャーレを捨ててしまってたとしても、いつかは誰かが発見したのだろうが、何年もひょっとしたら何十年も気づかれなかったかも知れない。それなら世界でさらに感染症の死者が増えていたことだろう。あとから考えると単純なことだが、最初に気づいた人はやはり偉いものだ。当然といえるが、フレミングは1945年ノーベル医学生理学賞を受賞している。

いつもとちょっと違う行動をとったとき、その時こそが大事な瞬間だ。だが、セレンディピティは日頃から努力したもののみに訪れる。「天才は1%のひらめきと99%の努力」とエジソンも言っているとおりだ。
 
 私も散歩するときには何かを考えながら、のことが多い。季節の折々、花にも木々にも目を奪われることもまた楽しい。

 それにしても・・・どうして電車でもバスでも世の中には携帯いじりかゲーム機をいじるしかしていないものが多いのだ?車を運転して左折右折するときが緊張する一瞬だ。なにしろ車を見ずに手元ばかり見て横断歩道を渡る若者の多いこと。

 ぜひ皆さんにも車を気をつけつつ、思索しながらウォーキングをお勧めします。もちろん、気に入った曲をもち、そしていつもと違ったほんの少しの気まぐれな道を。

 大発見には至らなくても欲しかったなにかが手に入るかもしれませんよ(笑)


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2012年10月19日金曜日「医学の土台」
 我が国25年ぶりのノーベル医学・生理学賞である!山中教授、おめでとうございます。その後、訳のわからない研究者の誇大妄想かなんだか不明だが、iPSの臨床試験のおかしな報道合戦になった。が、iPS細胞の輝きが色あせることはない。かえって教授は静かに研究を続けられるだろう。災い転じて福となすである。
 
 受賞したiPS細胞については数年前このコラムで取り上げたことがあるから、詳しお知りになりたければそちらもよかったら。→「夢の再生細胞」参照
 現在のiPS細胞作成はさらに進化バージョン・アップしているらしい。以前述べた様な懸案の癌化を防ぐ方法に肉薄しているようだ。私ももう少し勉強してみようと思う。
 
 さて、このことに関連してかだが、大学時代で思い出すことがある。なにもiPS細胞を研究していたわけではないが、基礎医学と臨床医学の関わりについて考えることのきっかけになった経験のことだ。
 
 外科、特に消化器外科では癌の手術が大きなイベントになる。
 
 代表格は日本ではやはり胃癌である。
 最近増えている大腸癌はたとえ腸をふさぐくらい大きなものであっても、それゆえに癌からかなり離して大きく切除してもかまわない。なぜなら、腸はかなり長いので数十cmはおろかメートル単位でとっても余裕でまだつなげることができる。もっとも取りすぎるといろいろ弊害はでるが、一様に胃よりは気が少し楽である。
 
 消化器外科特に胃・大腸は切りっぱなしというわけには絶対にいかない。悪いところを取って、健康な所をつなぎ合わせて再び食べられるようにしなくてはいけないからだ。それを「再建」と呼んでいる。大腸癌の再建に関しては上記のごとく、癌が大きくてもそこから大丈夫だろうな、という所まで離して切除することが可能である。癌細胞は切り離しても生き抜いていく能力があるので、もし一つでも癌のかけらを残して縫ってしまったらおおごとである。必ず再発する。これを断端再発と呼んでおり、外科医としては痛恨の手術となろう。
 
 取り残しを絶対に防ぐ手段はできるだけ「癌から距離をとって」切除するしかない。術中は顕微鏡の目を持っているわけではないので、外科医の経験則から癌の端から何cm取ると決めて切除する。
 癌が堤防を作っていて、周囲の組織から城壁・カルデラのように見分けがつく時は比較的たやすい。しかし、癌細胞がまるで散弾銃を撃ち込まれたように、広がりを見せるやっかいなタイプがある。これを「びまん性」の癌と呼んでおり、予後がきわめて不良である。
 
 肉眼では一見正常に見える組織も癌細胞に冒されているということはこれを手術することは「取り残し」といつも背中合わせであることと等しい。
 
 胃癌でこれだと大腸と違ってなかなか大変だ。胃の上部をできるだけ残さないと、残った胃は伸ばせる距離には限界があるのでつなぐことが出来ず、胃を全部摘出しなくてはならない。
 
 あぶないなら、全部取ればいい?
 
 それはその通りだが、胃が少し残るのと全摘出では術後のQOL(クオリティ・オブ・ライフの頭文字=生活の質)が全然違う。QOLが重大視されるようになったのは内視鏡手術が盛んになったこともその証拠ともいえよう。
 
 内視鏡手術はちまちましてるし、術者もまだるっこしさを感じている。隔靴掻痒感が満載で、またこれをうまくこなすには普通の手術より修練も必要で人手も手間もかかる。それなのに内視鏡手術が隆盛を迎えているわけは、なによりも創が小さく、すぐ離床できることが大きい。従って入院期間も大幅に短縮されるし、術創の痛みも最小限である。しかも目立たない。女性にとっては手術創のできばえに敏感であるからなおさら人気である。
だから、外科医にとってもこのようなQOLは無視して通れない問題だ。しかし、そういう点をそう慮って、取り切れず、癌の断端再発をおこしてはQOLもへったくれもない。
 
 そこで、活躍するのが、「術中凍結標本」である。癌の広がりが手術中どうしても判断できないとき、縫い合わせるための縫い代を確保したあと、切除した最も端っこの組織を薄く切り、これを病理学教室の顕微鏡の検査に提出するのがこれだ。
 
 私は博士論文を作成するために一時病理学教室にお世話になったことがある。自分の研究を進めるかたわら、各科から膨大に依頼が来る標本の下ごしらえを手伝ったりしていたこともあった。そこへ、いつもなら自分が依頼するような症例で消化器外科から凍結標本のオーダーがあった。
 
 自分のフィールドだ、と腕まくりして「それじゃ私が」と行きたいところだが、私などでは太刀打ちできない。
 凍結標本とは一発勝負であるので、なかなか緊張する仕事なのだ。(もっとも大事な仕事はオペを始めとしてみな一発勝負であるのが普通だ)
 
 病理標本を扱う者としてシロウトに毛が生えたくらいの私は息を飲んで「見学」していたのを思い出す。
 
 まず、液体窒素で瞬間にその問題の組織を凍結させ、マイクロトームという数ミクロンに薄切りできる機械に素早く乗せ、「できるだけ素早く」何枚も切り、「素早く」スライドグラスに乗せる。ここら辺がキモである。
 
 素早く、がくどすぎると思われるかもしれない。何度も書いたのはそれで患者の運命が決まるので念を押したというわけだ。
 
 マイクロトームとは食パンを切るスライサーみたいなものと思っていただければよい。それを数枚、目にもとまらぬスピードでカットし、薄い膜を作る。その厚さとはパサパサの「頭のフケ」より薄いくらいだ。
 みなさんも学校で理科の実習時タマネギの皮などを顕微鏡でご覧になったこともあるかと思う。あれと同じでそもそも極力薄くしなければ観察できないのだ。さらに、この場合、もたもたしているとけずりたてのカツオ節のようにくるくる巻いて「おがくず」状態になってしまう。そこでスライスしたと同時に標本を習字用の小筆ですくい取る、というのか、くしゃくしゃにならないように巻き上げられた瞬間、筆の先でスライドグラスに着地させる。この技は見た目よりかなり難しい。
 
 それというのも、パラフィンで固めた永久標本なら同じようにスライスし小筆ですくい取って、水をはったボールの上に落とす。
 すると、標本が丸まったとしても、水の表面張力で空飛ぶ絨毯のようにきれいに伸びる。パラフィンは水をはじくので、標本はぷかぷか正方形に浮いたまま。沈みもしないので時間に余裕がある。何枚も何枚も切片を作っては浮かべておいて後でスライドグラスを水にくぐらせパラフィン組織を乗っけて標本を作る。水で伸びた分スライドグラスにもぴったり乗る。これくらいなら一日みっちり練習すれば、私のような相当なぶきっちょでもまず出来るようになる。
 
 しかし、凍結標本はこの手が使えない。水に落とすなどもってのほかである。溶けてしまいバラバラになるので出来るわけがない。だから時間との勝負だ。またうまくスライドに乗っけたと思ったら、縮んでオシャカになるものも多い。何枚か犠牲にしてようやく観察できる状態のスライドを選び固定スプレーをかけ染色する。そして急いで顕微鏡をのぞくのだ。
 
 その間、手術は止まっている。
 オペ室では報告を待っている。もっともその間は再建であるつなぎ直しができないので、癌根治のために周辺のリンパ節など郭清していることが多い。しかし、悠長にしていてはいけない。急ぐのは、患者のためでもあるのだ。
 
 「断端マイナス(癌細胞なし)」、という判断をオペ室で心待ちにしている外科医。一方、病理教室では苦悩するケースもまた多い。きれいにスライスされた永久標本ですら、見にくく判断に迷うものもあるくらいのものなら、凍結標本ならなおさらである。
 
 よく山を切り崩し道路を作ったところで両サイドで切り通しを見ることがあるが、地震やなにかで時に断層がずれまくって、切れたバームクーヘンのようになっているところもある。
 それと同じように凍結標本も乗せるとき断層が生じてそんな風に見えることが多い。こうなると正確な判断も難しくなる。また、スライスが厚すぎて、細胞が重なって3Dみたいにピントが合いづらいものもある。薄ければ薄いほど、顕微鏡で見える層が少なくて、より診断しやすいのだ。だが、今度は薄すぎると、何枚スライスしてもいい標本ができにくい。この板挟みはほんとうにもどかしい。
 
 そして、なんとか標本ができあがり、クリアに良性悪性が判断できれば万々歳だ。しかし、悪性にも良性にも見える細胞がある時もある。
 
 標本の不安定さと厚く切れない板挟みに悩み、診断にも悩み抜いて「良性とも悪性とも言い切れない」と病理学では結論づけたとする。
 
 この場合、この答えを受け取った外科では、ほぼ100%さらに切り足しに踏み切る。外科の世界では「疑わしきは罰せよ」であるからだ。標本作製の悪条件も承知の上で、たとえ良性の可能性を残していてもだ。切り取りすぎて結局胃全摘出になりQOLが著しく低下するとしても、いたしかたない。もし癌細胞を残してしまったら、のデメリットが大きすぎるのだ。
 
 かくして、すべての癌治療の生殺与奪権は病理医の診断が握っているといっても過言ではない。基礎医学者の実力も高ければ高いほど、患者にとってよりよいのはこれでわかるだろう。しかし、この大事な基礎医学者、臨床医の要求が次から次へと増えていくのに対してマンパワーが決定的に不足している。医学に土台があるとしたら、患者の前に決して出てくることのないこのような堅牢な学問がこれである。
 
 病理診断の仕事も昔なら2色に染色して顕微鏡でのぞいてどうか、という簡単なものが多かったが、現在では病気ごとに違った染色方法もあり、さらに癌細胞を増殖させた遺伝子検査なども増えた。大学病院はすべて院内でできたことが今はそれも無理で、当然検査専門会社に外注しなければ間に合わない。大学では研究のため、健康保険の枠では収まらない検査も必要だ。患者さんから自費でとるわけにはいかないので持ち出しだ。依頼費用がべらぼうにかさむ。病院は赤字になり、さらに人員削減。さらに外注。デフレスパイラルのような悪循環である。
 
 現在では博士論文などを大学で書く医師は少なくなり、研修一本で臨床に出るものも多いと聞く。確かに腕を磨くという点ではどんどん患者の前に出るのは有効な時間の使い方だろう。基礎医学と呼ばれる実験や理論医学などは自分のやりたい治療のスキルアップに結びつかないと考えるのは無理はない。
 
 だが、腕のいい外科医がどんどん増えたとしても、病理医がいなくなったらどうする?凍結標本作れないんだって?しょうがないなぁ、じゃあぜんぶ取っちゃうか。そんなことにもなりかねない。
 
 どこの大学病院でも病理医、法医学医、その他医学を支える基礎医学者が欠乏している。ありとあらゆる科から「悪性診断してくれ」と依頼が毎日山のように来る。まるで、年賀状が大量に届けられる年末の郵便局のようにだ。
 おい、顕微鏡貸すから自前でやってくれ、
 と居候の私に悲鳴を上げていた教室員もいた。こういう苦労は実際そういう部署をのぞいてみて、自分でやってみないと本当にわからない。
 
 新カリキュラムにおける臨床研修医も数ヶ月基礎医学教室のお手伝いをするdutyを課したらどうかとも思う。あまりにも専門性を追求した結果、アンバランスな医師が増えたために、研修は各科ローテーションになったが、そこには基礎医学教室を研修する場はない。
 
 この度のノーベル医学賞の快挙であるが、教授と助手の研究員たった二人で最初のiPS細胞を作ったとか、予算が少なすぎて山中教授自身で実験動物を自宅で飼っていたと聞く。
 その人手経費不足ぶりは私にはよくわかる。
 
 iPS細胞が脚光を浴びてから、教授に海外研究所から高額のオファーが舞い込む。しかし、どんなに人手・費用不足でも

「日本のために、日本で研究したい」

 と断ってきたのだ。その心意気は同胞として胸をうつ。これを聞いて応援しない日本人はいないだろう。
 
 まあ、いつものことだが、ノーベル賞を授与された瞬間、政府は「国を挙げて応援・」バックアップする」と手の平返しの対応だ。虫がよすぎないか、とも思うが、それは教授の「至誠天に通ず」と好意的に解釈しよう。
 逆に言うと賞を取らなければ、未だイバラの道を歩まなくてはならなかったことを思うと、ぞっとする。
 
 患者の治療に直結しない部署は徹底的に経費を削られる。こんなことで日本の医療の明日は大丈夫なのか?
 
 確かに効率が悪いのは認める。新発見や研究はまず仮説を立てるところから始める。
 山中教授の場合は「細胞は一方向しか分裂進化しないが、分裂を終えた細胞を初期化(万能細胞に戻ること)が可能ではないか」という仮説を事実上証明したのだ。これに限らず、医学界で仮説が実証できることなど1割にも満たない。ほとんどが失敗に終わるのだ。それまで使った実験費用・時間はすべて無に帰す。
 
 教授も言っていたが「野球なら3割バッターが好打者、医学界では1割バッターが優秀な研究者」と。まさに至言である。資源も国土の広さも個人の体力も他国に劣る日本の力は高い技術力と知的研究力を世界に示し、貢献しなければならない。
 
 それは9割無駄になる研究を援助して、優秀な研究者を日本に留めておいて、さらに失敗に終わる研究を8割、7割に減らすほどに育てていけば、海外からも優秀な研究者が集まってくるのではないか?
 
 震災復興費を食い物にする特殊法人設立など即刻やめて、科学研究費を大幅に増加させる政策を推進するわけにはいかないものだろうか。
 
 確かに領土問題も極めて大事なことだが、それに付随して海底資源を確保しようという意図はよくわかる。しかし、日本人の潜在能力である「知的財産」
 これを徹底的に掘り起こす予算の組み方の方が国策似合っていると思われるがどうだろう。
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2013年02月24日日曜日「情けは人のためならず」
「情けは人のためならず」という格言がある。

 ちょっと古いが2001年の文化庁による調査ではこの格言を正しく理解している人は国民の47%で
 「情けをかけると結局はその人のためにならないのでしてはいけない」
 と誤用している人の方が多かった。

 本当は全くの真逆の意味で正解は
 「情けをかけることは人のためになるものでなく、結局は自分に返ってくるものだから大いに情けをかけなさい」
 である。
 
 おお、因果応報、お互い様思考で仏教的ではないか。格言とは土台こういう格調が高いものでならなくてはいけない。

 クリニックのスタッフがトルコ旅行するという。
 
「いいねぇ。世界一親日の国だねぇ。大いに歓迎されてきたら」
 と私がいったら、なぜ?と聞かれた。

 私はトルコに行ったことがないが、海外旅行にもし行ける時間をいただいたら真っ先に訪れたい国はトルコである。
 これほど日本を理解してくれる国はなく、またトルコ国民もほとんどすべて親日派だからだ。

 冒頭の格言にも似た日本とトルコの関係。それには歴史的な関わりが濃厚である。
 
 そのドラマチックな関係は28年前にさかのぼる。

 
 その時、西南アジアは政情不安定でかつ5年以上イラン・イラク戦争を継続させていた1985年のことである。
 その年の3月にはこの戦争はさらに泥沼化しひどくエスカレートしていた。
 
 イラン・イラク両国はお互いの都市を空爆するまで緊張が高まっていた。
 その際、イラクのサダム・フセイン大統領はその年の3/17に唐突に緊急宣言を出した。

 「首都テヘランを含む敵国イランのすべての都市上を飛ぶ航空機は3/19日20時をもって無差別に撃墜する」

という驚くべき宣言であり全世界に対しての挑戦状であった。
 
 民間機であろうがなんだろうがすべて、といったら、独裁者フセインは必ず撃墜するに違いない。
 この狂犬の宣言からのがれる残された猶予はわずか48時間であった。
 
 当然のごとくイランの首都テヘランは大恐慌・大混乱となった。テヘランに住む外人は脱出するため航空会社にチケットを求め殺到した。ところが、邦人の脱出は困難を極めた。
 
 日本から乗り入れている航空会社のイラン便はなく、邦人はすべて外国航空会社からイラン入国していた。
 だから、チケットの根回しもできず、海外の航空会社に泣きつくことになる。
 だが、外国の航空会社は当然のごとく自国民優先で日本人に与える席はなかった。それは仕方がない。
 
 海上は封鎖され船舶を使えるわけもなく、脱出路は空しかない。
 途方にくれた日本在イラン大使館員は外務省に緊急救援を要請した。
 
 外務省はそのフセインの撃墜宣言に驚愕し、直ちに日本国内に待機していた日本航空に救援機を依頼したが、日航上層部からNOを突きつけられた。
 理由は
 「そんな危ないところに民間機を出せるわけがない」
 である。
 もっともな話である。
 確かに日本〜テヘランを48時間以内に無事にとって返すのは難しい。というか綱渡りのミッションである。
 もし、機体にトラブルでも起こり緊急整備が必要なことが起こったら、邦人を乗せても、もうテヘランから飛び立てないのだ。そんな危ないフライトは平和で安全な日本からとてもではないが指示できなかった。
 
 が、大使館はさらに「それなら自衛隊機を出して下さい」と懇願した。
 
 自衛隊機なら人員輸送用のいつでもスクランブルできる機がある。
 そう、こんな時のための自衛隊ではないか。
 
 しかし、管轄する防衛庁長官(当時)は「残念だがそれはできない」とあっさり却下した。
  
 当時、まだ自衛隊機を海外に派遣できる法律がなかった(1992年PKO法が成立するまで自衛隊は日本国内のみの活動)からだ。
 今から考えると信じられないが、その時の自衛隊は「どんなことが起こっても」海外の邦人を助けることができない組織だった。

 絶望したテヘラン在住の200人余の邦人。
 
 大使館員は母国があてにならないのなら、と各国の大使館と連絡を取り、なんとか邦人の脱出をと懇願するが、どこも自国民を逃がすことに手一杯で首を横に振られた。一睡もせず対応におわれ、時が容赦なく過ぎていく中、翌3/18日16時、大使館は信じられない連絡を受ける。

 トルコ政府から正式に日本人のために救援機を送る、と報ぜられたのだ。

 「なぜトルコが」
 と皆は首をかしげた。
 同盟国のアメリカでも、経済支援しているアジアの友邦国でもないのだ。
 それを勘ぐる暇はない。すぐにトルコが助けてくれる、と次々に在イラン邦人に連絡をとった。

 脱出を望む邦人はトルコ機の救援の連絡を受け喜び勇んでテヘラン空港に向かった。空港で215人の搭乗手続きを速やかにすましたが、救援機はまだ到着しない。遠くではイラクの砲撃音が鳴り響いていた。
 無差別爆撃期限まであと5時間に迫る不安の中、2機のトルコ機がついにテヘラン空港に到着した。
 
 給油整備を瞬く間に終え、撃墜予告まであと3時間しか残さないまま皆が搭乗をすますと間髪を入れず救援機は離陸した。
 
 飛び立って、ひとまず安心と思われても、イランの上空では救出邦人の皆は声も出せなかった。まだ、撃墜の恐れは十分にあったのだから。
 フセインが前言を翻して前倒して爆撃を始めれば、航空機などひとたまりもない。
 しかし、爆撃期限の20時まであと1時間切ったところにトルコ機機長からアナウンスが入った。

 「ただいま国境のアララト山上空を通過しました。日本の皆さん、ようこそトルコへ」
 
 助かったのだ。
 全乗客が一斉に大歓声を上げた。あちらこちらで大泣きをして万歳を繰り返していた。

 一方、邦人を乗せたトルコ機をテヘラン空港で見送った大使館員は涙をこらえてトルコ大使の両手を握りしめて感謝の意を伝えた。
 
 「今日ほど感動したことはない。トルコの人たちの恩を私たちは決して忘れてはならない。たとえ私たちの子の代、孫の代になっても決して忘れてはならない」
と言った。
 トルコ大使もやはり涙ぐんでいた。

 あなたはこの大使館員の言葉を大げさだなとか、調子いいと思いますか?
 トルコがなぜ親日なのか、そしてなぜ救援機を惜しげもなく出したのか。

 その答えは100年以上前にもなるがこんなことが起こったからだ。

 明治23年(1890年)親善で日本を訪れていたトルコ軍船エルトゥールル号が和歌山県沖串本で嵐に巻き込まれ遭難する。
 600人以上の乗務員中500人強が海に沈んだ。
 串本の住民は総出で嵐の中、漁船小船を出したり、綱を背負って沖から懸命に泳ぎつこうとする60名余の船員をすくい上げ、救助活動をした。
 
 各家庭に遭難者を割り振り、炊き出しを与え、貧しい村ではあったが、飼っていた鶏を料理して食べさせた。重傷者は病院に送り、遺体の回収も村民が丁寧に弔った。
 
 トルコの将校は村民のその献身的な姿に感動する。そして、後に帰国した際日本人がいかに親切だったかを証言する。

 明治天皇は遭難の報を聞き、直ちに救援物資を送った。さらに新聞社はこの遭難を大々的に報道し、日本全国から義援金が集まった。
 明治天皇はさらに「生存者を無事に母国に帰したい。これ以上トルコの人たちを悲しませないよう慎重に送致するように」と言われた。その時トルコとは正式な国交がなかったにもかかわらずである。
 日本は主力の軍艦を2隻出港させ69名の生存者をトルコに送った。

 トルコ国王アブドル・ハミト2世は
 「日本人は危険を顧みず、遭難者の捜索救助してくれた。またその生存者を無事に送り届けてくれた。この恩は生涯わすれない。」
 と言った。

 この遭難事件はトルコの人は皆知っている。トルコの小学校5年生の教科書に載っている話だからだ。
 
 だから、テヘラン邦人救出の際もトルコ首相を始め、トルコ大使、救援機の機長すべて
 「日本人が困っているときは助けなくてはならない」
 と子供の時から教えられていたのだ。

 事実、救援機を出したトルコ航空では危険な任務だがと伝えられたとき、誰かテヘランへ飛んでくれるかと言われたとき手を上げなかったパイロット、キャビンアテンダントはいなかったという。
 
 逆に「これが教科書で習った話なんだ。今こそ日本に恩返しの時が来た」と皆興奮したそうだ。

 懸命に救援機の要請を各国に打診していた日本の大使館員も大使もトルコから救援が来るということをにわかに信じられず、なにか政治的な取引があったのかとか、またトルコ国内で日本批判が吹き出るのではといらぬ心配をしてしまったと後に語っている。(官僚的な思考だが・・・笑)
 
 昭和の日本人は明治のエルトゥールル号遭難事件をトルコ大使ですら知らなかったのだ。

 このことは後にトルコ大使に好意を持って笑われたそうだ。

 「そうでしょう。日本人は善行を決して誇らない。それもよく知っています。人を助けることなど当たり前のことと思っている国民でしょう。わが国の遭難事件のことを覚えてなくて当然です。」
 
 現在の我々にはかなり耳の痛いお言葉である。(笑)

 フセインの爆撃指令のその時テヘランに残っていて脱出すべきトルコ人も当然いた。しかし、日本人が航空機2機分の席をとってしまったので、乗れずにあぶれるトルコ人は大使のところへ集められた。
 
 大使は「すまない。日本人を助けるため君たちを乗せる飛行機はなくなってしまった。」と正直に伝えた。
 
 驚くべきことに600人ほどのトルコ人はみな
 「日本が困っているのだろう。我々は日本人が困っていたら助けなくてはならない。我々は山を越えればトルコに帰れる。皆歩いてトルコに帰ろうじゃないか」
 と誰も文句を唱えなかった。
 3日3晩歩き続けたトルコの人たちにも我々は感謝しなくてはならない。

 東日本大震災でもトルコ救援隊がもっとも長く救助活動に駆けつけたことはあまり知られていない。震災から8日後の3/19日より3週間にもわたって滞在し、あの原発事故の風評にもめげずに日本以外では最長の長さの滞在で救援活動を続けてくれた。

 私は思うのだが、
 今こそテヘランでの邦人救出、航空機の席を譲ったこと、大震災での長期の支援、なぜトルコが日本の窮状をいつも助けてくれるのか、を日本の初等教科書に載せて教えるべきでないか。遭難船を助けたことをずっと教え続けてくれたトルコに対しての礼儀であろう。

 トルコ人は日本が困ったときは助けるのが当たり前、と口々に言う。それは初等教育でエルトゥールル号のことを習っているからではないだろうか。
 
 日本は受けた恩は決して忘れてはいけない。
 
 冒頭に述べた
 情けは人のためならず
 という、格言は串本の方たちが一生懸命トルコ人を助けてから100年近く経って絶望の淵に落ちていたテヘランの邦人にもたらされた。

 これからも、私たちはどの国のどの民族が困って助けてくれと日本に泣きついてきたとしよう。
 
 献身的に
 情けは人のためならず、と思い、助けようと思いませんか。

 その善行が海外で絶命の危機に遭遇した95年後の遠い日本の子孫を救ったことを思えば。今の利益・不利益などはどうでもいい。

 いつか子孫が助かるならば。


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2013年07月29日月曜日「Walk On」
織田信長が本能寺で倒れたあと、跡目争いで事実上の決勝戦である豊臣秀吉(当時、羽柴秀吉)と柴田勝家が賤ヶ岳の戦いを繰りひろげていた時のことである。
 
 賤ヶ岳をはさんで南北ににらみ合いが続いていた。秀吉も勝家もお互い織田家中きってのいくさ巧者で、動いた方が不利になるというまるで名人戦の将棋を見るような膠着状態になった。
 勝家は織田筆頭家老のネームバリューがあり実力も人望もある。その間、秀吉の勢力圏の周囲を包囲し、秀吉は絶体絶命の窮地に陥った。

 我々は勝った方しか見ていないから、秀吉が圧倒的に強いんじゃないの?と思いがちだが、当時の情勢は誰がどう見ても秀吉は劣勢であった。
 
 秀吉は策をめぐらし、勝家の同盟者の一人、岐阜から北上してきた織田信孝を攻めると大々的に行動を起こした。主戦場から主力を引き抜き、南東に52km離れた大垣城に移動する。
 それを知った勝家配下の佐久間盛政は「秀吉のいない羽柴軍は張り子の虎」とばかりに、敢然と軍を起こした。佐久間盛政は猛将である。秀吉の前線の守備隊をさんざんに打ち破り、秀吉の生命線である賤ヶ岳砦をうかがう大岩山に深く陣を築いた。
 
 前線壊滅、の急報を大垣で聞いた秀吉は青ざめるどころか「しめた!」と膝を打つ。

 率いた大軍を山あり谷ありの賤ヶ岳までの52kmをわずか5時間で引き返したのだ。
 
 これがどれだけすごいことか!ありえない行軍スピードである。
 
 からくりは仕掛けを方々に作ってあったとされている。行きの際、帰りは超スピード行軍を想定し、マラソンのような水分補給所、休憩所、食料補給などを路上に作るようこまごまと指示して行った。秀吉は「勝家軍はワシがいなければ必ず飛び出してくる」と読み切っていたわけだ。
 
 それをふまえても、鉄砲隊も槍隊も弓隊もそれぞれの武器を持ち、甲冑具足をつけ、刀の大小も腰に下げ、休憩タイムを換算しないと時速10km超で(これはほぼジョギングのスピード)フルマラソン以上の距離を走破したわけだ。

 途中、休憩はしただろうから、それなら平均ではもっと早いスピードだったはずだ。
 正月の大学駅伝で中継所でたすきを渡すと倒れ込む選手を思い出し、これ無事にもとの場所にたどり着いたとしても、秀吉軍は戦争できるの?と私は素朴な疑問を抱いたものだ。
 
 後に天下を取るくらいの男だから、秀吉は戦争などしなくても、来るわけがないと思っている大軍を目の前にしたら、どれだけの猛将でも戦意を失うことを知っていた。
 
 事実、盛政は驚愕し、秀吉の魔法を使ったとしか思えないほどのスピード帰陣を確かめたら即最前線から撤退を開始したが、さんざんに打ち破られてしまった。勢い主力の柴田勝家軍も撃破、秀吉は誘いの隙を見せて、反転しこの戦いを制した。
 
 それにしても戦国時代の兵士は皆体力が尋常ではないなぁ、と感心する。軍人であるから、そうでないと困るのだが、同時代を生きている佐久間盛政ですら、あっけにとられるという行軍スピードはやはり神業なのだろう。
 
 さて、私は勤務の帰りには軽装に着替えて歩くことにしている。
 診療では朝から晩まで座っていることが多く、運動不足を解消するためはもちろん、患者さんにもいつも「歩け、歩け」と言っているので自ら実践しているに過ぎない。
 
 だいたい5km、1時間弱で達成するスピードを目標に自宅から手前の駅から降りて、ひたすら歩いている。鎧も甲冑も着けないが、歩くこと、とはこれくらいのスピードをいう(笑)
 
 途中、だらだら坂の丘陵があり、心肺機能増進にちょうどよい手頃な負荷も加える。
 家にたどり着くと、真冬でもない限り汗びっしょりである。これで、だいたい4METs(メッツ)くらいの運動強度だ。

 運動強度とは安静時の1時間あたりのエネルギー消費量を1と換算し、その何倍のエネルギーを消費しているかという指標だ。
 だから、座って1、立って2、歩いて3、早歩きで4、と覚えればだいたいあっている。これに連続で歩いた時間数を乗する。それがEX(エクササイズ)で、厚労省は健康維持のためには週に23EXの運動を勧めている。
 
 土日は少し早く終わるので7kmくらいの遠回りの行程を選ぶ。時々あまりにも暑くてサボる日もあるが、雨さえ降らなければざっと週35km超は歩く勘定だ。それでもたった5時間の賤ヶ岳の秀吉軍には及ばない・・・。
 健康維持という点から考えるとこれでも十分すぎる距離だ。お忙しいとは思うが皆さんもぜひ実行してほしい。
 
 しかし、この夏はゲリラ豪雨も多く、いざ歩き出しても濡れネズミになることも想定しなくてはならない。
 そこで重宝するのがスマホのアプリである「東京アメッシュ」http://tokyo-ame.jwa.or.jp/である。
 東京都の情報とはいえ、近隣県までのリアルタイムで雨雲を地図と重ねて表示してくれるし2時間前までの雲の動きを表示してくれるので、自分の歩くエリアの降雨予測がたてやすい。もっとも雲一つなかった土地から突然雨雲が湧きだして移動していることも多いが・・・
 
 ついでだが、アメッシュの埼玉版といえる「アメネットさいたま」というサイトhttp://www.amenet.pref.saitama.jp/index.htmもあったので、もしウォーキングを始めると思った方はそちらもご参考のほど。都心に通勤している方の帰りの傘の心配に役立つことだろう。 
 
 とはいっても、ものの数十分で突風・雷・バケツをひっくり返したような豪雨である。実のところ、傘をさしても有用とはあまり思えないので、この豪雨に遭遇したら30分ほどの雨宿りが良策であろう。
 
 今年は梅雨も早々に退散してしまって、異常なほどの蒸し暑さである。日射しがある時間帯に外にいると熱中症が危険である。早朝でも夜でも、水分補給しながら歩行しなくては実にあぶない。
 
 今までは高血圧の患者さんには「塩分は控えましょう」などと言っていたが、昨今ではそれすら下手に制限すると命にかかわる、ほどの異常気象だ。
 昔はそんな特殊な気温などは夏のほんの数日か多くて1週間くらいのものだったが、ここ数年は夏の3ヶ月は最高気温=体温くらいの気候だ。
 体温である36度の気温なんてそう何日もないだろう、と思われるかもしれないが、気象庁から発表される「気温」はあくまでも日陰の地表1.5m温度である。木陰の百葉箱の中の温度と言っていい。
 それなら日向のアスファルトなどでの気温は40度になるくらいざらである。
 このような場合、汗で塩分が急速に失われる。しかも湿度が高いため、汗が蒸発しない。体のあちこちから、だらだら流れ落ちるあの気持ち悪い状態である。これでは気化熱が発生しないため、体表温度が下がらない。体温が下がらない上に汗で水分を失うと、もともと水分量の少ないお年寄りはあっという間に臓器に血流が行かなくなり臓器不全、真っ先にへたるのが腎不全となる。エアコンは毛嫌いしてもこの気候ではもはや必需品だ。そうしないと熱中症まっしぐらで後悔先に立たずである。
 
 スポーツドリンクはおいしさを出すために甘い成分・糖分を多く含み、結果汗や尿よりやや濃く作られている。大量にとるとやはりバランスを崩す。
 また糖分を制限しようとするために人工甘味料を入れたカロリーオフ表示の飲料水があるが、これも腸内に水分を戻す作用があり下痢を起こしたりする。
 麦茶などの無電解質の補給ではかえって体液が薄まって水中毒という状態になる。ましてやお茶などでは利尿効果もあり、ますます電解質が失われる。
 まことに困ったものである。おいしくはないが、結局、経口補水液が一番よろしいということになる。
 
 今でこそ、経口補水液は手頃に販売されているがかつては無塩トマトジュースを薄めて砂糖・塩を入れて経口補水液を作っていた。
 下痢でも熱中症でもカリウムとナトリウムは大量に失われるため、トマトジュース補水液は今でも優れものである。
 レシピはネットで検索するとすぐにヒットするから、お試しください。トマトジュースが嫌いでなければそれほど飲みにくくないから病中はお勧めである。
 
 しかし、昔の人はよく歩いたものだ。
 松尾芭蕉の「奥の細道」で歩行距離など詳細に調べたサイトがある。そこでは総歩行距離1600km強、一日平均22kmだそうだ。
 
 吉田松陰は20歳の時、諸国遊学の旅に出たが、その際の総距離は13,000kmに及んだという。わずか1年足らずの遊学期間というから、その健脚ぶりは特筆に値する。
 
 正確無比な日本地図で知られる伊能忠敬はその測量のために何と35,000km歩いた。地球一周が40,000kmだからどれだけの距離か想像がつきにくい。さらに、測量歩行を本格的に始めたのが55歳というからその体力たるや、おそれいりやの鬼子母神・・・である。
 
 私のスマホにウォーキングを記録するアプリがある。
 それはスタートとゴールでオンオフをし、日常の移動はカウントせず、GPSで移動距離を測るものである。万歩計はMETsの低い歩行も数えてしまい、運動強度に反映されないが(最近は歩き始め数分はカウントしないのもあるらしいが)これならEXもしっかり計算できる。

 4月からカウントしているが、まだ総EX距離は520kmくらいだ。月ごとの表もありそれを見ると、さすがに7月は暑すぎて、歩行スピードもかなりダウンしているし、総距離もあまり延びていない。早く涼しくならないものか。
 
 トルストイの民話集「人にはどれだけの土地がいるか」という作品がある。
 
 主人公のパホームはその土地を持つ長老と「日の出から日没まで歩いた土地を手に入る契約」を結ぶ。
 パホームは小躍りして歩き始め、見れば見るほど肥沃な土地でついつい大回りしてしまう。
 日が傾き始めると疲れを覚え、「これはいけない。まっすぐ戻らなくては」と必死になって歩くが、息は切れ、口は渇き、心臓は早鐘のように打ち、足元はふらふら、幻覚まで見て、日没の瞬間、スタート地点にたどり着き・・・。
 そこで待っていた長老は「やあ、えらい!」と叫んだ。「土地をしっかりおとりなすった!」
 
 この後、エンディングになるが、結末は伏せましょう。タイトルに込められた皮肉のパンチがここで炸裂する。
 
 これ、熱中症まんまの症状です。夏の歩行にあたっては、水分補給をしっかりと、ぜひとも気をつけてください。

 Walk On(歩き続けるんだ)
 
 U2の21世紀初アルバム「All That You Can't Leave Behind」よりの曲です。
 アウン・サン・スーチー女史に捧げられた曲で軍事政権下のミャンマー(ビルマ)では放送禁止だったというから驚きです。
 ミャンマーでこのアルバムを所持していることがわかると10年以上の懲役、とは恐れ入りました。現在はどうなってるんでしょうか。
 2011東日本大震災の時、チャリティアルバム「Songs for Japan」にも収録された曲でライブでも人気の必須アイテムです。
 私はウォーキングの時ウォークマンで「Walk on」がかかると嬉しくなります。


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2014年02月03日月曜日「すごいぞ、STAP!」
 私の大学母校は蔵王山のふもとにあった。白亜の殿堂とまでは言い過ぎだが、市内のはずれにあり、当時、県内の高層建築は大学と県庁くらいしかなかったから、目立ったことだろう。
 大学からはスキー客で賑わう蔵王温泉・スキー場まで車で20分くらい駆け上ればすぐに着く。蔵王温泉には当時タダで入れる共同浴場がいくつかあった。残念なことにサイトで確認したら今は200円ほどとるらしい。

 寄宿していた山形市内の暑いさかりは、フェーン現象がよくおこり、現代の関東では珍しくなくなってしまったが35度超の気温はざらだった。何しろ、熊谷市に抜かれる前は長らく日本一の最高気温を保持していたくらいだ。(40.8度、1933年)

 夜になっても、部屋の内外にとにかく暑い空気がぎっしり残っている。下宿にはエアコンなどなく、扇風機をかけても、部屋の熱い空気がかき混ざるだけで不愉快きわまりない。湿気も多いし、ますます暑くなる。熱帯夜というか、昼も夜も熱帯そのものである。
 机にある蛍光灯すら点灯すると熱い。こんな環境でよくレポート書きや国家試験の勉強ができたものだ。

 そんなこんなで、これでは眠れないし、汗だくだくだし、そこで蔵王温泉の共同浴場を思い出す。
 私は当時車を持っておらず、50ccの原付を足にしていた。大学生の分際で車だのバイクだの贅沢と思われるかもしれない。
 言い訳をするようだが、それは鉄道・バスが発達した東京周辺の感覚なのだ。ここでは鉄道は長距離の移動手段であり、手軽に使えるものでなく、市外方面の路線バスなどは2時間に1本くらいの運行とみていい。
 だから、田舎では車・バイクは必須アイテムである。もっとも、冬にバイクは使えず、冬ごもりの食料買い出しは車のある友人におんぶにだっこだったが。

 熱帯夜に原付にまたがりトロトロと蔵王温泉を目指す。
 さすがに登りは原付だときつく、フルスロットルでもあまりスピードが出ない。車の倍くらい時間をかけて共同浴場にたどり着く。木造の掘っ立て小屋だが、脱衣所もちゃんとあり、もちろん混浴ではない(笑)
 
 そこは硫黄の臭いがきつく、温泉はほぼ無尽蔵に湧き出し、掛け流しの湯が流れ出た跡にはいわゆる湯の花がびっしり。
 浴室の中の湯は48度くらいとビリビリする熱さだ。ゴムホースにつながれた水道水を入れて温度を下げることも可能だが、これが、熱いのが好きなオッサンが先に入っていると
 「オイ、にしゃ。うめんなず。(おまえ、ぬるくするな)」
 とおしかりを受ける。
 夜遅く行くのは、酒焼けしたそんなオッサンがいない頃を見計らってのためでもある。
 
 小さな木枠の浴槽で、シャンプーなどの洗い場などなし。浴槽の中と外にスノコをしいてあるが、とにかく表面はぬるぬるで滑りやすい。猛烈な酸性湯のためだ。温泉表示を見るとpHにして1.4(!)くらいだそうだ。
 どれくらいすごい酸度かというとまず体を拭いたタオルは干しておくとすぐにぼろぼろになる。
 うっかり長湯すると、翌日日焼けのように体がひりひりして痛い。なので、私は夏限定でここを訪れたものだ。もっとも冬は道が凍結してバイクだと危なくて、さらに極寒だから行けないが・・・

 さて、そこで、夜遅くに、温泉の湯船に数十秒つかるだけで、水道水を上がり湯(水)にして肌を守り、タオルはよく洗い(それでもすぐに焼けてしまうが)乾かしながら、雲がなければ、再びバイクにまたがり、さらに上を目指す。
 エコーラインと呼ばれる蔵王の頂上にある「お釜」につながる自動車道を上り始めるのだ。

 つづら折れをゆっくり上りながら、木々が低木になる標高まで登るといきなり360度のパノラマがひらける。
 バイクを停めて見上げると満天の星だ。思わずため息が出る。
 天の川もプラネタリウムのように(そりゃ表現が真逆だな)はっきり見え、月がない日がさらに星々が美しい。足下がうっすら明るいのは「これが星明かりなんだ」と初めて理解できる。息をのむ光景だ。首がくたびれると、だれも通らない道路脇に仰向けに寝そべる。夜半過ぎなので時々長い光跡を残して消えていく流れ星も多い。私は見られなかったが、快晴の日に流星群にたまたま当たったらそれはそれは美しいのだろう。

 宮本輝氏の代表作「錦?」に蔵王の満天の星の描写が冒頭に出てくる。「たくさんの星が手を伸ばすと、届いてしまいそう」と表現されるそれを読んでいただけると、どれだけ素晴らしい星空かは私のつたない文章よりは実際に近く理解の助けになるかもしれない。あの星空は30年前のことだが、今も見えるに違いない。

 だいぶ脱線したが、蔵王温泉の湯は日本屈指の酸性湯なのだ。胃袋内のごとく強酸の湯
に入っても皮膚は案外大丈夫なものだと感心しきり。

 長湯するととても体に悪いと思いきや、酸性湯に触れた皮膚はその後つるつるすべすべになる。
 まあ、皮膚角質が少し溶けて物理的な変化なのだろうが、新生細胞に若返りでもしていたら面白いのだが。

 下宿に帰り着くと、自分ちのシャワーで洗髪し、体をざっとボディソープで洗う。
なんだ、最初からそうすればいいじゃないか、と言うことなかれ。少し長い映画を見るくらいの全行程3時間くらいの気晴らしだ。私の原付はそのころ最も燃費がよいといわれるホンダCB50でリッター60kmくらいは走った。山を上り下りするガソリン代もわずかで、温泉と星々のいざないは、田舎大学ならではのささやかな贅沢だった。

 蔵王の共同浴場の温泉成分表示を見て、「こりゃ、皮膚は大丈夫なのかしらん。まあ、昔からみんな入っているし、薄めているんだろうな。」と少ししか疑問を感じなかったのが研究者としての才能のなさを物語っているのかもしれない。

 というのも、STAP細胞には本当に驚いたからだ。

 私はたまたまニュース番組を見ていた時、速報で「万能細胞、日本人研究者発見!」とぶち上げるではないか。これは、どういうことだと、思わず見入ってしまった。その作成課程を聞いた私の第一感は「なんかの間違いか、勘違いではないか」と思い、一緒に見ていた家人にも「こんな簡単なことでは万能細胞化は絶対にあり得ない」と言い切ってしまった。

 しかし、その報告の確からしい続報や、その業績が科学誌の最高峰ともいわれるあの「Nature」誌に掲載されるというのであれば、私ごときが「ありえない」といっても、世界で認定されてしまうということになる。
 主席研究者が若い女性ということもあり、一躍時の人となった。

 今までも同じ内容の論文を「ありえない、ふざけるな」と却下され、しかもレフェリー(その論文掲載の可否を決める研究者、査読者ともいう)に「細胞生物学を愚弄している(=なめたらいかんぜよ、といったところか)」と罵倒ともとれる酷評をされたこともあったという。小保方氏はさぞかし悔しかったことだろう。しかし、これが実証されたら「日本初・女性ノーベル医学生理学賞」は届くかも知れない。当初、疑いのまなざしだった私も恥ずかしながら大いに拍手を送りたい。それにしても、最近の女子力には目を見張るものがある。ソチ・オリンピックでも女子フィギュアや女子ジャンプは最高のメダルを大いに期待できる。私の好きな領域でも「歴女」がはばをきかしているし・・・ガンバレ大和なでしこ!
ついでに言えばさらに、もっともっとガンバレ日本男児!

 さて、ノーベル賞を受賞したiPS細胞理論の時はリセット遺伝子を導入するというプロセスが細胞分裂逆行の理屈にあっており、「さすがだなあ」とごく素直に感動したものだが、STAP細胞がなぜ「万能化」するのかは、私にはよくわからない。

 私もまだ理解しきれていないのだが、その方法たるや実に簡便。
 マウスのリンパ球を用いて弱酸性溶液pH5.7に浸すだけだ。そう、それこそ温泉卵を作るがごとくだ。すると、ほとんどの細胞は死んでしまうが、一部の細胞が万能細胞化することを発見し、それをSTAP細胞と名付けた。それまでも、毒素をかけたり、細いガラス管を通したりして、細胞のストレス実験をしていたようだが、弱酸溶液が最も効率よく万能細胞化したとのこと。
 驚くべきことにかのiPS細胞より遙かに効率がよく、しかも癌化の危険がない(何故かはまだわからないが)らしい。

 これは素晴らしいことだ。臨床応用化できれば、再生医療の中心になる技術だろう。どこかのマスコミが細胞生物学研究者のコメントを紹介していたが「悪いが、中学生の理科実験のレベルでこんな世紀の大発見が隠れていたとは・・・」と絶句していた。なるほど、マウスのリンパ球さえ与えてくれれば、確かに中学校の理科室の道具で出来てしまうだろう。

 単一の要素による細胞の外刺激で胎児の細胞である胚細胞へのリセットボタンが押されてしまう。この驚愕の結果は確かにその道の研究者ならあっけにとられるだろう。
 パソコンのWindowsですら、フリーズしたら三つのキーを同時に押さないと強制リセットできないのに、細胞のこの簡便さは一体・・・それだけを考えたら、この領域の研究者たちはメガトン級(最近はインフレでギガかテラ・トンとでもいわないとダメか)のショックを受けたに違いない。

 もちろん、これから各国で実証実験や理論的裏付けの研究が目白押しになることは間違いない。それは共同研究の場のハーバード大学でも大いに実行されていることだろう。すでにサルの細胞を用いた実験を公表している。サルでも成功したら、いよいよヒトであろう。

 もともとリンパ球は刺激にあうと、「幼弱化」といって芽球(がきゅう)という細胞分裂を活発にできる形態に戻ることが知られていた。ウイルスや菌との戦闘モードにおける一時的な幼児返りである。しかし、戻るのは一歩手前の芽球止まりでもちろん、ほかの細胞になんかは決してならないし、コントロールすらできない。今ある危機の状況を打開するため、囲碁将棋でいうところの一手を戻す「待った」くらいにあたる。これでは遺伝子の介入すらない。そこでこの性質を見て、幼弱化をアレルギー検査などの指標に応用しているが、今回の酸にさらす実験はリンパ球だけでなく、皮膚細胞も万能化に成功しているらしい。 皮膚細胞はリンパ球のように幼弱化しないので、するとやはり造物主が隠していた細胞の強制終了・再起動ボタンを見つけてしまったのだろうか。

 人間の体全体としては酸・アルカリにえらく敏感で少しでもpH7.4(弱アルカリ)から酸でもアルカリでもどちらかに傾くと、体内のあらゆる手段を用いてpH7.4に戻そうとする。それは呼吸を司る肺と排泄を受け持つ腎臓をフル回転させて体の中の電解質や二酸化炭素を調節し、酸塩基平衡を保つ。
 そして、どうしても戻れなくなったら、それこそが生命の危機である。それは、体の中の酵素やタンパク質は一定の体温・pHでないと働かなくなってしまうからだ。だから、もちろん体内で細胞の周辺がpH5.7の状態はありえない。

 だが、ある特殊な空間なら、体内でも弱酸の場所はある。

 尿は尿酸を多く含むため酸性でpH5くらいのことはざらである。それなら唯一、STAP細胞が生まれるpHの可能性があるのは常に尿にさらされている膀胱粘膜くらいか。また、胃の中は胃酸によってpH1〜2と強酸である。食事をとるとpH4〜5くらいとなるが、どんなに胃酸が薄められても5.7にはまず届かないだろう。だが、プロトンポンプ阻害剤という、潰瘍の特効薬を服用すると胃酸の分泌が抑制され、中性にまで近い状態を胃内で保つことが可能になる。それこそ、持続的にpH5前後にはなるだろう。薬を飲んだ胃と膀胱は新生細胞が果たして生まれ続けるのか?なにしろSTAPは37度、25分の刺激で生まれたのだ。

 まあ、これは冗談だが、でもどうして酸というありふれた物質に接するだけでこのような重大なプログラムが発動するのだろうか、と思うとなかなか興味深い。

 以前も、コラムで遺伝子は何重にも防御され、細胞の奥深く格納されている、と書いたことがある。

 人間の体はすべて同じヒトならば、どの細胞にも(それこそ肝臓の細胞でも、皮膚細胞でも)同じ遺伝子が書き込まれている。それはたった一つの受精卵細胞から分裂したなれの果てだからだ。その遺伝子には、「何回か分裂したら、A-1は肝臓の細胞に、B-1は心臓の細胞に、C-1は腎臓の細胞に」と事細かにすべての細胞の行く末まで指定されている。そしてひとたびA-1細胞が肝臓の細胞への歩み(分裂)を始めた瞬間、細胞に書き込まれていた遺伝子のそのほかの情報はすべて塗りつぶされ作動しなくなる。肝臓の細胞になることの運命が決まったら、それ以前には戻れない細胞になるのだ。

 ここで大事なことは遺伝子が消されるのではなく、その細胞にとって不要な遺伝子(他の細胞になる指令)が動かなくなるだけで、情報は丸ごと残っておりロックをかけられた状態なだけということだ。
 山中教授のiPS細胞はこの4重にかけられた遺伝子のロックを外すことで多機能細胞に戻すことを成功させた。
 普通に考えれば、細胞にとって一番大切なものはやはり遺伝子情報で、外からなにかで遺伝子をいじろうとしたら、それを跳ね返す機構がついているか、それともバリアを突破されたら自殺する機構が発動するか(これがアポトーシスと呼ばれている)と解釈されている。
 だから、遺伝子を改変しようとして細胞のストレステストなどを考えた研究者などいなかったに違いない。(だが4年程前も日本人研究者が似たような実験で多機能細胞を発見している。MUSE細胞と呼んでいる。詳しいことは割愛)

 人類がすでに手に入れた技術としては遺伝子の運び屋としてウイルス遺伝子を都合よく利用して(ベクターと呼んでいる)そのベクターを細胞に侵入させて遺伝子を書き換えさせる。これが遺伝子組み換え技術だ。組み替えとはきれいな言い方だが、実はウイルス感染させて細胞をウイルスと合体させてしまうことによく似ているので、こういう技術を利用した作物を摂取することが生理的に忌避されるのだろう。

 恥ずかしながら、私も遺伝子の研究で医学博士を取得したので、俗な言い方だが、遺伝子を書き換えさせるのに、細胞を漬け物にするような方法は教えられないし、また発想としてもみじんにも考えつかなかった。

 優れた研究者は常識にとらわれない発想を持ち、失敗を恐れず、そしてくじけない心が必要なのだろう。

 STAP細胞を酸に浸す、ということを聞いたとき、学生時代お世話になったあの蔵王の共同浴場を思い出したので、駄文をまたまた記してしまった。
 小保方女史、素晴らしい実験結果です。発表しても発表しても信じてくれない生物学の大御所のバッシングの中、よく挫けなかったものだ。脱帽しました。

 2月に入ってしまったが、皆様本年もよろしくお願い申し上げます。

*STAP細胞:その後の展開はまさに私が危惧していたとおり、論文捏造および撤回、女史自身博士論文の剥奪と自殺者まで出現する大事件に発展した。さらに女史が騒動の顛末の手記を発表。「偉大なる詐欺師」なのか「葬り去られた先見者」なのか真相は闇の中である。


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